第10話 空間転移


 僕たち、谷中の神社、根津権現の森の陰まで歩いた。ものの5分ほどだ。

 旦那は、大刀も持ってきて、歩きながらひねくり回している。

 そんなに僕たちが斬りたいかな?

 ……斬りたいだろうなぁ。


 是田が端末を取り出し操作する。

 次の瞬間、昆虫のような姿の時間跳躍機公用車が姿を現した。

 さて、じゃ、乗ってもらおうかねぇ。

 眼の前に現れた時間跳躍機公用車に、呆然と口が開いたままになっている旦那の背を、僕は強引に押す。

 驚いたのはわかるけど、乗ってくんなきゃ始まらないからね。

 僕、埴輪を運んでいる気になったよ。


 ま、旦那に頑強に抵抗されたら、時間跳躍機のマニュピレータで掴まえちゃえばいいと思っていたけれど、案外素直に乗ってくれて助かった。

 ってか、度肝を抜かれすぎて、抵抗する気力も失っているんだろうな。


 是田はコンソールをアクティブにした。一気にパネルが明るくなって、江戸の真ん中に僕たちの時間の世界が出現した。

 是田は、情報端末を定位置に据える。

 これで、充電もできるんだ。まあ、まだロクに減ってないけれど。


「ご母堂のお住みの場所の近くで、あまり人目につかぬ場所はございませんか?

 ここと同じように、人目が避けられる神社や林があれば最適でございます。

 私どもとて常世のことはあまり明らかにしたくはありませぬし、世に乱神怪力を語りたいとはゆめゆめ思いませんからな」

 是田、今のは旦那へのアテツケだろ。

 ま、たしかに時間跳躍機公用車は、江戸の時間からしたら乱神怪力の最たるものだけど、あえてその言葉を使うあたり、だ。是田の気持はよくわかるよ。


「……申し訳ない。

 高田の西、金谷山の麓に我が母の草庵はある。

 その草庵は背に林を背負っており、そこに行くのであれば人目につく畏れはない」

 旦那、ずいぶんと素直になったね。

 ま、仕方ないよね。こんなの見ちゃったら。


 時間を跳んだ先での二重の時間跳躍は法令違反だけど、空間転移は人や物の輸送も含めて法令にはそもそも記載がない。

 ほら、そもそも前に生宝氏が松本藩士を移動させたこともあっただろ。同時間のものなら、無制限と考えていいんだ。ま、もっともあまりおおっぴらにやると、「察知回避義務」に関わってきちゃうけれど。


 今回の旦那の輸送は極めてぎりぎりの例になるけど、「時を越えて未来から来た」ということは、旦那にまったく想定させていない。

 あくまで江戸とは違う常世という、神とか仙人の世界の技術と誤解させている。言い逃れもいいところだけど、僕たちはこれで押し切る。

 まぁ、普通の「時間改変計画」の申請での手段としては、人間が感知できないほどの瞬時に運ぶのが最多だし、寝たり気絶しているところを運ぶなんてのもある。僕たち自身も申請者にはそういう手段を採るよう指導しているけれど、法的に厳密に言えば、僕たちの方法だって紛らわしくはあっても問題はないんだ。



 是田がコンソールを操作して、パネルに地図を表示させる。

 まぁ、旦那にこの地図を見せたって、なかなか瞬時にはどういうものか理解はできないだろう。でも、この正確な地図を見せておくことに意味がある。


 科学技術は、理解していない人からしたら魔法と同じだ。

 でもね、不思議なことにどれほど精度の良い優れたものだとしても、地図だけは違う。なぜか、進んだ技術の産物と思ってもらえるんだよ。現時人はそれを魔法とは思わないんだ。

 魔法と同じだなんて旦那が思うと、またもや乱神怪力なんて言い出すからね。その予防だよ。

 こういうノウハウ、おおっぴらにはされないけれど、時間改善の各係では少しずつ積み上げられてきたんだ。あまり知られると悪いことに使われちゃうから、こちら側から語ることはないんだけどね。



 旦那のご母堂、前は越後高田藩の拝領長屋で暮らしていたらしいんだけど、藩がお取り潰しになった以上、そこに住み続けるわけにはいかない。倒産した会社の社員が、その施設の社員寮にそのまま居座るみたいなもんだからね。

 で、仕方なく伝手をたどって田舎に草庵を1つ借りて、そこでほそぼそと暮らしているらしい。

 旅に出られないのは、老齢というのもありはするけれど、それ以上に病んで足が痛いかららしい。


 まぁ、田舎で人目に付き難い場所ってのはありがたい。

 僕たち、それこそ瞬きをする間もなく、越後高田の金谷山の麓の林の中に移動していた。地図を拡大して、旦那にわかるランドマークを指示してもらったんだ。

 座標は時間跳躍機公用車が静止衛星軌道にいたときに、地図データと1687年の現況を照合済みだから、空間転移の移動誤差はコンマミリ単位だ。


 旦那、呆然とした埴輪みたいな顔しながら時間跳躍機公用車を降りた。

 そして、僕たちの顔を見て、公用車を見て、林を見回して、ようやく表情を取り戻して走り出した。


 侍ってのはよほどのことがなければ走らない。支配者階級が走るってのは、人心に動揺を呼ぶ行為と教育されているからね。侍が江戸で尊敬されていたのは、徹底した自律があったからだ。侍以外の層が、「あの厳しい生き方はできない」って思っていたからこそ、「花は桜木、人は武士」と立てられていたんだ。


 だから、これ、旦那にとってよほどのことなんだよ。

 僕たちも、走る旦那を追った。

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