第22話 水が川を渡るには


「例えば、単純に水道橋を架けるという手は難しいでしょうね」

 と僕が言ったのには、いくつも理由がある。

 

 江戸を通して有名な水道橋は2つある。

 熊本の通潤橋とこの江戸の水道橋だ。江戸の水道橋は、橋そのものは残らなかったけれど、地名となっては残った。

 情報端末の画面を叩くと、詳細が出てきた。


 通潤橋は今から150年以上未来の橋だ。高いところから一旦水を水管に落とし、逆サイフォンで対岸に水を吹きださせている。

 水道橋は懸樋式で神田上水を通していた。これはまんま水路の橋で、雨樋が谷を渡っていると思ってもらえばいい。これは、今から30年ほど前に作られている。


 ともにポンプなんかないわけだから、重力による流下によって水は運ばれているわけだ。

 橋の立地条件も同じだ。

 渡るべき川は谷底を流れていて、橋はその谷に架けられている。通潤橋はアーチ橋だし、水道橋は木造の懸樋だから橋自体の構造は違うけれど、橋を架けること自体は楽なんじゃないだろうか。だって、川の両岸に橋を支えるための構造物を建てなくていいんだから。

 乱暴な判断だというのはわかっているよ。

 それでも、素人考えでも、わかることもあるさ。


「川底にトンネルを掘るのはダメか?」

 と、これは是田の質問。

 まあ、その手もありはするな。でも……。

「無理だと思いますよ」

 と、僕。


「なんで?」

「ちょっと考えればわかるでしょ。

 このあたりは河川の暴れた歴史の上にできている地盤ですよ。掘っても砂地と泥。その川底のさらに下を掘るなんて、自殺行為以外の何物でもないでしょ。

 江戸の土木技術は極めて高いとは思うけれど、コンクリを流し込んで固めてから掘るなんてことはいくらなんでも無理でしょうし」

「考えが足らなくて悪かったな」

 くっ、めんどくせー。


「一応、調べてみて。

 掘れるかどうか」

 素直に諦めないなぁ、是田。


 僕、情報端末で東京の地質図を探す。うん、一瞬で出てきた。

 前回これができていたら、カレーのスパイスなんて30秒でわかったのになぁ。

「やっぱり駄目です。

 あの辺りの地質は干潟堆積物と低湿地谷底低地堆積物でできているそうです。

 これを掘り抜いて岩盤を掘るなんてのは、更に無理でしょう」

「やっぱりかー」

 是田が天井を見上げた。


 そう、やっぱりなんだ。

 幸運の女神は僕たちに、そうそう微笑んではくれないんだよ。

 

「やはり、橋を架けるしかないでしょうね」

 と、僕。

「橋はいいんだよ、単なる橋は。

 構造がどうの、強度計算がどうのと、俺には想像もつかない世界だ。江戸の大工の腕に期待するしかない。でも、千住大橋も両国橋もすでに架かっている。だからそこは心配していない。

 でも、問題は、橋まで水を揚げられるかなんだ。

 そもそもなんだけど、江戸の水道の末端はどこよ?」

 くっ、是田め、人使いが荒いな。


 僕、情報端末をいじくりまわす。

 あ、思ったよりあっけなく出てきたな。

「銭瓶橋および一石橋。

 江戸城のほぼ真東ですね。江戸城と今の隅田川の中間くらいの位置です。

 この橋たちはお堀に架かっていて、そのお堀の石垣の中腹から、水道のあまり水が流れ出ていたそうです」

「つまり、水位は相当下がっているんだな」

「……はい」

 悔しいけど、他に返す言葉がない。


 一石橋から隅田の川岸まで、まだまだ距離がある。

 なのに地面は真っ平らだ。

 ということは、さらに水を流すには地下深くに潜っていかざるをえないってことだ。

 

 で、ここまで高低差が生じたら、是田の言うとおり、橋の高さまで水を持ち上げる方法がない。

 水が持ち上げられさえすれば、水道橋と同じく懸樋の水路にできて、一番楽。でもその手段は封じられてしまった。


「なんとか、水を持ち上げる方法があればなぁ」

 是田の呻く声。

「ですねぇ」

 返す僕の言葉も、呻き声に近い。


 まずは懸樋を諦めてサイフォンで、というのは真っ先に思いつくけれど、あまりにハードルが高い。サイフォンでとなれば、水密が前提の水道管とそれをさらに水密で繋いでいく技術が必要になる。そして、そのどちらも江戸にはないんだ。


 未来の通潤橋は石で筒を作って、漆喰で繋いでそれを成し遂げているけれど、それでも逆サイフォンだからうまくいっているってのは否定できない。水密が多少甘くても成立する方法だし、最初の始動も水を落とせばいいだけだから楽。

 普通のサイフォンでも、同じように石で筒を作って、漆喰で繋いで、形は完成させられるかもしれない。とはいえ最後には、始動のためにはそこに水を吸い上げなきゃならない。その方法なんて、それこそ僕には思いつかないよ。真空ポンプなんかないし、そもそもポンプがあれば水を汲み上げているし。

 ここまでは、是田も僕と同じことを考えているだろうな。


 あとは……。

 懸樋方式に戻って牛馬に牽かせて水を連続的に汲み上げるか、隅田川に水車を置いて、それを動力として汲み上げるか、ぐらいしか思いつかない。

 でもなぁ……。

 牛馬で365日、24時間水を汲み上げ続けるってのは、あまりに現実味がない。

 水車も水位が安定して制御できる流れに設置するならいいけど、今の暴れ川と言ってもいい隅田川だからなぁ。

 とはいえ、これが一番現実的と言えば現実的なのかもしれない。

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