第14話 自分の部屋


 3人で歩くと言っても、僅かな間だった。

「さあ、ここだ」

 と、今度は目太が言う。

「この部屋が佳苗ちゃんの部屋。

 どうぞ」


 見れば、扉にはなにやら字が書いてあるが、佳苗には読めない。

「ああ、テンポラル時間語で書いてあるけど、すぐに読めるようになるから」

 比古がそう言うのに曖昧に頷いて、佳苗は扉に手を伸ばす。


 佳苗の手が触れる前に、扉は自動で開いた。

 その中は20畳程の広さとなっており、手前は1畳程の金属の土間となっている。床には畳が敷き詰められており、新畳の香りが濃い。


「右側の扉が湯殿。厠もあります。

 着替えも用意してあります。あと、刀はそのまま渡しておくけど、懐剣は預からせて」

 続く目太の言葉に、佳苗の顔がこわばった。

 害意はないと思っていても、唯一の武器を手放すのは不安なものだ。刀の方は、武器というより父の形見という意識の方が強い。


「僕たちが迎えに行くのが遅れてしまって、そのせいでかなり酷使させちゃったろ。

 だから、刃には拭いをかけてお返ししたいし、拵も作り直しても、と」

 まぁ、たしかにあの巨大な牙の虎猫の後肢を斬りはした。それに、歩きながら木々に印をつけたので、かなり切れ味は落ちている。手入れをして貰えるならありがたいことではある。


「ま、怖いだろうから、代わりはあるよ」

 今度は目太が言いながら、上がり框の脇の棚を開いた。そこには、絢爛ではないが決して粗末でもない拵えの脇差が掛けられていた。これなら懐剣より遥かに心強い。

 刀掛けが大小になっているのもよい。父の刀を置いておける。

 というより、改めて見てみれば、父の刀の拵えと対になっているではないか。

 この短期間でよくも用意したものだと思いながら、時を跳ぶということの意味を佳苗は思い知っていた。


「失礼致します」

 佳苗は父の刀を置き、脇差を手に取り抜いてみた。確かに名刀の部類に入るものである。少なくとも、佳苗の収入で新たに購うとしたら、「はずれ屋」で1年くらいは貯金せねばならないだろう。


 脇差を鞘に納めた佳苗は、かんざしの先で目釘を抜き中子をあらためた。小細工を恐れたのである。しかし、無銘の初中子うぶなかごがあるだけで、なんの害意もない。

 強いて言えば、出来の良さが却って目につく程度である。


 佳苗は懐剣を取り出すと、比古に預けた。

 考えてみれば、女衒から奪った刃である。大した思い入れがある訳ではない。

 そして、さらに考えれば、あれほど巨大な空を飛ぶ乗り物を乗りこなしている比古と目太が、1本の刀を恐れるはずがない。すなわち、彼らにはどうでもいいものなのに、佳苗へ替えを用意しておいてくれたあたり、本気で心配してくれているのだろう。

 やはり、比古と目太なのだ。


「よろしくお願いいたします」

「では、1刻もしたらまた来ます。

 ここが鍵なので、閉めれば誰も入ってこれません」

 比古はそう最後の説明をして、目太と部屋の扉を閉めた。



 − − − − − − − −


 替えの脇差を左手に持ち、佳苗は湯殿に入った。

 このような広い居場所を得ることも、独りで風呂に入ることも、生まれて初めてのことだ。

 自分のために湯が用意されるとは、どれほどの厚遇なのか、どれほどここにいる者の生活に余裕があるのか、今の佳苗には判断できなかった。


 通常、風呂場は湿気が激しいので、刀を持ち込むことはない。鮫皮も緩むし、良いことは1つもないのだ。とはいえ、寸鉄を帯びずに裸になれるほど不用心にはなれなかった。


 一番湯気の来なさそうな場所に刀を横たえ、着物を脱ぐ。着物自体に巨木の葉がかなりついていて、衣擦れに混じってそれが落ちる微かな音がした。

 そして、佳苗の抜いだものとは別に、木綿と見える着物が、折り目正しくきちんとたたんで用意されていた。ちらと捲りあげれば、赤い腰巻きまで一式用意されている。風呂上がりにはこれを着ろと言うことらしい。

 脱いだ衣服をその脇に置き、佳苗は周りを見回す。


 湯殿自体は立派なもので、十分に広く明るく、湯もたっぷりと入っている。この湯の量は、かつて経験がないほどの贅沢だ。

 見回しても怪しい点はない。安心して良いだろうと思う。

 かけ湯をし、この際だからと髪も解き、洗う。

「糠袋はないのか……」

 と呟いた佳苗だったが、次の瞬間、脇差に向かって足を走らせていた。


「糠袋はございませんが、石鹸を用意してあります」

 そう応える、若い女の声が近くから聞こえたからだ。

 脇差の柄を掴みざま、佳苗は言った。

 「お主、どこにおる?」

 自分に気配を感じさせないとは、恐るべき手練。

 自覚できぬままに指呼の間に入られたのは、ここ数年では初めてのことである。


「私はどこにもいて、どこにもおりませぬ。何故ならば、私は……、からくりゆえに。

 この部屋全てが私であり、私が風呂に湯を張り、掃除をし、着物を用意致しており申します」

「なに?

 この部屋を調えるのは、からくりだと申すのか?」

 佳苗の声は、驚きのあまり上ずっていた。


 だが佳苗は、これから起きることのすべて受け入れるしかないと覚悟を決めていた。どうやら、江戸の常識はまったく通用しないらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る