第7話 貞享4年の侍の夢


「そ、そんなことはないよっ。

 僕たちが仕事ができないとか、そういうのないからっ。

 その芥子様とやらと上の横暴で、今回、とばっちりを食らっただけだっ」

「そうだ、、なにもしていないぞ、僕たちっ!」

「つまり、やはり前回は、なにかしでかされていたのですね」

「このバカっ!」

 と、最後の罵声は是田が僕に向かって、だ。

 ……ああっ、しまった。


「あんときは、こいつが芥子様とやらに逆ギレして……」

「いいや、こいつが調子に乗って芥子様とやらに失言して、尻軽とか言い放って……」

「もう結構でございますっ」

 ……ちっ。


 結局、前回の江戸でのすったもんだ、是田と僕の間でどっちの責任なのかまだ決着はついていない。表に裏に、状況が許せば首を締め合う状態でも、未だ納得できていない。

 でも、絶対僕のせいじゃないし、どこかで決着付けてやるからな。


「それより、おひささんの事情、聞いていただけないでしょうか」

「あ、ごめん。聞きます」

「……はぁ」

 ……佳苗ちゃん、僕たちの顔見て、深々とため息吐くの、止めてもらえませんかね。

 話は聞くからさ。

 解決できるとは言わないけれど。



 結局、夕食は蕎麦になった。

 居見世という、屋台ではない外食屋もちらほらできている貞享の世だけれど、鰻はまだ蒲焼きになっていないし、どぜうもない。もちろん、握り寿司だってない。天ぷらも居見世ではない。火災予防の点から、揚げ物である天ぷらは屋台でしか許されていないんだ。

 で、立ち食いで込み入った話をするのは嫌だし、そうなると一膳飯屋か蕎麦しかないんだよ。


 で、蕎麦を待ちながら、佳苗ちゃんはぽつりぽつりと話しだした。


 おひささんの旦那、一度は侍を辞める覚悟をした。

 越後高田の藩がお家騒動でお取り潰しになって以後、仕官の道も勘定方そろばん侍では得難く、侍を続けていたら路頭に迷うところまで追い込まれていた。

 それに、元々、そろばん侍だからって他の侍から馬鹿にされたりもしていたし、生活のため、ひろちゃんの養育を考えれば、おひささんの稼いている「はずれ屋」に絡む仕事で、そろばんの珠を弾くのが一番の安定した生活プランだった。

 

 なのに、貞享4年のこの年、お取り潰しになったはずの藩の藩主が江戸柳原の屋敷に入ることになり、諸侯に復帰した。こうなると、旧家臣団は藩主のもとに集結することになる。

 で、いくらお家再興したって、元々40万石もの大藩が3万俵ぽっち、1万2000石相当の米を貰ったからって、家臣団が養えるはずもない。

 で、旧家臣団で始まったのは、忠義比べというやせ我慢大会だった。


 佳苗ちゃんが「アホらしい」というのは、そのやせ我慢大会の勝敗と仕官は全然連動していないということ。


 そりゃそーだ。

 やせ我慢に強いやつより、普通に使えるやつを採用するよね。

 で、武道に秀でた侍を二流のそろばん侍にできなくはないけれど、一流のそろばん侍を二流と言えど木刀での殴りっこに強くするのは無理がある。

 で、そろばんだけでなく、他のジャンルすべてでこれが言える。侍の表芸は武道だからね。


 だけど、そんな現実、だれも見たくないから見ない。

 で、自分が一番忠義の臣だと、見当違いのアピールしあうようになってしまった。


 そうなると、おひささんが広小路の屋台で蕎麦を茹でているということ、旦那からしたら許せなかったんだ。

 忠義のため二君に仕えず、清貧にひたすら耐えていたってのが侍の美学としてはいいらしい。

 こうなると、妻の内助の功として美談になるのは針子内職くらいまでで、調理場でシェフになってばりばり働いていたなんてのは論外だと。


 で、こう言っちゃなんだけど、おひささんと旦那はなにを話しても噛み合わず、ついにはおひささん、出勤できないように旦那に軟禁状態にされちゃった、と。


 佳苗ちゃん、話しながら最後には途方に暮れた顔になった。たしかに困ったもんだ。

 で、それでも蕎麦のおかわりを頼むあたり、やっぱ強いわ、この娘。

 でもって、それでも性根以外太らないあたり、全身筋肉なんだろうなあ。

 


 僕たちも、ここまで具体的な話を聞けば、この先のことの想像はつく。なんて言っても、僕たちは史実を知っているからね。

 最後はこの殿様、10万石の藩主にまで復帰する。

 おひささんの旦那が運良く再仕官できれば、その流れで食いっぱぐれないかもしれない。でも、それはかなり分の悪い賭けだ。10万石の藩主になったって、元の4分の1なんだから。

 でも、侍の意地ってやつが、その無謀な賭けをさせるんだろうな。


 佳苗ちゃんも浪人とは言えど侍の娘、その賭けを止める言葉を持たない。

 僕たちだって、冷静に考えて、おひささんの旦那の賭け、止めさせられるだけの材料がない。時間跳躍機で更新世ベース基地のデータベースにアクセスすれば、再仕官できた侍の名簿があるかもしれないし、おひささんの旦那の名前があるか無いかもわかるかもしれない。

 で、それを知ったからって、本人には言えないしな。


 さて、どうしよう。

「はずれ屋」のために、無条件に旦那を説得するなんてことはできないよね。それをしちゃったら、私利私欲がすぎるってもんだし。

 それに、「はずれ屋」ができたときに、旦那がおひささんに会いに来るのにも、「行かない」って言うのを長屋のみんなで三日三晩かけて説得して根負けさせたって話だった。相当に、いや、無茶苦茶に頑固な人なんだと思うよ。

 難儀だなぁ。

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