第37話 ミカン完売


「水道のことだけどさ……」

 できるだけ、僕なり悪い表情を作る。

「沢井さんの助けが必要だ。

 なんとか助けちゃもらえねーかな」

 あれっ、沢井氏(仮)、乗ってくるかと思ったらどん引いてない?


「やめろ、雄世。

 お前、ただでさえちょっとムキムキだし、その作った顔が怖くてわざとらしいんだよっ。話が変な方向に転がるだろっ。

 そもそも、なんの演技だ?」

「えっ、僕、演技派じゃないし、そこまで酷くはないでしょ?」

「時々思うんだけど、おまえ、一度死んだ方がいい。

 特にその、わかったような顔っ」

 心外だっ。失礼なっ。


 ここで是田も小声になって続けた。

「沢井さん、このバカはこっちに置いておいて、水道についても協力して欲しい。

 これから一緒にな、いろいろ頼むよ」

「どういうことです?

 なんかの懐柔ですか?」

 沢井氏(仮)の声も相当に小さい。


 やっぱり、作った表情だけじゃダメかぁ。

 こういう腹芸の役割は、1つでも歳をとっていた方が有利だ。落語家が「いくら芸を磨いても、外見が老けないと長屋の隠居に説得力がでない」って言うのとおんなじことだな。理屈じゃないんだ。

 だから、僕より是田の方が向いている。こういう人間関係の機微は昔から変わっていないし、これからも変わらないのだろう。

 


「俺たちだけじゃ、適法のいい方法を見つけられなくてな。

 公務員の発想の外から、いろいろ見えるものを教えて欲しいんだよ。それが上手く行けば、水道だって出来上がる気がしてな」

「それは、是田さんたち、水道が引けるまで帰ってくるなとか言われちゃったパターンですか?」

「そんなところだ。

 雄世もそれで焦っているんだよ。若いしな」

 是田ぁ、そう言いながら、僕を指差すのはやめろっ。


「今回のこのミカンについてもだけど、できるだけ便宜は図るからさ、頼むよ。

 こっちも上手く稼がないと、工事費用が出ないんだ」

「とはいえ、売上の1割ぐらいは貰えるんでしょうね?」

「いいさ、それで手を打とうじゃないか」

 うう、男同士の湿った会話って感じで、やだなぁ。


「もう1つ、いいですか?」

 沢井氏(仮)、さらに呟く。

「なんですか?」

「ハンバーグやステーキとは言いません。

 せめてカレーうどんだけでも、復活させて食べせてもらえませんか。いくらか貰って帰って、うちでカレーライスにもしたいし。

 米と野菜と魚を味噌醤油とだけってのに、そろそろ限界が……。

 ホームシックに罹りそうです。

 せめて飯くらい、もう少し……」

「いいでしょう。

 おひささんと相談しときますよ」

 是田と沢井氏(仮)、最後にまた顔を合わせて笑い合った。

 やっぱりなんかイヤらしい。悪事を企むと人間、こういう顔になっちゃうんだなぁ。その是田に、「特にその顔」なんて言われる筋合いはないぞ。


 まぁ、沢井氏(仮)のカレーうどんの要望、低いハードルだけど、僕たちを茹でガエルにするために打った手であることには間違いないしな。

 後で改めて、是田とは相談しとかないとだな。越えられないハードルの高さを、2人で厳密に決めておかないと付け込まれるな。

 これ、僕たちなりにタイトロープなんだ。



 その日1日、営業はいつものとおりだった。

 蕎麦うどんが売れたように、ミカンも飛ぶように売れた。

 で、見ていて面白いことに気がついたんだけど、ミカンが売れるときは偶数個のことが多いんだよ。

「はずれ屋」では、袋なんか用意していない。だから、みんな袂に2つずつ入れたりして持って帰る。案外、和装ってポケットはないけど物を運ぶ機能があるんだよね。というか、袂になにか入っていないと、ひらひらしすぎて綺麗じゃない。

 でもって、左右の袂に同じ数入っていないとバランスが悪いみたいなんだ。


 で、蕎麦うどんを食べない通りがかりの人でも、ミカンは買っていってくれるから、店じまいのはるか手前で売り切れてしまった。

 もちろん僕たち、金勘定は沢井氏(仮)に頼んだ。江戸で苦労している沢井氏(仮)は、勘定をちょろまかすかもしれない。

 つまり僕たちは、この会計を沢井氏(仮)への試金石としたんだ。



「売れ上げ。6020文でございます」

 お、1両2分超えたじゃん。

 600個を僕たちは買った。で、農家で600個注文して、ぴったりの数来ることは少ない。今回は特に、第一村人夫妻が収穫してくれたものを買った。つまり、お互いにお互いが数少なく数え違えることを想定して、数多く穫っている。

 その上で僕たちは、「はずれ屋」面々の全員に2つずつミカンを配った。だから、数え違いやお客に対するおまけ、傷物ミカンもあるだろうから、それらの誤差

を見て、5800文以上だったら沢井氏(仮)のちょろまかしはないと判断しようと考えていたんだ。

 ま、第一村人夫妻が予想外におまけしてくれたってのも、言えるかもな。


 こういうの、ちょっとエラそうでイヤらしい考えだってのは、十分に自覚している。

 でもこれも仕方ない。

 それに、沢井氏(仮)だって、僕たちの考えを読んだ上でちょろまかしをしないう選択をしたってことも、考慮しておかなくちゃいけない。

 そして、それでもこのチェックをしていたことが、後から効いてくるはずなんだ。


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