第45話 神降臨


 火の力ってのはすごいな。

 肌寒かった部屋が暖かくなると、殺風景な穴蔵から人が生活する部屋にイメージが変わった気がする。


 油灯明の明かりは暗い。

 その暗さも寒さをより感じさせていたのに、一つの鍋を囲んでみんなで温まってくると、逆になんか妙な暖かさと一体感が生まれるな。テーブルキャンドルとかと同じなのかもしれない。

 江戸の家族の結び付きが強いってのは、こういうのも理由だったのかもしれないね。僕たちの時間じゃ考えられない共体験だよ。


 最後は是田のアイデアで、鍋に残りのすべての肉とネギを入れ、水を注いで餅も入れた。

 鍋底に貼り付いていたネギと脂が浮き上がってきて、入れ違いに餅が沈んでいく。

 味噌味のイノシシ雑煮だな。


 このあたりになると僕たちはもう気分的に出来上がっていて、鍋を見張る目が疎かになっていた。

 ちょっと油断した瞬間に鍋が吹きこぼれて、火鉢の灰が舞い上がった。

 でも、それも愛嬌だ。


 一瞬てんやわんやにはなったけれど、僕たちも沢井氏(仮)の拭き掃除を手伝った。トータルで5分ぐらいの時間はロスしたけど、特に問題なく無事に雑煮にありついた。そもそも長屋の部屋はあまりに狭くって、拭く場所自体があまりないんだ。

 で、これで最後だから七味も使い切る勢いで多めに振って、ぴり辛でいい香りだ。


 僕たち3人は、はふはふと雑煮を食べ、鍋と器を綺麗に空にするとそのまま畳の上に仰向けになった。

 もう、お腹いっぱいで動けなかったんだ。

 それに、肉を食べ放題に食べたあとの充実感はヤバイよ。


「こんな小さな炭火なのに、吹きこぼれるとは思いませんでした」

「炭火ってのは、見た目より強いんですよ。

 ただ、部屋を暖めるには、上に鍋でも置いて湯を沸かしたほうが暖かくなる気がしますけどね」

「なるほど。

 炭火だと空気が乾きますからねぇ」

 そんな、しょーもない会話をしていたんだけど……。



 そのとき突然、僕の頭の中に雷が落ちるように神様が降りてきた。

 ネギが浮く。

 餅が沈む。

 鍋が吹きこぼれ、流れ出す。

 上がる、下がる、流れる。

 上がる、下がる、流れる。

 上がる、下がる、流れる……。


 僕、飛び起きていた。

「是田さん!

 1日に必要な水量はどれくらいでしたっけ!?」

「なんの?」

「水量ですよ、水量。

 水道で運ぶ水量っ!」

「なに、興奮しているんだよ?

 1日15tだったよな、たしか……」

 僕、頭の中で、3乗根の暗算をする。


 2.5m立方で15tだから、これなら行けるかもしれないっ。

「是田さん、沢井さん。

 聞いてくださいっ」

 僕、是田の肩を掴んでゆっさゆっさと揺り動かす。


「……聞いているだろ。

 だから、なんだよ、うるせーな」

 是田め、不服そうで、眠そうな声だなあ。

 その一方で、暗い中、沢井氏(仮)の目が光っている。彼はもう起き上がって、正座して僕を見ていた。


「潮の満ち引きが問題で、そのせいで揚水機械もその動力の水車も設置できないんでしたよね?

 で、揚水機械が設置できないから、上水を流下させるための高低差が取れなくて、だから水道はできないんでしたよね?」

「ああ、そうだけど。

 今さら、それがなに?」

「潮の力で上水を揚げましょうっ!」


 がばっ!

 是田がものすごい勢いで起き上がった。

 案外、腹筋があったんだな、この人。

 沢井氏(仮)、握りこぶしを固めて畳を殴りつけた。

「なんで、俺はソレを思いつかなかった!?」

 沢井氏(仮)のそう叫びたい気持ちはわかるけど、アンタが思いつかなかった理由まで僕にはわからないよ。


「雄世、東京湾の長潮の時の干満差はどれくらいだ?」

 僕、是田の質問に答えるために情報端末を叩く。

「春秋の長潮の最低値のときで70cm以上、でも、そんなのは1日だけで、大抵は1mを超えてます。

 ただ、大潮の最大値でも2mは超えません」

「じゃあ、1mは常時行けると考えていいんだな?」

「はい!」

 是田が握りこぶしを固める。「これはいけるぞ」っていう高揚なのだろう。


「もともと江戸の上水道は、毎年7月7日をメンテ日にしていたはずです。この日とは重なりませんけど、年に春秋の2日、干満の差の一番少ない最悪の日だけは全体のメンテ日にすればいいんです」

 さらに僕、付け足す。


「言われてみれば、暑くなる手前で水道のメンテしていましたよ。

 中の水を全部掻い出して、職人が中に潜り込んで掃除をして、水樋の木の腐った部分がないかを見ていたし、釣瓶の交換もそのときにしていました」

 と、これは沢井氏(仮)。

 さすがは1年間、江戸で生活していただけのことはある。


「日に15tの水であれば、3m×5m×1mの大きさの掘割の水に浮く水槽ができればいいんです。で、欲を言えば2隻体制です。

 その水槽船が掘割を対岸まで渡り、半日待たずに1m上がります。そうすれば、江戸の東側に水を送る高低差が稼げます。

 そして、半日かけて水を流し出させるんです。

 その間に、もう1隻は上水を貯めるんです。

 で、交互に水を汲むのと流すのとを受け持てば、1日中、上水道に水が流れます」

 僕、興奮気味に説明を続ける。


 是田も沢井氏(仮)も、もう頭の中でモデルはできあがっているだろう。

 でもって、それらの細部が噛み合っていないような事態は避けておかないと、と思ったんだ。

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