第8話 見せしめ
佳苗の耳に、妙に甲高い鳴き声が届いた。
一瞬、猫のそれかと思う。ただ、猫ではありえないのは、その音量だった。猫の小さな体で喚きあげる声ではない。遥かに余裕があって、声帯の太さを感じさせる。これは、さらなる大音量で鳴くこともできる声だ。
その声が、佳苗を囲むように立て続けに聞こえてくる。
佳苗は空き地の真ん中に陣取り、素早く周囲を見渡した。
おそらくは何らかの獣。それも、知恵があって、狩りに慣れている。しかも、群れでの連携も上手い。つまり、襲ってくるとしたら背後からだ。それも、数匹で連携を取ってくるだろう。
思えば、先ほどの巨鳥の去りっぷりの良さは、この獣たちの接近を感じ取っていたからかもしれなかった。となると、あの巨鳥の太刀打ちできない相手、佳苗の力をもってしても、及ばぬ相手かもしれない。
佳苗は、父の言葉を思い出す。
たかが猫だとしても、その動きを完全に捉えられる剣客はほぼいない、と。
その猫が、この世界の木々と同じ大きさになったとしたら、人の分ではどうにも敵うまい。対抗できるとしたら、人が人として考え抜いた技に依るしかない。
佳苗は一見棒立ちに見える姿で、木刀がわりの枝を構えていた腕を下ろした。
つまり、誘ったのである。
どのような生き物であれ、大きければ大きいほど重くなり、足音は消せなくなる。
背後からの襲撃に対しては、視覚を捨て、聴覚のみで戦うことにしたのだ。
甲高い鳴き声が、佳苗の正面から立て続けに聞こえてきた。
それと同時に、佳苗は木刀がわりの枝を背後に向けて振り上げていた。
振り下ろされる刃物より、振り上げられる刃物の方が避けるのは遥かに難しい。これは、人間だけでなく、どんな動物に対しても言えることだ。
空を舞い、佳苗のうなじを狙った獣の下顎は、死角からの攻撃に対応できなかった。また、見えていたとしても、空中では避けきれなかっただろう。
下顎の骨を砕かれた獣は、そのままとととっと数歩歩き、ゆっくりと倒れた。
どさりというその音を聞いた佳苗は、初めて自分を襲った獣を見た。
猫といえば猫だ。
だが、その大きさは佳苗の二周りは大きい。そして何より目を引くのは、佳苗の懐剣より遥かに大きい2本の牙だった。
あまりに大きさに、口の中に収まっていない。この牙がうなじに突き立てられたら、それだけで全ては終わる。
ただ、この牙はその大きさからして弱点でもありそうだ。
佳苗の足を噛み裂き、立てないようにするという目的には向かない。この牙は、大きさゆえに刺さったら抜けない場所には使いにくいだろう。相手の弱点を、一瞬で切り裂くという目的に特化しているはずだ。
これは、刀同士の戦いに似ているかもしれない。
佳苗は咥えた懐剣を左手に取り、倒れた獣の首筋を刎ね上げた。
確実を期したのである。
野生の動物の生命力と執念は凄まじい。
殺したと思っていた動物に襲われて命を失う例など、掃いて捨てるほどある。人間ですら、戦場で瀕死の重傷を負ったままその場で耐え、首狩りに来た敵部隊の将を襲うぐらいのことはする。
そのような死路への同道など、まっぴらである。
佳苗の周囲で、さらに鳴き声が高まった。
先ほどの鳴き声は、後ろから襲う仲間の足音を消すためのものであった。
その仲間があっけなく殺され、獣たちはより緊密な連携を持って佳苗を襲うつもりらしい。
佳苗は、周囲の殺気の箍に締め上げられながら、逆に安堵していた。
この獣は賢い。
自分の武器の特性もわかっているし、仲間同士で会話し、連携を取る。まともに正面から戦ったら、1匹だけが相手だとしてもとても勝てぬ。
下から振り上げるというフェイントも、もはや効かないだろう。
だが、だからこそ、佳苗には手が生じていた。
さきほど殺した獣の腹を、佳苗は一瞬かがみ込み、懐剣の一太刀で裂いた。
周囲に、血臭と胸の悪くなるような内臓の臭いが溶ける。
その中で、佳苗は右手の木刀がわりの枝と左手の懐剣を構え直した。
そして、鳴いたのである。襲ってきた獣の声を真似て。
佳苗の周囲の鳴き声が、ぴたりと止んだ。
思ったとおりである。
佳苗は、襲ってきた獣が賢いと見て、心理戦に持ち込んだのだ。
下手に襲うと、殺される。それも、単に殺されるのではなく、
賢い野生動物は、仲間の死に敏感だ。例えば、畑にカラスの死骸をぶら下げることで、カラスの害は防げる。相手が賢いからこそ使える手である。
佳苗はことさら動物の命を奪いたいとは思っていないし、これほどの巨獣を相手にし続ければ、懐剣の刃が保たない。ならば、1匹を血祭りにあげて、他にはお引取りいただく。そう考えたのである。
さらに、賢くコミュニケーションを取っている動物であればこそ、その鳴き声を真似られるというのも嫌がるはずだ。
再び、苗の周囲に鳴き声が交わされる。
佳苗は腰を落とした。
まだだ。
獣たちの殺気は、まだ衰えきってはいない。
復讐を考えるのもまた、賢い証だ。
だが、だからこそ、復讐を試みた群れのうち、1匹でも返り討ちにあったら逃げる。人間ほど未練がましく戦うことはないはずだ。
だから、ここは綺麗に勝たねばならない。それによって、彼我の強さの差を思い知らせ、復讐心を挫くのだ。
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