第85話 嘘のつき方


「実は、麻酔の発明と普及の間には、けっこうな時間がかかっている。

 実は殺菌消毒もそうだ。

 病気は神からの罰とか因果応報なんて思想があると、痛みを取るのは神に反逆することなんて論理も成り立ってしまう。だからと言って、神の概念を消し去る時間改変なんて、さらにできないだろ。

 人はどれほど有効なものでも、過去のしがらみを捨て新しいものを取り入れるのには時間がかかるよな。

 つまり、種を蒔いてからその効果が出るまで時間がかかるし、単純な時間改変で沢井氏の末期をってのは、やっぱり難しいかもしれないなぁ」

 ……この手もダメか。

 いや、もっと遡って種を蒔いておけば……。


「おまけに、だ」

 うう、是田は飲むと話が止まらなくなるタイプなのかな。

 語りだしたら止まらねーぞ。

「100年をさらに遡って麻酔技術の種を蒔こうにも、織田信長の時代だもんな。激動の時代過ぎて、狙った効果なんて出せない気がする。バタフライ効果がどう波及するか、どんなスパコンでも予測できないぞ。

 ちょこっと時間の流れに手を入れて最大の効果を得るなんて、江戸期ならともかく、戦国の世だと虫のいい話だと思うな」

 まぁ、言いたいことには概ね同意だ。

 是田、バカじゃないんだよな。自分に関係ないことを分析するときは……。


「じゃあ、もっと遡ったら?

 室町で麻酔を確立させておけば……」

「それ、豪快に世界史案件になるから。

 四係に話が収まらない」

 ああ、そうなるな。

 安土桃山の世界貿易時代が来ちゃうんだ。江戸の鎖国時代だったら、かなり思い切ったこともできるんだろうけどね。


 あ……。

 ダメだ、コレ。

 係長が、ワインを手酌で水みたいにごくごく飲んでいる。これは、ずずーんと落ち込んでいるな。


 佳苗ちゃんのお父ちゃん、きっと苦しみ抜いて死んだ。もしかしたらお母ちゃんも。

 僕のばあちゃんが死んだときは、ホスピスで苦しまずに逝ったけど、だからって悲しくないわけじゃないし、心に痛みが残った。

 となれば、佳苗ちゃんの心の中の痛みは、さらに大きなものだったはずだ。しかも、あとから痛くない医療も知っちゃったからね。余計に心の中がもやもやするはずだ。


 しかも、是田め、沢井氏の話をしているはずなのに、佳苗ちゃんのお父ちゃんの末期に間に合うよう麻酔の実現するのは無理って、誘爆を決めちまったからね。

 これ、係長の心情を考えるなら、是田の大ポカだ。正解の隣に命中させる是田らしいと言えば是田らしいけれど、知らないってのは恐ろしいよ。



 もう、よそう。

 話題を変えよう。沢井氏が今日明日に苦しんで死ぬわけじゃない。酒の席で、酒も料理も不味くなる話をあえてするこたぁない。

 とはいえ、係長が酔いつぶれちゃう前に、いろいろな不明なところは教えて欲しいけれど。今日は、やたらとペースが早いから心配だよ。


「もう、その話はいいです。

 あとで考えましょう。

 今、どうこうできる問題じゃないです。シラフの方がいい考えも浮かぶでしょう。

 それより、沢井氏が逃亡犯というのは、僕たちも考慮してました。彼とはけっこう一緒にいましたけれど、付き合いに線は引いていたつもりなんですよ。

 最後の最後で、ちょっと曖昧になりましたけれど、でもその付き合い自体は問題にならないですよね?」

「更新世ベース基地には、データが残っているぞ」

 僕の質問に、係長はそう答えた。


「は?

 なんのデータでしょうか、係長?」

「商売を沢井氏に任せていたようだけど、目を離さず警戒していたようだな。

 現に、金勘定の確認は雄世がやっていたらしいな。

 そのあたりの細かい点、更新世ベース基地に記録が残っている」

「えっ、僕たち、更新世ベース基地から監視されていたんですか!?」

 そんな素っ頓狂な声を上げるな、是田。


 おそらくは、佳苗ちゃんが更新世ベース基地にスカウトされて転時してから、事情をいろいろと話したってことなんだろうな。

 でなければ、小屋掛け屋台の中で、僕と是田でこそこそ金勘定の判断をしていたことまで監視できるはずがない。

 もっともコレ、「佳苗ちゃんは死んでいる」と信じ込んでいる是田には言えないけれど。


「生宝氏に絡むことですからね。

 当然でしょ」

 僕は、できるだけ平然と答える。

「……必要とあれば、いつでもどのようにでも動けるのが更新世ベース基地だからな」

 と、これは係長。

 援護射撃してくれたのかな。


 是田、「納得はしきれないけど、そういうものなのかな」って顔になった。

 ったく、君のような勘のいいガキは嫌いだよ。


「じゃあ、俺たちの江戸で沢井氏に接触したのは問題ないですね?」

「沢井氏と疑ってはいたけど、確証はなくて告発には至らなかったんだよな?」

「本人だという確証があったら、当然、なぁ?」

 おい、是田、なんで僕に話を振る?

 嘘つききれなくて、僕に最終的な嘘をつかせる気だな?

 くっそ、何文連続の「?」終わりなんだ?


「ネットで『時空系公務員を騙してみた』なんてのをアップされないように、慎重に判断しました。だけど、確証は得られませんでした」

 毒を食らわば皿までも。

 嘘ってのは、つき切るしかないんだよ。中途半端は一番良くないんだ、きっと。

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