第23話 佃煮


「是田さん、隅田川の川の流れで水を上げるのはどんなもんでしょう?

 つまり、水車動力で」

「シリアのノーリアってヤツか?

 まあ、隅田川の水を揚げたって仕方ないから、動力だけ隅田川、水は水道の水と考える必要があるんだろうけれど……」

 是田が話している間に僕、情報端末でそのノーリアっての動画を見てみた。うーん、農業用水ならいいけど、飲料水には使えないじゃんか、これ。

 相変わらずの的外しかと思ったけれど、まあ、是田もこれがそのまま使えないのはわかっているらしい。


 シリアと言えば外国ついでで、ローマはたくさん水道橋を作っていた。オランダもたくさんの風車で揚水していたな。

 僕、改めて情報端末を叩く。是田も横から覗き込んでくるけど、すり寄ってきて欲しくはないなぁ。


 ただ、まあ、見てみただけだ。

 だって、どっちも江戸には使えない。石造りのアーチ橋を多摩から引っ張ってくるとか、隅田川河口に風車が林立してぶんぶん回っているとか、それこそ歴史が変わり過ぎちゃう。

 ……面白いけど。


 思うんだけどさ、僕たちが民間企業の人間だったら、こういう企画書出したらウケるんだろうなぁ。

 公務員の中だと白眼視されるけど。

 ブレーンストーミングだなんて言っても、実際にアイデア出すと叩かれるのが当たり前の世界だからね。



「なぁ、雄世。

 そもそもだけど、運ぶ水量ってそもそもどのくらいなんだ?」

「……マジにそもそもの、そもそも論ですね。

 たしかにそれは必要なデータでしたね。

 すごーくざっくりと計算してみてもいいと思うんですけど、対象を川の中州ってことで佃島を想定して、生活用水はあるけど飲料水だけはないって考えればいいんですよね。トイレを流す水とか、それこそ溺れるほどあるでしょうから」

「ああ。

 いわゆる生活用水は対象外でいい。

 あくまで飲用、料理までで、それで十分だろ」

 言われて僕、再び情報端末を叩く。

 つくづく便利な代物なんだな、情報が得られるシステムってのはさ。


「防災備蓄として水を用意するときは、1日3リットルが基本みたいですよ」

「1000人相手でも、1日たった3tでいいのか……」

 是田と顔を見合わせて、ちょっとびっくりだ。

 割り算してみたら1時間あたり125リットル、ざっくり1分で2リットル、蛇口からちょぼちょぼ出した程度の量の輸送で済んでしまうんだ……。


「対岸までの水量をまかなうとなるとシャレにならないでしょうけれど、中洲だけだとすると予想外に少ないですね」

「現状、桶で運んでいるんだろ。

 逆にそんなものなのかもしれないなぁ。

 所詮、佃煮作っている漁村だもんな」

 うん。

 それは是田の言うとおりだ。



 端末で調べてみたら、正保元年というから今からたった40年前に34人の入植から佃島の歴史は始まった。

 今人数が増えていたって、1000人ってこたないよね。

 ただ、例えば現状を100人と想定すると、1日300リットルしか要らない。こうなると、そもそも費用対効果で水道を引くこと自体が無駄ってことになりかねないな。

 やっぱり対岸までの水輸送を考えるべきなんだろうか?

 ま、佃島を中継点にしてもいいかもだけど。

 きっと永代橋を架けるなんて話だって、そろそろ持ち上がっているんだろうなぁ。あれは元禄の作だから。


「逆に、ある程度の水の供給をしたら、佃島の人口が増えそうですね」

 僕の言葉に、是田は深く頷いた。

「だとしても、すぐに万の単位の人が住むとは考えられないけれどな」

「そうですね。

 いくら佃煮産業が発展したって、さすがにそこまではねぇ」

 そう言って僕たちは笑った。

 1000人単位で佃煮を煮ている江戸の漁村を想像したら、なんか可笑しいだろ?


 ただ、佃煮が安定的に買えたんだったら、「はずれ屋」のお握りに入れても良かった。コスト削減のためになにも考えずに昆布の佃煮は自分たちで煮ちゃったけど、プロが作ったものの方が美味しかったかもしれないしね。


 そう思って僕、情報端末で貞享年間の佃煮の生産高とか価格がわかるか調べて、茫然となった。

「是田さん……」

「なんだ、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」

「いつの生まれですか?

 そんな表現、初めて聞きました」

「やかましい。

 また口を捻り上げるぞ!」

 だからそれはパワハラだって。


「……佃島の漁村、佃煮作ってません」

「は?」

 なるほど、これが「鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔」か。


「だから、佃島では、佃煮作ってないんですよ」

「ど……、どういうこと?」

「佃煮、今から150年以上未来の食べもんです。

 通潤橋の4年後です!」

「……うそ」

「うそなんて吐いてませんっ!」

 是田、僕の手から情報端末をひったくって、画面を叩きまくる。

 そして、天を仰いだ。


「……やっちまった」

 なんだい、大げさだな。

 佃煮産業がないなら、佃島には今だって50人くらいしか住んでいないかもしれない。運ぶ水量が少なくて済んでいいじゃんか。

「まあ、こういうこともありますよ。

 楽になっていいじゃないですか」

 僕、そう是田を慰めたんだ。


 そうしたら是田、蒼白な顔で僕の胸ぐらをつかんで振り回した。

「ちょ、是田さん、是田先輩、なにするんですか。

 僕がなにをしたっていうんですかっ?」

「馬鹿野郎っ!」

「やだな、先輩。

 なに泣いているんですか?」

 どうしたんだ、一体全体。

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