第8話 またもや公務員の必殺技


 佳苗ちゃんの口調が切実なものになった。

「私、連日の夫婦の諍いを聞いているのに耐えられず、逃げ出して宿を泊まり歩いていたのです。長屋の壁は薄く、筒抜けでございますから……。

 ですが、この数日、お地蔵様にも花を供えていないことを思い出しまして……。夜になってしまったとは思いましたが、花を持って来てみれば……。

 目太様と比古様に会えたのは、もはやお地蔵様のお導きとしか思えませぬ」

 あー、そう。

 お地蔵様ってのは、未来ではウシガエルじちょーみたいな顔しているんだぜ。



「で、もう一度確認するけど、おひささんの意思は、旦那の仕官の応援ってわけでもないんだよね?」

 と是田が聞く。

 うん、これは再確認しておくべき重要なことだよね。


「言うまでもないこと。

『はずれ屋』で仕事がしたい、と。

 そもそも仕官に賛成であれば、軟禁されるはずもなく」

「まぁ、そうだーね」

 僕もそう言ったきり、すぐにいい考えも思いつけず、口を閉ざすしかなかった。


 とはいえ、蕎麦をすすり終えていつまでも長居していられはしない。

「とりあえず、長屋に戻るのはやぶさかではございませんが……」

「が?」

「まことに申し訳なきことながら、目太様と比古様をお泊めするのはさすがに嫁入り前の身としては都合が悪く……」

 ああ、そうだね。

 嫁入り前の娘の部屋に、男が2人も上がりこんで泊まったら、身持ちの点で悪い噂が立つ。僕たちの時間の常識でもちょっとヤバいもんな。

 ま、そう考えるのは、今の佳苗ちゃんだからだろうな。


 ちなみに、今の芥子係長なら、ためらいなく僕たちを一晩中ドアの前の通路に立たせるだろう。その上で、嫁入り前の娘の部屋の前で男を2人、朝まで立ち番させた冷血女という悪評が立ったらヤバいって、そう考えるだろうな。

 ああ、汚れちゃったんだね、佳苗ちゃん。



「いっそ、おひささんのところに泊まれないかな?

 いろいろ雰囲気も掴めるだろうし、旦那がいれば問題ないよね?」

 と、僕。


「ああ、その手がありましたね。

 つまり、私がおひささんのところに泊まり、目太様と比古様を私の部屋に泊まればよいのでございます」

「ああ、なるほど。

 その話の過程で、おひささんちのこともよりわかりそうだし、その案で行けたらありがたいな」

 と、是田。


 うん、これで寝る場所も確保できたし、どうなるかは別としておひささんにも会えるなぁ。そして、ひろちゃんは僕たちを覚えているだろうか……。

 僕たちの顔を見てもため息吐かないでいてくれる、唯一のオアシスのような存在なんだから忘れないでいて欲しいなぁ。




「遅くに御免くださいませ、佳苗でございます」

 佳苗ちゃん、ほとほとと長屋の引き戸を叩く。

「しばしお待ちを」

 あ、おひささんの声だ!

 ようやくこれで、「はずれ屋」の顔が揃うぞ。


 と思ったのだけど……。

 がらっと引き戸が開いて顔を出したのは……、旦那だ。

 ちょっと胡散臭そうな顔をして佳苗ちゃんを見て、それからその後ろにいる僕たちを見た。

 ま、お互い、顔だけは知っている仲だ。

 あ、露骨に嫌な顔したなっ。


 佳苗ちゃんも負けてはいない。

 滔々と口上を述べた。

「『はずれ屋』店主、目太様と比古様が常世への旅からお帰りになりました。

 つきましては、私め、厚恩ある身、このお2人をお泊めせねばなりませぬ。

 なので、我が間をこのお2人に譲り、私めは一宿の恩義にあずかりたく、かく罷り越しました。

 是非とも、願い、お聞き届けいただきたくっ」

 くぅ、強いなぁ。

 武士階級ってのは、やっぱり町人とは違うんだなぁ。


「願いはわかれども、甚だ迷惑。

 他に宿はとれなかったのか」

「常世の方は、現世と違う刻を過ごしていらっしゃいます。

 ゆえにそもそも、ご指摘のことは能わずのことにて。

 また、そちら様とて目太様と比古様に対し、恩義がありましょう」

「くっ。

 たしかに、常世の方に恩義はある。

 恩義はあるが……」

「なら、結構でございましょう。

 ましてや、常世の方お2人を直接にお泊めして欲しいというわけではございませぬ。

 なにとぞっ」

 佳苗ちゃん、迫力だなぁ。

 


「その前にこの際であるから、1つお聞きしたい。

 四書五経にあたれども、常世なるものについての記述はなく、目太殿と比古殿の正体は未だ掴めず。

 君子、乱神怪力を語らずと申す。

 恩義は恩義として、目太殿と比古殿が狐狸の類でない証が立たぬようであれば、我が妻含めて断罪せねばならぬこと。

 如何?」

 うっわ、めんどくせっ!!


 さすがに答えようがなくて、佳苗ちゃんがちらちらとこちらを窺っている。

 さて、どうしようか……。

 時間管理局の身分証なんか見せてもしょうがないし、そもそも現時人に対しては「察知回避義務」を負っている。

 だから、これって案外難題なんだよ。


 ええい、許認可業務の公務員の必殺技、オウム返しの丸投げだっ。

「逆にお聞きしましょう。

 狐狸の類ではないと、どうしたら信じていただけるのでしょうか?

 こちらがこちらの舞台でなにかしてお見せしても、ご納得はいただけないと思うのですが?」

 おひささんの旦那、ぐっと詰まった。


 そりゃそうだ。

 いちゃもんつけたいだけで、それ以上のことは考えちゃいなかったんだろうから。

「我らは常世の神に仕える人にて、それ以上でもそれ以下でもございません。

 人でありますから、斬られても生きているなどということもございませんし、しっぽもございません。

 その上で、ご満足行くようにいたしましょう。

 さあ、さあっ!」

 是田さぁ、前に女衒の兄ちゃんを追い込んだときにも思ったんだけど、こういうの好きだろ?

 もー是田、イキイキしているよね、こういうときはさ。

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