第81話 置き去り


「それがどうした?」

 再び芥子係長は、強い口調で言い放った。そして、さらに続ける。

「そもそも生宝の企みがなければ、このような事態は生じていない。

 その原因の一端が、私たちを責めるのは笑止千万」

 係長、アンタ、笑止千万って……。


 ひょっとして芥子係長、実は動揺しているんじゃないか?

 つまり、佳苗ちゃんの江戸育ちの地が出ちゃっているんじゃないか?

 でも、僕たち以上に江戸の時間にどっぷり浸かっている沢井氏は、そこに違和感を抱かなかったようだ。


「近藤一家にしても、是田と雄世の介入がなければとっくに餓死していた。

 花も実も両方取って、さらにすべて円く収められると考えるほど、沢井さんも子供ではあるまい?」

 冷え冷えとした声だなぁ、係長。氷みたいだ。


「そうやって、なんでも死ぬよりマシって考えで、私のことも……」

「そうか、死にたいのか、沢井さん?」

「……」

 これには、さすがの沢井氏も息を呑んだ。

 僕たちには、係長のこのセリフは言えない。恫喝ともなるこの一言は、権威と責任を負える立場、さらに腹の太さを持たねば吐けない。単に係長ってだけじゃない。所属長まで見えているキャリアだから言えるんだ。


「沢井さん、あなたがつべこべ語るのを聞く気はない。

 死にたいなら、すぐにでも法廷に召喚してやる。死刑台への道々で好きほど語るがいい」

 沢井氏、紙のような顔色になって、がくりと地に膝をついた。

 ここまで反論を許さない係長を、僕は初めて見た。いかに暴君でも、話はできたはずなのに……。


 ……突然、是田が沢井氏に走り寄った。

 そして、その手を握る。

「沢井さん、どうか、どうか、『はずれ屋』をよろしくお願いいたします」

 是田の顔から、能面のような無表情が剥がれ落ちていた。

 沢井氏の肩を抱かんばかりにして話している。


 それを見て、僕も係長の考えを悟った。

「あなたにしか頼めません。

 どうか、どうか、みんなを、みんなのことをよろしくお願い致します……」

 こみ上げてくるものを抑え込みながら、僕も頭を下げた。


 時の流れは連続し、誰にでも平等に流れる。

 これは、誰にでもある根強い思い込みだ。時間跳躍機が発明されてなお、人はその思い込みから自由にはなれていない。

 時を何度も越えている僕たちですら、その思い込みは拭い去れていない。


 是田、気がついてしまったんだ。

 そして今、僕も。

 沢井氏がここにいる理由に。

 それは、生宝氏がやったことがすべて洗い出せたら裁判になる。その裁判の証人として、沢井氏は法廷に召喚される。そして、主犯の生宝氏に裁きが下ったら、次はアフリカ系日本人の秘書に、そして最後に一番罪が軽そうな沢井氏に裁きが下される。

 まぁ、全員結局死刑になるにしても、順番ってのはあるんだよ。

 これが逆になったら、生宝氏は「秘書と沢井が勝手にやったことで、自分はまったく知らなかった」とか言い出すからね。


 沢井氏を逃亡中ということにして江戸に置いておくのは、僕たちの時間に連れてきても、沢井氏の留置期間の間に生宝氏がすべて白状するとは思えないからだ。

 そう聞かされて、僕は納得していた。


 けれど考えてみれば、生宝氏が白状したら、沢井氏を迎えに行くのは沢井氏が江戸で過ごす2日目とかだっていいんだ。そう考え出せば、そもそも僕たちの時間の留置所に入れておいたって問題なかった。生宝氏が白状した情報を持って、留置1日目の午後に来ればいいんだから。


 つまり、沢井氏を無期懲役みたいな形で江戸に置いておく必然なんか、どこにもない。沢井氏が絶望しながら1年も江戸で生活するなんて、最初からまったく無かったんだ。

 なのに、こうなったってことは……。


 答えは1つだ。

 生宝氏は死ぬまで白状しなかった。そして死んだ後も、「時間整備局」は、更新世ベース基地のデータサーバーのクリーニングに不安を残しているっていうことだ。


 こうなると、裁判は開けないし、沢井氏も死ぬまで江戸で暮らすことになる。もう、未来から人がやって来ることはなく、やって来ても沢井さんに合うことはない。


 そして、係長は……。

 最後まで、このことを言わなかった。なのに同時に、沢井氏の帰りたいという思いを「死刑」という言葉のギロチンで斬り捨てている。

 これは優しさなんだろうか?


 江戸は地獄ではない。

 僕たちの時間に比べて、良いところもたくさんある。

 つまり、沢井氏がここでの生活を救いと感じるか、無期懲役と感じるか、それは沢井氏本人の意識の持ち方によるものが大きい。

 そして、その意識の根本は、帰れないという諦念が大きな影響を与える……。


 係長は、沢井氏の甘い希望を打ち砕き、でも、一縷の希望だけは残した。

 やり方はあまりにエゲツなかったけれど。

 係長、それはやっぱり優しさだったんじゃないだろうか?


 考えてみれば、沢井氏と佳苗ちゃんは僕たちが今回江戸に来る前から、そう、1年もの間にわたって顔を合わせている。

 昔の「はずれ屋」での同僚ってことだ。

 そのときのよしみだってあるだろう。

 そう考えれば、置き去りにするしかない沢井氏に対して、一番優しいのは係長ってことすらありうる……。


 僕たちはそこまで理解したから、沢井氏に「はずれ屋」を託したんだ。

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