第9話 侍への禁句


 是田の追求に、ひとしきり目が泳いでいた旦那だけど……。

 いい手を思いついたらしい。

 表情、わかりやすいな。

 旦那の頭の横で、古き懐かしき電球がぴこんって光ったみたいだよ。


「……わが老母を、越後高田に残してきておる。老齢で足が悪いゆえ、すでに旅はできぬ。

 その母に一夜で文を届けてきていただきたい。

 さすれば、10日ほどののちには老母より返書が届こう。その暁には、常世のことも信じようではないか」

 あ、姑息なこと考えたな、コイツってば。


 江戸へ越後高田から飛脚を飛ばしても、最低でも10日はかかる。往復したら20日だ。だから、旦那の思いついたこの案は間違ってはいない。

 でも、それ以上にこの案に隠されている旦那の考えは、少なくとも10日間は問題を先延ばしできるし、今晩僕たちを泊めるうんぬんの話もキャンセルできる。おひささんをもう10日軟禁できるし、「はずれ屋」がその間に潰れてくれればさらに御の字ってもんだ。

 旦那、「これですべて解決」とでも思っているんだろうな。


 是田と僕、目を合わせて、一瞬で了解し合った。

 僕たちの間で理解に言葉はいらないってのも、なんかすっごく腹立たしくて気持ち悪いけれど。

 でも、やっつけてやる。

 僕たちを舐めたことを言うからだ。

 是田と僕、その思いは一致したんだ。


「旦那様。

 正直、驚きましたな」

 是田が口火を切った。

「なにが、かな?」

「子として母に孝心はござらぬのか、と。

 このような賭けにも等しいことに、ご母堂を持ち出されるとは」

「な、なにっ!

 おのれっ!」

 おぅ、怒ったな。

 簡単だよな、このタイプを手のひらの上で転がすの。



 是田に続いて僕、さらにおひささんの旦那を追い込んじゃうぞ。

「まことの孝心あらば、老齢だの足が悪いだの言い訳を言う前に、不自由なき生計たつきをたてられて、馬でも駕籠でも歩かずとも良いようにしてこの江戸に呼び寄せるがよろしかろうに、と。

 そのようなこと、考えたこともないのでございましょうや?」

「こ、こここ、この……。

 それができていれば苦労はせぬっ。

 おっ、おのれっ!」

 おおー、わなわなしているなー。


 夜のご自宅だから、脇差ししか持ってなかったからね。夜の来客とは言え声掛けは佳苗ちゃんだったし、油断したんだろうな。

 おかげで僕たち、安心して追い込めちゃうぞ。


「それに、文だけとはなんと冷血な。

『即刻、母に会わせろ』と、そう仰ることができる良い機会であったのに。

 それが、ご母堂を賭けのダシにしたと言われる程度のことしか仰られず、いやはや小さい小さい。

 侍が聞いて呆れる」

 旦那の目が据わった。


 旦那の後ろで、おひささんがひろちゃんを抱き上げておろおろしているのが見える。

 まぁ、そうだよね。

 おひささんも佳苗ちゃんも、未だ時間を跳躍してきた僕たちの本当の姿を知らないんだから。


「ようも言うてくれたわ。

 よかろう。

 即刻、母に会わせていただこう。

 できない時は、自ら腹をかっさばくことになろうと、そなたらを生かしては置かぬ」

 顔色は蒼白のまま、言葉が怒りに震えている。

 うん、視線で人が殺せたら、僕も是田も3回ずつくらい死んでいるな。


「それでは、根津権現までおはこびいただきたい」

「なにゆえ、そこまで行かねばならぬのか?」

「我ら、常世の者にとってはわけもないことであれ、瞬時に移動する術はこの世の者には秘しておかねばならぬこと。ここでは、長屋の者たちの目につきましょう。

 一分(今の時制で4分48秒)ほどのことであれば、同道願いたい。

 是非っ」

「そのようなこと信じられぬ。

 それに……」

 ふん、なにうだうだ言っているんだよー。

 まさか、怖いんじゃないだろうな。そんな情けない状態のくせに、僕たちを「斬る」なんて言ったんなら、絶対許さないんだからな。


「最初に証しを立てよと申されたのはそちら。

 こちらがその証しを立てるにあたり、見届けるためのわずか一分程も歩くのが嫌とはどういうことかと。

 今さら、うんぬん言い出すのは敵前逃亡に等しく、卑怯ではござらぬか?」

 ふん、これは殺し文句だ。

「さ、侍に向かって卑怯と言うかっ!?」

 侍に「卑怯」とか、「嘲笑わらってやる」とかの発言は禁句だからね。血を見ないと済まないことになる。


「証しを立てるのを見届ける覚悟なくて問いをなされたのであれば、それはたしかに卑怯でござりましょうよ」

 是田もわかっていてさらに煽る。

「ええい、行けばよいのだなっ!」

「はい」

 うん、誘導上手く行った。単純な人で助かる。

 とはいえ、これで僕たちが詐欺師だったら、マジで殺されるパターンだなー。



 とりあえず、おひささんとひろちゃん、そして佳苗ちゃんもお留守番。

 この辺りの女性軍は、時間跳躍機に乗せるわけにも見せるわけにも行かないんだ。

 佳苗ちゃんは時間を先取りしすぎることになるし、おひささんとひろちゃんは歴史に名が残っちゃう人だから、変なことを言い伝えられても困るからね。


 で、着流しの旦那が出かける支度に羽織と袴を身に着けている間に、僕は佳苗ちゃんの耳にごそごそとつぶやく。で、佳苗ちゃんがおひささんにごにょごにょリレーで呟いて、僕の手元に逆経路で紙包がやってきた。

 うん、これ、必要になるだろうな。

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