第46話 NFB


 僕の説明に、是田は大きく頷いた。

「でもって、雄世。

 その案だと、俺たちは水道を引かなくてもいいんじゃないか?」

 えっ、どういう意味?


「どういうことです?

 せっかくいいアイデアが浮かんだのに、なんで是田さんは水道を引く必要ないって……」

「考えてもみろよ。

 俺たちは、『はずれ屋』の儲けから何十両か出して、その水槽船2隻を作るだけでいいんだ。

 上水が掘割を渡り、しかも高低差を稼ぐのを見たら、あとは俺たちがなにもしなくても江戸の人たちが勝手に水道を引く。

 それこそ、『引くな』と言っても引く」

 うわ、それはそのとおりだ。


 これだと、予算規模はめちゃくちゃ小さくなるな。

 水槽船2隻を作るだけで、面としての広がりを持つ土木工事が不要になるからだ。

 これだと、リアルに僕たちの力でなんとかなりそうだよね。



「さらにです……」

 おおう、さらになんだい、沢井氏(仮)?

「ここで、この方法がうまく行ったらですよ。

 佃島も隅田川の対岸へも、この水槽船が行けばいいんです。

 形の上では、船の上に樽を積んで水を運んで売り歩くという今と変わらないように見えますが、規模の大きさの桁が違います。

 隅田川の対岸に、水道網が作れるんですから。

 そして、こうなれば上水の渡河のために、水道管を引く必要が無くなるんです」

「……なるほど」

 僕は相槌を打つ。


 沢井氏(仮)はさらに続ける。

「この渡河する水槽船も、やっぱり江戸の誰かが作るでしょうよ」

 あ、それこそ、『作るな』と言っても作るだろうなぁ。

 僕自身は、水道管の渡河にはまだ未練があるけどね。

 そうは言っても、時間跳躍機公用車を持ち出さなくて済むのはありがたいな。


「この先も隅田川には、新しい橋が架けられ続けていきます。

 ならば、その橋をたどって水槽船が動くようにすればより安心かもしれませんし、そういうことも実行されていくでしょうね」

 うん、それも沢井氏(仮)の言うとおりかもしれないな。


 そうなると、一石橋で汲める玉川上水の余り水の水量が、そこまで賄えるかが心配にはなるな。

 まぁ、今はそこまで心配しても仕方ないのかもしれないけれど。

 

「ただな、雄世、1つだけいいか?」

「なんでしょう?」

 急に是田が、なんか改まった感じになって言う。


「干満差による水位の変動と、それにともなう水槽船のふるまいは、よくよくシミュレーションしておいた方がいいと思うんだ。

 積み荷の上水が汲まれれば、船は沈み込む。

 次にその上水が放水されれば、船は浮かび上がる。

 こうなると、潮の干満を打ち消し合う形で船の吃水は動くはずなんだ。俺は、この動きっての、案外複雑なものになりそうな気がする。『水槽船を作ってみたら、予想と違った動きをして水が運べない』なんていうのは許されないから、よくよく事前に考えておかないとだ」

 ああ、たしかにそれは是田の言うとおりだと思う。


 沢井氏(仮)も口を開いた。

「船の吃水もですが、船に積む水槽の構造も重要でしょう。

 下流側の水道網と水槽船の放水口を接続するときには、水槽の放水口の位置はできるだけ高くしたいものの、実際は水槽の下部につけるしかありません。しかし、放水口の高さが上水道網の供給口に届かなかったじゃ済まないですよね。

 さらに給水時ですが、水槽の縁が高くて一石橋で流れ出ている玉川上水が汲めなかったってのも困るでしょう。といって、水槽の縁を低くしたら水量が運べませんからね。

 だから、よくよく考えておかないと、足元を掬われる気がします」

 むむ、沢井氏(仮)の言うこともわかる。


 水を汲み貯めるのは、水槽の上からだ。だから、水槽の縁は高くできない。なのに、船は空っぽだから思い切り浮かび上がっている。

 水を放水させるのは、水槽の下の放水口からだ。なのに、積み荷の上水が積まれていて、船は沈み込んで更に放水口の位置は低くなっている。

 この船の吃水も水を積むための構造も、潮の干満による高度変化をダブルで打ち消し合う形で働く。ネガティブ・フィードバックNFBだ。これらを考え合わせると、1mぽっちの干満差なんて、ほとんど使えないんじゃないだろうか?

 いいアイデアだと思ったのに、ひょっとして着地できずにダメか?


 僕、なんかしょんぼりとなって肩を落とした。

「……雄世。

 基本のアイデアはいいんだ。

 着地できていないからって、その基本がダメなわけじゃない。

 落ち込まずに考えろよ」

 僕、力なく頷く。


 是田に説得されるだなんて、な。

 こんなところで、気持ちが落ち込んでしまったらおしまいだ。反省した方がいいかもな、って、違うっ!

 いい人ぶってる間があったら、お前も考えろよっ!



「大丈夫ですよ。

 私はよく言葉がわかっていないのですけれど、ロールだかピッチだかヨーだかを上手く使えば、その問題は片付けられると思うんです」

 と、沢井氏(仮)が割りこむ。

 で、そのロールだのピッチだのヨーだのってなに?

 ヨーヨーなら子供の頃に遊んだけどな。


 困惑の表情になったのは、僕だけじゃない。

 是田も沢井氏(仮)の顔を呆然と見ている。是田も、ロールだのピッチだのヨーだのって言葉を聞いたことがないんだろう。

 一つの会話の中で知らない単語の数が3つもあると、外国語で話されたのと変わらないよね。

 でも、これで問題が解決するなら、ぜひ教えてもらわなきゃ。

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