第77話 葦の中で


 水汲み部隊の面々が雑多な荷物を担ぎ上げた。

 食材はなくなったし、水もない。だから、復路は遥かに楽。ただ、今回は彼らにも酒手をはずまないとだな。

 そして、僕と是田はここで別れた。


 是田は「はずれ屋」に帰る面々への監督。こちらは大所帯だ。

 僕は、刺身を盛った船の模型と茶の湯を沸かした蕎麦の屋台を、船大工の仙吉っつぁんと蕎麦の元締に返却しなくちゃだ。両方とも深川だからね。

 船の模型を蕎麦屋台に突っ込んで歩くのも、今の僕だったらそう苦労ではない。前回江戸に来たときに比べて、筋肉の量、増えているからだ。


 まぁ、僕がわざわざ行くのには理由がある。

 これらの返却だけだったら、だれか「はずれ屋」の若いのに頼めたんだけどね。船大工の仙吉っつぁんには、船の模型を返すと同時に水槽船の発注もしなきゃなんだ。せっかくお許しが出たんだし、そうなれば、1日でも早く水道を開通させたいし。

 大金が絡むこの発注があるから、この用を誰かに頼むわけにはいかなかった。また、是田と僕の二人共がこちらに来ちゃうわけにもいかなかった。是田は是田で、酒手と言うボーナスを「はずれ屋」のみんなに支給しなきゃだからだ。


 ま、あとで合流したら、僕たちも打ち上げに行きたいところだ。なんか美味いものでも食って、酒でも飲みたい気分だよ。


 僕、屋台を担いでみんなと別れて歩き出す。

 そうは言っても、茹で湯も出汁も重いものがなんにもない空っぽの屋台だから、多寡が知れている。

 で、振り返ったら、佳苗ちゃんがついてきてくれた。


「あれっ、こっちでいいの?」

 僕、思わず聞いてしまう。

「比古様、お独りでは危のうございます。

 もしも、さっき揉めた中間とばったりなんてことになりましたら、殴られるでは済まないかもしれませぬ。

 お殿様の言葉も頂いたそうですが、それが元越後高田藩士全員に伝わりきるまでは時間もかかりましょう。

 それまでの間、用心に越したことはございませぬ」

 まぁ、言っていることは納得できる。

 で、佳苗ちゃんは、僕の護衛かよ。

 いい歳をして、ミドルティーンの女の子に守られるって、僕はちょっと悲しいぞ。


 僕たちは再び歩き出す。

「比古様。

 幸運も偶然もあったやもしれませぬ。

 そうだとしても、よくもまあ、ここまで来れましたね」

 しみじみって感じだね、佳苗ちゃん。

 僕も、うんうんと頷く。


 蕎麦屋台を担いでいる僕の隣で、佳苗ちゃんは横顔を見せて話している。

 本当なら、江戸では男女が並んで歩くってのはありえないんだ。

 大抵は男が先導する形になるし、身分が違えば女の方が先を歩くこともある。でも、同輩として並んで歩くことは絶対ない。  


 だけどね、今回は蕎麦屋台が、この辺りを有耶無耶にしてくれている。僕より遅れても先導しても、蕎麦屋台が邪魔をする。素直に横にいるのが一番歩きやすいんだ。

 で、考えてみたら、2人きりになれたのって、今回初めてじゃないだろうか。

 そう思ったら、なんか急にどきどきしてきちゃったよ。


「1年前に姿をお消しになって以来、心配しておりました。

 ですが、変わらずお優しい比古様で、佳苗は安心いたしておりまする」

「……ごめんな。

 1年前は、急に常世に連れ戻されちゃって、挨拶すらできなかった。

 でもさ、みんなのこと、常世からずっと心配していたんだよ」

 そう、地を転げまわって、地を叩いて泣くくらいには。

 時間跳躍機に乗って君に会いに行こうとして、是田に羽交い締めにされて取り押さえられるくらいには。


「そうかも知れませぬ。

 恨み言など言っても仕方ないのもわかっております。

 でも……」

 僕にはなにも言えない。

 佳苗ちゃんの言っていることは正しい。

 一言でもあいさつして、嘘だとしても「常世に帰る」って伝えてから姿を消すべきだった。


 僕は無言で歩く。

 佳苗ちゃんも口を開かない。

 それでも、佳苗ちゃんが僕と一緒に歩く方を選択してくれたのはわかっている。

 弁解も言い訳もできないけど、いずれわかってもらえる。それだけは絶対に間違いない。

 それだけが僕の救いだった。



 蕎麦の元締に「お二人で来るとは仲がよろしいことで」と冷やかされながら、僕は屋台を返却した。

「祝言をあげるときは呼んでくださいよ」

 そんな追い打ちを黙殺して、僕は船の模型を抱えて仙吉っつぁんのところに向かう。

 佳苗ちゃんが、「私が持ちましょう」って言ったのを、徹底的に拒絶してだ。


 なんか、今の僕には、佳苗ちゃんに対して発せられる言葉が見つからない。

 屋台を返してしまって、数歩後ろを歩くようになった佳苗ちゃんには言葉がかけ難い。

 でも、きっと付いて来てくれているよね。

 僕、どうしても早足になれなくて、薄暗くなりつつある深川の湿地を歩き続ける。



 船大工の仙吉っつぁんは、発注を喜んでくれた。

 そして、舟盛りの刺身の話を聞いて、食器としての船を作るというビジネスチャンスに目覚めていた。

 ま、なにはともあれ、これで水槽船については安心できる。


 僕はまた一段落ついた思いで、ふたたび葦の中の道を戻りだす。

 佳苗ちゃんは……。


「ねえ、佳苗ちゃん」

「なんでございましょうか?」

 周りは薄暗く、葦は高い。


 僕の心臓は激しく脈打っていて、口から飛び出しそうだ、

「手をつながないか」

 声が震えていたのは許して欲しい。

 僕、それこそ決死の覚悟で口にしたんだよ。

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