第49話 返書
がんばるって気合を入れたけど、「はずれ屋」に着くなりその気合は抜けた。
それどころじゃなかったんだ。
「はずれ屋」で、首を長くして僕たちを待っていたのは、おひささんの旦那。
ほら、従業員の旦那が会社に乗り込んできたら、どんな用かってビビるだろ?
ま、さすがに「うちの妻が勤務時間中に浮気をしていた。御社の労務管理はどうなっているのか?」なんて聞かれることはないだろうけどね。
旦那、いきなり僕たちに言葉をぶつける。
「牧野様より返書が参った。
昨夜はお帰りでなかったので、持参いたしましたぞ」
……牧野って、だれ?
そんなことを思った僕に、旦那は巻紙に記された手紙を差し出す。
僕、不審な顔にならないように気をつけてその手紙を受け取り、広げてみた。是田も僕の肩越しに覗き込んでくる。
最初の一文を読んで、僕は牧野っていうのが誰だか思い出していた。
おひささんの旦那がいた藩がお取り潰しになったとき、改方として幕府から派遣された人だ。
おひささんの旦那の優秀さを買っていてくれた人だけど、おひささんの旦那はその人に頼って仕官するのは武士の道義に反するというんで遠慮していたんだよね。
でも、今回の僕たちの水道の話は江戸の民のための大義だということで、旦那のご母堂と共に伝手になってくれたんだ。
その手紙に書かれていたのは、たった2文。
おひささんの旦那への気遣いが1文目。
2文目が、今日の午前か明日の夕方なら、僕たちに会ってくれるということ。
なので、おひささんの旦那は焦って、牧野様の屋敷に僕たちと同道しようと「はずれ屋」で待ち構えていてくれたんだ。
このあたり、おひささんの旦那に対しては大変に申しわけないと思うよ。
僕たちが昨夜帰っていれば、こんなに焦らせないで済んだんだ。
その一方で、昨夜3人で猪鍋パーティーをやったからこそ、上水道を引く具体的な方法の案ができた。この案がなかったら、牧野様のお屋敷に行ったって、理想論だけ話して帰ってくることになっただろう。
具体性のない話じゃ、共感しか得られない。幕府内での手続きの話になんかなりようがないところだったよ。
今日は柿の仕入れは諦めるしかないけれど、上水道の話が幕府の人と詰められるんだからヨシとしなきゃだよね。
沢井氏(仮)は、僕たちの話を聞いて、展開に喜んでくれた。そして、今日は柿も売れないことから水汲み部隊に参加してくれるそうだ。
肉体的には辛い仕事だけど、他の人とのつながりも大切だから、円満に抜けるためにきちんと今日一日共に働いて話を通したいということだった。
沢井氏(仮)、基本的にいい人なんだと思うよね、こういうところ。
逆を言えばこういう人だからこそ、生宝氏みたいな人に雇用されていると、違法行為でも一生懸命になっちゃうのかもしれないな。
とーってもなにかもの言いたげな佳苗ちゃんとおひささんを置いて、僕たちはおひささんの旦那と歩き出した。
佳苗ちゃんの未来の正体がアレだとしても、色気がない展開だな、ここのところ。「はずれ屋」には女子もたくさんいるのに、おはようのあいさつ以外口も利かなかったぞ、今朝は。
自分の時間に戻ったら、女性と話す機会なんてコンビニの店員さんと、お昼を食べに行くお店の店員さんと、芥子係長しかいないというのに、だ。
で、最後は絶対にカウントしたくないから、1日に1分も女性と話す機会はないんだ。少子化だの晩婚化だのって、これじゃ当たり前じゃんかねぇ。
せっかく江戸にいるのに、これじゃなんか激しく残念だな。
それはともかく僕たちは歩き出したけど、道すがらおひささんの旦那は僕たちの水槽船案を感心しながら聞いてくれた。
で、もうそのためのモデル船を作る手はずになっていると聞いて、驚きの表情を浮かべた。
「常世の方は、常世の技を江戸に持ち込もうとはされぬ。
この意味は拙者にもわかり申す。
その一方で、ここまでの江戸の民へのご厚情、ありがたき仕儀ながら、お二方の上役殿の命によるものだけではございますまい。
目太殿と比古殿ご自身の仁もあるものかと推察つかまつりますが……」
「ないない。
少なくとも、こいつには仁なんて」
おい、是田、人を指差してディスるんじゃねぇ。
おまけになんだ、その語尾に「w」とか付けそうな軽薄な言い回しは。
「いえいえ、目太にも仁などございませぬ。
あるのは仁の隣りにあっても、仁ではないなにか。
偽善とか、ええかっこしぃとか、おのれへの打算とか……」
「こ、この……」
痛えな。
是田め、いきなり人の頭を叩くんじゃねーぞ。
未来に帰ったら、即パワハラで訴えてやるからな。江戸の風習に毒されたなんてイイワケ、絶対許さないんだからな。
「わかった、わかり申した。
なので、双方、お手を引かれよ」
おひささんの旦那、僕たちの間に入ってくれたれど、なんだ、その思いっきり困ったような呆れたような、自分の存在意義に疑問を抱いているような表情は?
悩みならそのうちに聞いてあげるから、もっと楽しそうな顔をしていて欲しいもんだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます