第5話 はずれ屋の現在
はずれ屋、暗い中でしんとしていた。
夕暮れの闇のせまる中、だれもいない。
つくづく静かだ。
一応は想定内のことではある。
売り切れ仕舞いであれば当然もう閉店しているだろうし、あれから1年経っているんだから、佳苗ちゃんもおひささんも当然どこかの長屋も借りられているだろう。
ひろちゃんだって、ちゃんとしたお布団で寝させてあげなければ可哀想だからね。
そもそも、前みたいに狭い店の
ま、今晩は僕と是田はここで寝て、明日出勤してきたおひささんに顔が合わせられればそれでいいんだし。
そんなこと考えていたら、ぜえっ、ぜえって肩で息をしながら、是田がようやくご到着しやがりましたか。
「雄世、なんでこんなに速いんだよっ?」
「先輩が遅いんです。
たまには体、動かした方がいいですよ」
「やかましいわっ。
そんな余裕があるなら、今度からもっと仕事押し付けてやる」
「熨斗ぃ付けて、お返ししますっ」
ったく、なんで
是田も、時間跳躍前は次長と係長を殺したいと思っていたはずだ。
で、時間跳躍後は僕を殺したいと思っているな。
でも、それはアンタがひ弱だからだろっ!
ったくもー、この人は。
「けっ」
っとか、あまり品のない悪態を吐くと、是田も改めて「はずれ屋」に視線を向けた。
「おひささんはやっぱりいないか。
ちょっと遅くなりすぎたもんな」
「そうですね、先輩」
うん、このくらいなら全面同意してやってもいーぞ。
「是田さん、どこかでなんか食って、ここで寝ればとりあえず今晩はしのげますよね。
明日の朝になれば、みんな出勤してくるから……」
「佳苗ちゃんはまだ生きているかな?
前聞いた話だと、あれからすぐ死んじゃったって話だったじゃんか」
あ、そうか、是田はそれ以降の話を知らないんだ。
でもって、これは内緒にしておかないといけない話なんだ。
是田に説明はできないけれど、佳苗ちゃんが今の時間の中で江戸にいるかは僕も知りたい。
「まさか、目太さんと比古さんじゃあ……。
旅に出たって聞いてたけど、帰ってきたのかい?」
と、聞き覚えのある声。
となりの屋台のおばちゃんだ。
前に、僕の着物が破れたのを繕ってもらったことがある。
「ええ、遠いところまで行ったので、いつ帰れるかわからなくて、不義理をしてすみません。
今日はもう、『はずれ屋』は閉店でしたかね?」
「いやいや、ここんところ、お店開いていないよ。
お店を開かなくったって、ここは場所代で出費がかさんでいるだろうに、大丈夫なのかい?」
言われてよくよく見れば、たしかにそのとおりかもしれない。
かまどの灰は冷え切っているし、洗った器や鍋から水が滴っていることもない。
「えっ、どういうことですか?」
「ほら、おひささんなんだけどさ、いろいろ大変みたいだよ。
私も詳しいことは知らないんだけど、お店来れるなんて状況じゃないみたいだよ」
うう、なにが起きているんだ?
「……そうなんですか。
佳苗ちゃんは?」
「あの娘なら、閉店後も店を見に来ていたけどね。ただ、あの娘じゃ蕎麦は茹でられないからね。何回か頑張っていて、私も試しに作ったものを食べさせられたけどさ、あれじゃあねぇ……」
ふーん、佳苗ちゃん、料理はダメなんだ。
いいことを聞いたぞ。
まぁ、もっとも、家庭の人数の5人分以下で作るのと、50人分を作るのじゃ別世界だ。おひささんみたいな人の方が珍しいのは、ちょっと考えれば誰でもわかることだ。
でも、ま、もしこれから先、芥子係長になにか仕返しをする機会があるようだったら、うん、この話を持ち出してやる。
「『あの娘なら、店を見に来ていた』って、今は来ていないんですか?」
と、これは是田。
うー、たしかにそういうことになるな。
「この3日ぐらいは来てないよ。
どうも、このまま閉店になっちまうんじゃないかい。
そのあとどこへ行ったのやら、風の噂も聞かないし。
まぁ、よくあることだよ」
……よくあることなんかいっ?
って、よくあることなんだろうなぁ……。
江戸には戸籍も住民票もない。
宗門人別改帳だの寺の檀家だのから外れたら、無宿人になっちゃう。
携帯も電話もないから、一旦故郷から離れた人同士が出会うのはとても難しい。おひささんだって、旦那と巡り合うのに苦労していたしな。
「まさか、佳苗ちゃんはもう……」
「縁起でもないこと言うのは止めてくださいっ!」
今回、失言大王は是田の役割かよっ。
ただ、これはもう佳苗ちゃんに会うのは大変すぎる事態かも……。
「あんたらは、蕎麦は茹でられるんかい?」
「……無理です」
「じゃ、諦めるんだね。
アタシも気の毒とは思うけれど、仕方ないよ」
……なんだよ、その死刑判決。
「じゃ、ウチも今日は店じまいだから、じゃあね。
仕入先とかに、廃業のあいさつだけはしておくんだよ。不義理をしていると、この界隈じゃ生きていけないからね」
……死刑になってぶら下がっている人の足を、さらに引っ張るようなことを言うねぇ、おばちゃん。
「あ、せめて、佳苗ちゃんやおひささんがどこに住んでるか、知りませんか?」
「アタシゃ知らないよ。
じゃっ」
ぶっつん。
佳苗ちゃんやおひささんへの糸が切れた気がした。
思わず絶望のあまり、僕、その場にしゃがみこんだ。
寒い。
あまりに寒い。
前回江戸で積み上げたもの、すべて無くなってしまったんだろうか。
将来が見えないと、秋の夕暮れのそよ風すらが氷点下の温度に感じる。
僕の横で、是田も四つん這いで落ち込んでいた。
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