第13話 更新世ベース基地


 コンソール脇のフラップ扉の収納箱から、是田は日本刀を取り出した。

 そして、柄を佳苗に向けて差し出す。礼儀として、逆向きに渡したら、斬られても文句は言えない。


 だが、その刀を目にした佳苗にとって、そんなことは枝葉のことだった。

 これは、父の菩提を弔った時に、その寺の住職に預けた父の刀だ。間違いない。

 拵は、無骨一辺倒で華美なところはまったくない。だが、鍔の鯉口を切る際に親指を当てるところだけは、ぴかぴかに光っている。どれだけ父がこの刀で鍛錬を続けたかがわかるといいうものだ。

 逆を言えば、これは佳苗が住職に預けてすぐに引き取られたということだ。一月も触られることなく経てば、この光っている部分は黒ずんでしまう。


 日々、取りに行かねばと思いながら、上野から品川まで往復で半日以上掛かる。「はずれ屋」の昼営業を休めなかった佳苗にとっては、なかなかに時間が取れなかった。

 さらにまた、娘が独りで刀を抱えて歩くのも、周りから奇異の目で見られる恐おそれがあった。誰か共に行ってくれる男が必要だったのだ。

 なので、常に心残りでありながら、取りに行くのは難しかった。


 だが、この刀については間違いない。

 だけど、辻褄の合わないことばかりで、佳苗にはなにが起きているのかさっぱりわからない。

 それでも、佳苗は父の刀を抱きしめ、そこに安心を見出していた。


「……なぜ?

 なぜこれを?」

「僕たちは、佳苗ちゃんのことをいろいろと知っている。

 佳苗ちゃんをここに呼ぶために、いろいろと調査したんだ。その一環で、これは取り戻しておいた方が良いものだと思ったんだ。

 聞いて欲しい。

 ……実は、佳苗ちゃんに話していた『常世』というのは嘘だ」

 床から声がする。

 伏せている比古が話しているのだ。


「実は、僕たちは時を跳んで未来や過去に行くことができる。

 江戸の『はずれ屋』では、僕たちは自分の時間から400年遡って、佳苗ちゃんたちに会っていた。

 今の僕たちは、江戸で佳苗ちゃんに会っていた頃から見て、1年後の僕たちなんだ」

 比古の言うことを、表面上だけでも理解するのに、佳苗は2呼吸ほどの時間を要した。


 佳苗には、比古の言うことの本質は理解できていない。「時」とは何か、そのようなことは考えたこともないし、そもそも厳密な時間計測の概念もないのだから仕方がない。

 でも、比古の言葉をそのまま鵜呑することはできた。

 そして、江戸で別れた比古と目太が、目の前の比古と目太より1つ歳上ということも納得した。


 思えば、1年ぶりに比古と目太に会ったときも違和感はあった。でも、そんなことは当たり前のことだ。久しぶりに会う相手は、どこか変わっていなければむしろ可怪しい。

 それでも、昨日の今日の間で1年経っていれば、違和感が際立つのも当然のことだ。


「では、今の私はいつにいるのでございましょうか?」

「江戸での生活の、53万年前。

 この桁になると、僕の時間からでも佳苗ちゃんの時間からでも、時の差の400年なんて、1厘以下の誤差だ」

 比古の言葉は、気が遠くなるようなものだった。


 ……五十三万。

 佳苗は塵劫記に書かれていた数字のことを思って、身震いした。

 なんと、なんと長い時間なのだろう。

 鉾で日本という国を作った神様たちより、さらに昔ではないのか。

 そんな長い時間を、どうやって跳ぶというのだろうか。


「江戸は、今の江戸はどんな?」

「ないよ。

 一度俺も上空から見たけど、まだ海の底だもん」

「……ない?

 まさか、ないとは……。

 せめて、日本に人はいるのでしょう?」

「いるけど、原人だからね。人以前の生き物だよ」

 佳苗がなにを聞いても、比古と目太の答えは佳苗の想像の上を行く。


「まさか、人がいないとは……。

 では、ここの木が大きかったのは、人が伐らないからですか?」

「ああ、それもある」

「目太様、されど木を伐らないと、暖も取れず、料理もできませぬが」

 疑問が次から次へと湧くが、比古も目太も説明しきれないと思ったらしい。


「とりあえず、この乗り物を降りよう。

 基地に入れば、いろいろ理解できると思うんだ」

 そう、促されて、佳苗もひとまずはその言葉に従うことにした。



 基地とは言うものの、佳苗が降り立った地面にはほぼなにもなかった。

 金椀を伏せたような、丸いつるつるのものがあるだけだ。高さとしては、8尺ほどもあろうか。


「ここの自然への影響を避けため、いろいろが厳密に決められていてね。

 だから、ベース基地も見えている部分はとても小さいんだ。

 昨夜、ライトを付けずに佳苗ちゃんに近づいたのもそういうことなんだ」

「はあ……」

 やはり、これも佳苗にはよくわからなかった。


 「ちょっと待って」

 と、比古が言い、なにか手の中のものを操作した。

 それから10も息をしない内に、ドームの入り口が再び開いた。その中は、すでに53万年前の森ではなかった。


 白く輝く廊下が左右と前方にどこまでも続き、扉が無数に連なっている。

 佳苗はこのような建築は見たことがないが、空気は冷た乾いていて心地よい。この空気までが調整されているというのを、佳苗は理解していた。


「ここが、僕たちがいる更新世ベース基地だ。

 時間整備局の管轄でね。

 とりあえず佳苗ちゃん、一風呂浴びて、ゆっくりして。食事の支度もあるから、そのあと続きを話そう」

 歩きながらの比古の言葉に、佳苗は頷いた。

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