第60話 着々、進行
「目太殿、比古殿。
これをご覧くだされ」
竹筒模型を見たさらに2日後、近藤の旦那に呼び出されて、僕たちは近藤の旦那と元佳苗ちゃんの部屋にこもる。
なんのことはない、今は僕たちの寝室だけど。
巻いた紙に書かれたそれを、旦那は広げる。
……スプレッドシートのソフトが有ればまだしも、これを全部アナログの手書きで、しかも毛筆で書いたのかよ。
要は土木工事の積算基礎だ。
木製水道管の単価、支流用の竹筒の単価、土を掘る人足代単価、1人あたり1日で掘れる土の量、水道管設置時の流量等の調整費単価、延べ距離ごとの水番屋の設置費用、見回り人の日当単価、事細かく必要と思われる経費の単価がどこまでも書かれている。
これは、恐ろしく大変な作業だったはずだ。
だって、ここは江戸。
ネットで調べて出てきた数字をコピペすれば済む話じゃない。すべて、足で稼いで得た数字のはずだ。
僕たち、あまりのことに声も出ない。
僕たちだって、予算請求の経験がある。だから、この仕事の意味がよくわかる。
おひささんの旦那、僕たちのイメージでは頑固な侍で、筋論ばかり言っている人ってものだった。それがこの間の襲撃以来、少しは話がわかる人なのかな、なんて思っていたけれど、能吏って面もあったんだね、この人。
それも半端ないよ。
これは、牧野様が惜しむわけだ。
幕府でも通用するだろうけど、家柄とか抜きに人事が決まる僕たちの時間に連れて行ったら、どんどん偉くなっちゃうかもしれない。
すごいよなぁ、これは。
「大変に言い難き儀ながら、この一覧について……」
「心配しないでください。
この一覧の意味、僕たちは他の誰よりもわかっていると思います。説明は要りませんよ。
あまりのことに言葉が出ませんでした。
これは凄い、凄すぎです」
是田が、つくづく感動したという声を上げる。
僕も、なにも言えず、ただただ手を叩いた。親指立てて Good Job!! とか、ここではわかってもらえないだろうし、他に思いつかなかったんだ。
旦那の肩から、力がふっと抜けるのが見えた気がした。
「申し訳ない。
なかなかわかっていただけないことの方が多く……」
「そうでしょうね。
これさえあれば、どこにどのくらいの期間と費用で工事ができるか、そしてその運用にいくらかかるか、一目瞭然で簡単に計算ができますよね。
これは凄い。
でも、こういうものの大切さを、わかってくれない人も多いんですよね。『まずは工事を始めろ』とか、『やる気がないから計算ばかりしている』とか、碌なことを言わないんです、そういう人は」
僕も愚痴り半分で、旦那を称賛した。
「常世でも、そのようなことがあるとは……」
「ええ。
どこへ行っても、そういう勢いだけの人はいるんでしょうね。
ただ、僕たちの世界ではこの一覧は公式なものができていて、計算だけで済むんです。組織が大きいので、各担当が使えるよう共通化した一覧が作られているんです。
だから、僕たちはここまで単価を拾わなくて済むのですが、だからこそこの大変さがよくわかるんですよ」
と、僕。
「しかも、常世では数字を入れさえすればあとはからくりが計算してくれて、間違いも出ませんし、やり直しも楽です。これで担当の人数は、3分の1以下に減りました。
つまり、これをすべて手作業でやるってのは、それだけ大変な仕事だってことで、ここまでまとめるには膨大な労力があったはずです。
ありがとうございました」
是田が頭を下げるのに合わせて、僕も頭を下げた。
旦那、呆然とした顔になっている。
ここまで理解してもらえるとは、毛頭思っていなかったんだろうな。
「さすがと申しますか、儲ける商人は視点が違うのでしょうかな?」
「いやいや、常世では儲けるのは禁止でしてね。
儲けず、損を出さず、つじつまを合わせるためにもこれが必要なのです」
僕、そう返事をする。
……あ、ちょっとデジャ・ヴュを感じたな。
僕たち、近藤の旦那を「めんどくさい人」と思っていたけど、今、近藤の旦那が僕たちのことをそう思ったな。
そういう顔だ。
そのとおりなんだよ。近代以降の公務員は、みんなこういうめんどくさい制約の中で生きているんだよ。
それはともかく、ここまでしてもらっていたら、あとでお礼しないとだ。
ボランティアで済むレベルじゃないしな。
でもって、沢井氏(仮)の水槽船モデルも完成度が高かった。僕たち、重ねて幸運なんだろうな。
で、ここまでいろいろが進んでいれば、残されたのは僕たちの仕事だ。
水槽船の詳細仕様を詰めなきゃなのと、その見積もりを取ることだ。
そこについては、近藤の旦那の積算基礎にもまったく記載がない。当然だ。まだ、この世界にないものなんだから。
そして、牧野様への接待と、再度の話し合いだ。
特に、牧野様への接待は規模が大きい。
おひささんと佳苗ちゃんによく相談しておかないと、接待どころか恥を晒すことになりかねない。
よくよく考えないと、だ。
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