第38話 思い込み
今日も、僕たちは沢井氏(仮)を夕食に誘う。6000文の売上から3朱を渡して、だ。つまり750文の分け前、だから、1割5分以上。約束は果たしたぞ。
これで彼は、良くも悪くも僕たちの思いつかない方法で水道を引くことを考えるだろう。基本的に不埒というだけでなく、江戸で1年生活した彼の発想は、僕たちのものとはぜんぜん違うはずだし。
とりあえず、僕たちはそこに期待する。
でも、大切なのは考えを借りても、その方法を採るかどうかは僕たちの判断だということ。その主導権は手放さないようにしないと。
係長が「どのような方法でもいいけれど、違法なことはダメ」と、あえて釘を差したこと、それ自体に意味があると、口には出さなくても僕は思っているんだ。
今日の夕食は一膳飯屋。
菜飯にかぼちゃの胡麻汁、里芋の煮っころがし、メザシという豪華な晩御飯だ。よく見てみれば、秋の食材しかない。旬ってやつだなぁ。
もう涼しいどころか寒い季節だから、品川の方に歩けば刺し身だって食べられたかもしれない。だけど、とりあえずはそこまで歩くことが億劫だ。
「水道を引くのに良い方法はないか、と?」
沢井氏(仮)の問いに、僕は頷く。
手には徳利を持って、沢井氏(仮)の盃にぬる燗の酒を注ぎながら、だ。
酒食を共にするってのは、相手が沢井氏どころか沢井氏(仮)であっても、公務員としては本来的にはよくない。
でも、ここは江戸だ。仕方なく、江戸の風習に沿って行動したと言い逃れることもできるだろう。それに、沢井氏(仮)の(仮)を抜きたかったから、本人確認をする機会を作ったとも言えるんだ。
僕たち、どのような方法でもと言われている以上、このような方法だって採るべきなんじゃないかな。
一膳飯屋は、結局は飲みたい人のたまり場にもなっている。
だからにぎやかで騒がしく、そして暖かい。
本当ならば、佳苗ちゃんたちを連れてきてごちそうしてあげたいところだ。まぁ、あまりガラは良くないし、おひささんが作る食事に比べたら一段落ちる。それでも、外食屋に求めるのはそれだけじゃないだろ。
おひささんの作るものを食べながらじゃ、沢井氏(仮)だって口を開きはしない。
「そちらの
まずは沢井氏(仮)、そう確認を取ってきた。
「使えますよ。
ただ、江戸の人たちからの衆人環視は避けないとですが」
と、これは是田。
「……ふむ」
そう軽く唸って、沢井氏(仮)は猪口を空ける。
僕はすかさず、そこに酒を注ぐ。
江戸に来てからの沢井氏(仮)は、酒を飲む余裕なんか一度もなかったと言っていた。「はずれ屋」からはそれなりに払っているはずだから、口入れ屋か水汲み部隊の上の方がピンハネしているのかもしれない。
ともかく、1年ぶりの酒で、沢井氏(仮)の警戒が緩んでくれるといいんだけれど。
沢井氏(仮)は、ぶつぶつと呟く。
「要は水が運べればいい。
ただ、今の船の上に積んだ樽に水を入れて運ぶ方法は、あまりに非効率的だ。
ただし……」
僕、沢井氏(仮)の言葉に固唾を飲む。
「水輸送の本質は流下だし、その本質は高低差だ。
それはサイフォンとか使おうが動かしようがないし、そこを悩むのは無駄ということだ。
そして、その高低差を確保するのに時間跳躍機は使えない。
つまり、江戸の揚水技術をまずは押さえる必要がある」
「水車は違和感ありますよ」
僕たちの悩みを一瞬で整理した沢井氏(仮)に、僕たちはそう反撃に出る。
「水車?」
沢井氏(仮)、目を瞬かせながら僕たちに聞き返す。
「たとえば、シリアにあるやつですけど……」
「観光ツアーで、大昔のシリアのハマーのを見たことがありますけど、なんで、江戸でシリアの技術を使うんです?」
「だって、他に手がなければ、せめて時間を飛び越えないで済む技術を、と。
シルクロードを通って情報が伝わったという可能性だって、あるじゃないですか」
……沢井氏(仮)、なんでそんな不審そうな顔になるんだ。
「って、是田さんたち、そもそも何メートル揚水するつもりなんです?」
江戸の真ん中で、シリアの水車みたいに20mも揚げるんですか?」
「えっ?」
ちょっ、待てよ。
僕、周りの人から見えないように袂で隠しながら、情報端末を立ち上げる。
一石橋あたりは、ほぼ東京駅の北東近くだから……。
標高4mだ。
って、低っ!!
そんな低いの!?
あんな、ビルに囲まれた海の欠片も見えない場所なのに……。
じゃあ、佃島とか、隅田川の河口付近って……。ああ、そうか、0m地帯って言葉があったなぁ……。
ってことはさ、たった1m揚水できるだけでも、その影響は大きいってことだ。
実は、江戸の上水道は隅田川を渡るどころか、その手前で止まっていたんだよね。で、一石橋あたりで余り水が川に放出されていた。つまり、高低差的にもう流下輸送ができなかったんだ。
だから、ここで1m水位を上げられたら、その効果はとても大きい。そこから、さらにどれほどの面積に上水網を広げられるのかって考えたらね。
僕、端末に表示された地形図を是田に見せる。
是田も指を画面に添わせながら標高を確認して、その指が止まると同時に視線は天井に向けてため息を吐いた。
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