第18話 準備の裏側


 貞享の頃の味噌汁って、味噌を湯に溶いただけで出汁も具もないのが当たり前。そこにこれだからね。

「はずれ屋」、その正体は蕎麦屋だけに、汁物丼はたくさんある。血圧にまで責任は持てないけど、丼で大盛りだからたくさん飲むがいい。


「この唐辛子味噌の握り飯も別して旨いな。

 油が浮いた味噌汁なんてと思ったが、やたらとよく合う」

「特別に練り上げた辛子味噌でございます」

「いいなあ、これは。

 味噌汁飲んだら、また握り飯が食いたくなっちゃったよ。

 シメだから梅干しをくんな」

 まいどありー。


 あ、こちらのお兄さんはなんで泣いているかな?

「信州から江戸に来て、この菜を食べたら故郷が目の前に浮かんできて……」

 ああ、江戸は出稼ぎや農家の次男三男の来るところだったね。

 気持ちはわかるよ……。


「海苔を巻いた握り飯たぁ、珍しい。

 真っ黒じゃねぇか。

 食えるのかい、こんなもんが?」

「お試しくださいませ」

 佳苗ちゃんを始めとする女子が、みんなでにこりと笑う。

「お、おう、じゃあ、1つ」

 あ、女子の群れに気圧されたな。可笑しいぞ。


「ささ、どうぞ」

「お、これはいい、米粒が手に付かねぇじゃねぇか」

「味もなかなかでございますよ」

「ふーん」

 かぷっ。

「……うっま!」

 ほら。


「おう、店主、旅から戻ったかい?」

「あ、棟梁、お元気でしたか?」

 あ、女衒のお兄さんを追い払った時の大工の棟梁だ。


「お元気でしたかは、こちらのセリフよ。

 どうした風の吹き回しだい、握り飯たぁ?」

「一つ賭けをしましてね。

 1日だけですが、蕎麦に負けぬ味で勝負ってのをやっているんでございますよ」

「そうかい。

 また面白そうなことやっているな」

 まぁ、苦労の方が多いけれどな。


「実際、これは美味そうだな。

 全部の具を2つずつ包んでくんな」

「おありがとうございます。

 128文のところ、120文で結構でございます」

「なにを言っているんだ。

 賭けをしているんだろ。負けたら敗けるぜ。

 ほれ、130文」

 棟梁、さすがにおとこだねぇ。


「これはこれは。

 では、せめて味噌汁とお茶だけでも飲んでいっておくんなさい。

 これは賭けの余技。

 負けたから敗けるにはあたりません」

「そうかい。

 じゃ、蕪菜のを一つもらおうかな。汁と茶じゃ張り合いが悪いや」

「承知っ!」

「ほい」

 棟梁はその声と一緒に、銭緡ぜにさしを2つ僕に渡してきた。


 銭緡ってのは、96文の銭の穴に紐を通したもので、100文として通用するんだ。

 つまり、200文出されたことになる。

 僕、さっそくお釣りを数えて棟梁に渡す。

 大量購入、ありがとうございますー。




 結局、今日は無事に営業できたけど、昨日は死ぬ思いで準備に追われてたんだよ。

 おにぎりの具の材料を手に入れるために、午前は時間跳躍機公用車で日本のあちこちを飛び回った。そして、午後には蕎麦の元締にあいさつして、筋を通した。1日限りのことにてと、そう話しておかないと蕎麦屋台なのにおにぎりで商売したら仁義に反するからね。

 で、夕方から水を汲んで調理をして、具の準備も整えた。鮭も焼いてほぐしたし、辛子味噌も捏ねた。


 そして夕方、俵を開けて僕は凍りついた。

 入っていたのは玄米。

 これじゃ、江戸ではダメだ。やはり白米でないと、お呼びでない。

 精米機なんかないし、水車とかで精米するにしても、営業は明日だぞ、明日。

 で、佳苗ちゃんにご注進に行ったら、呆れ果てたって顔をされたんだ。


「俵に白米が入っているなんて、有り得ぬことでございましょうに。

 常世では、一体どのようにして米を運ばれていたのでしょう?」

「白米は気密の袋に入っているので、それを買ってきていた。

 玄米なんて、見たこともない」

「なんと、見たことがない……」

「ああ、俺も初めて見た」

 是田も僕の言葉に同意する。


 佳苗ちゃん、びっくりしたのか顔が引き攣っている。

「まさか、常世では玄米を見ぬとは……」

「だから、僕たち玄米をどうしていいかわからないんだよ」

「……そろそろ米搗屋こめつきやが参りますよ」

「えっ?

 そんな商売もあったの?」

 佳苗ちゃんの答えに、僕たちは驚いた。


 俵に玄米が入っていることなんか当たり前で、もう手を打ってあったのか。

 なんか、想像の彼方にありすぎて、僕たちだけじゃなにもできないところだったよ。


 で……。

 ごろごろと地響きをさせて、米搗屋がやってきた。

 地響きの音の元は、臼。

 杵を担ぎ、足で臼を転がしながら歩いてきたんだ。


 うっわ、今までも臼を転がしている人は往来で見かけていたけれど、まさか精米業とは思わなかったよ。

 で、1俵の米の精米を頼んだら、時間もかかるからこれからじゃとても無理、と。

 そしたら佳苗ちゃんが、明日の1回目の炊飯の量だけはとお願いして、それは搗いてくれることになった。

 残りは、明日、「はずれ屋」の営業に合わせて、と。


 結局、これも多大な客寄せ効果があった。

 越後の新米の搗きたてを名水で炊き、炊きあがるそばから握ったさまざまな具がたっぷり入ったおにぎり。

 日本人が抵抗できない味覚だよ。

 佳苗ちゃん、よく考えたなぁ。


 ただ、米搗屋としてはとんでもない重労働。

 それを支えたのは、僕たちが持って帰った笹団子だった。ほのかに甘い笹団子に、米搗屋のガタイのいいお兄さんは張り切って杵を振り回してくれたんだ。

 作って2日目だから、1回蒸し直してあげたし、おにぎりももちろん提供したけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る