第35話 江戸、長屋の朝食


「まあ、直接肉体に聞くなどという、そんな非効率なことをするつもりはない。

 拷問なんて、いくら痛めつけてもその場のがれの嘘を吐くかもしれないしな。

 やるなら自発的に話させないと」

 だから、係長、アンタが怖ーえよ。

 最初っからソレって、洗脳前提だろ。


「じゃあ、どうしたら……」

「沢井の善意に期待しよう」

 どういうことだろう?

 拷問と洗脳はなしってこと?


「まずは水道事業を完遂させろ。

 法さえ守っていれば、方法は問わない。これは局長まで了解済みだ」

「……マジですか?

 俺と雄世、とかげの尻尾切りの尻尾役は嫌ですよ」

「心配するな。

 尻尾なぞ、いくらでもまた生えてくる」

 だから、その言い方が信用できないんだよっ!

 僕たちの代わりなんかいくらでもいるって、そう言いたいんだろ。



 係長は言うだけ言うと、僕たちを根津権現に降ろして帰っていった。

 早いとこで佳苗ちゃんが更新世ベース基地にスカウトされてくれないと、係長の動きが制限されて仕方ないな。

 とはいえ、佳苗ちゃんの方とこそ一緒にいたいけど。

 そもそも係長がいつも横にいたら、僕はストレスで死ぬ。よくもまあ、未来の僕はアレに会いに行くもんだと思うよ。


 僕たちは長屋まで歩き、薄い布団にくるまった。

 うん、この布団、昼間太陽に当てて干してあるな。おひささんの姑さんが干してくれたのかもしれない。足が悪いのに無理してくれたんだろう。ありがたいことだよね。



 で、うとうとしたぐらいの感覚でもう翌朝。

 長屋の衆の朝はやたらと早い。僕たちが普段起きる時間感覚に対して、3時間は前倒しになっている。

 炊飯器だのタイマーだのもないのに、空が薄明るくなる頃にはご飯の炊けるいい匂いが漂っている。で、竈の残り火で手早く味噌汁が作られ、お金がある家ならメザシくらいが炙られる。

 基本的に江戸では、温かい食事は朝だけだ。だから、朝がメインの食事になりがちなんだ。


 ありがたいことに、間を置かずにおひささんの台所で炊かれた御飯と大根の味噌汁、炙った干物の鯵を持って、佳苗ちゃんが僕たちを起こしに来た。

 旅籠の朝食もよかったけど、やっぱりレベルが違うな。美味しすぎるぞ。

 同じお米を炊いたもののはずなのに、別の食べ物と言ってもいい。オコゲの加減も良くて、ご飯と塩だけで3杯食べられちゃいそうだ。やっぱり薪とか炭はすごいよ。香ばしさが違う。この匂いだけで目が覚めるな。

 将来、もしも僕が家を建てたなら、予算的に小さな家を建てることになるけれど、大きな窓と小さな竈を置きたいぐらいだ。


 で、朝ごはんにこういうものを食べるのがよくないのは、今日一日これから働くんだからという言い訳が成立して、自制が効きにくいことだ。何杯でもお代りしちゃいそうだよ。

 あとでまた新潟に米を買いに行って来ないと、おひささんの家計に対して申し訳ないな。



 食事が終わると、僕たちは揃って長屋を出た。

 朝食の後片付けは、姑さんがやってくれるそうだ。それに、水道について幕府の人に手紙を届けてあるということで、返事待ち。昨日の今日だからすぐに返事は来ないだろうけど、それでも手を打ってもらっている。

 共にありがたいことだよ。



 そして今朝の僕と是田、他の人には言えない悩みを抱えている。

 今日も沢井氏と顔を合わせるからだ。さてはて、どんな顔で接したらいいんだろう?


 どうしたもんかとは思うけど、係長の指示は沢井氏については特になかった。それより、水道の件に注力しろということだった。しかも法さえ守っていれば、方法は問わないというくらい強い指示だ。そう言われちゃえば、僕たちはその線で頑張るしかない。

 おそらく結果として、なにかが付いてくるのかもしれないけどな。



 朝イチの「はずれ屋」。

「おはようございます」

「やぁ、おはようございます」

 もうすでにみんな来ていて、開店準備が進んでいる。

 水汲み部隊は最初の1回目を汲みに行っているし、女子たちもきびきびと掃除に余念がない。


 僕と是田、顔を見合わせて、お互いに考えが一致しているのを確認した。

「おひささん、佳苗ちゃん、これから出汁をひくわけだから、僕たち半刻ほどいなくなってもいいよね?」

「どうぞ、行ってらっしゃいませ」

「ありがとう」

 僕たち、そそくさと歩き出す。


 寛永寺裏、人の波が切れるあたりでタイミングを見計らって、時間跳躍機公用車を静止軌道から下ろす。

 で、乗り込んで消えるまで数秒。

 我ながら、このまま戻らなかったら神隠しって言われるほど、見事な消えっぷりだなぁ。



 僕たちが空間を跳んだ先は、紀州。

 上空から見て、ミカンがなっている山を探す。

 で、探すと言ったって、ミカンの木が深山にあるわけもないから、有田川沿いに遡りながら集落ごとに周りを見回すだけだ。

 で、ものの5分もかからずに良い畑を見つけたよ。ミカンがたくさんなっているのを眺めていると、心が豊かになる気がするねぇ。


「おはよう。

 すまないね。

 ミカンを背負い大篭ごと1つか2つ、売ってくれないかい。

 背負い大篭1つで、ミカンはいくつくらい入るかな?」

 さっそく僕と是田は時間跳躍機公用車を降り、見つけた第一村人に交渉を持ちかけたんだ。

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