第2話 4万円を1億円にするって?


「あはは、じゃありませんっ!!

 私の人生の何年もの時間を無償でこき使う気ですかっ?」

 これは是田。

 やっぱり相当に頭にきているらしい。


「是田くん、雄世くん。

 君たちは給料をもらうために公務員になったのかい?

 全体への福祉者としての気概はどこへやった?

 就職したときに、『服務の宣誓』をしたよね?

 あれは嘘だったのかい?」

 是田からも、僕のに続いて「ぶつん」ってなにかが切れる音がした。


「わかりました。

 いくら全体の奉仕者になると宣誓したにしたって、コレは最低です。

 もう耐えられません。

 辞表を出しますっ」

「芥子係長、君の係員がこう言っているが?

 係員の指導ができていないんじゃないかい?」

「次長、これは、次長からの話の真意が是田、雄世の両名にきちんと伝わっていないだけです。

 あとは、四係で話しますので、時間をいただきます」

「……そうかい、じゃよろしく頼むよ」

 そう言って、鼻歌交じりに悪狸じちょーは席を立った。


 あんなの、許していいのかっ。

 そうは思うけれど、僕たちに実質的な対抗手段はない。

 どうやったって、僕たちの不満の声が届く場所はないんだ。例えばSNSで大騒ぎしてみたって、主語が「公務員が」となった瞬間に、叩かれるのは僕たち自身だ。

 極端な話、一方的に相手が悪い交通事故であっても、それを主張しただけで「公務員が市民を責めるのか」とか、わけのわからない状況に追い込まれたりもする。そんな公務員の中でも下っぱの僕たちに、味方はいないんだ……


「係長。

 是田先輩の言い分ももっともです。僕だって、辞められるのなら辞めたいっ」

 僕の声にも、相当に切実なものが混じっていただろう。

 芥子係長は笑ったけれど。


「是田、雄世、なにを言っているんだ。

 問題を捉え直せ。

 お前たちはわかってない」

 ……えっ、なにが、どういうこと?

 説得なら、されないからなっ。


「まずはな、時間跳躍機公用車が使い放題、しかも、係長権限から開放されて、だ」

「まぁ、たしかにそれは魅力的ではありますけれど……」

「次に、自主研だから、今までのやり方と違う試みが必要だ。

 どれほど法のキワを攻めても、『新たな試みをしてみました』と言えば文句を言われない」

「あ……」

「むしろ、『改正時間整備改善法』における構造的欠陥を発見したと、開き直ることすら可能だ」

 この人ってば、なんて恐ろしいことを言うんだ……。


「例えば、ちょっと攻めた上で次長の計画が達成できたら、『時間改変を効率的に行うためには、限定的時間貿易は解禁するべきという結論に達しました』と言える、と?」

「さすがにわかっているじゃないか、是田」

「次長の計画が達成できなくても、『時間改変を効率的に行うためには、限定的時間貿易は解禁するべきという結論に達しました』と、まったく同じ言い訳で逃げられる、と?」

「そのとおりだ、雄世」


 とんでもねーな。

 最初っから違法とまで言わなくても、脱法行為くらいは前提になっているのかよっ。

 しかも、公用車を使い放題に使って、だ。

 ウチの係長、極めて他人に厳しく自分に甘いけど、今回次長が敵になったことで、僕たちも係長の自分の内に入ったってことなんだろうな。


「でも、限定的時間貿易が解禁されたら、将来的に苦労するのは監督省庁の僕たち自身ってことにならないでしょうかねぇ……」

 ……うん、是田の言うことももっともだ。


「限定的時間貿易の管理をする部署を作ればいい。

 ポストも増える」

「……それ、マジで言ってますか?」

「冗談に決まっているだろう?」

「そーは聞こえませんよっ」

 そうは言っても僕、係長がポストを増やすためにとか考えないことはよくわかっている。

 なにか考えがあることは間違いないところだけれど。


「ともかく、問題は予算だ。

 4万をとりあえず1億にしようか」

「……簡単に言いますね」

「そうか?」

「まさか、マジで、本当に時間貿易に手を出すつもりですか?」

 是田の声がわずかに震えている。

 さすがにビビっているんだろうな。

 僕だって、ビビっている。だって、罰則は死刑だ。自分の命を賭けての賭博はしたくない。


「お前ら、「改正時間整備改善法」から「時間整備改善にともなう人道的判断に関するガイドライン」までを本当に読んでいるのか?」

「読んでますよっ!」

 思わず、僕と是田、声が揃ってしまった。

 毎日読んでるっ。

 そんなツッコミされる謂れはないよっ。


「お前たちが気が付かなければ、それまでだな」

「そんな……。

 教えて下さいよっ」

「そうです、教えてくれたって、係長に損はないでしょっ」

 僕たち、口々にそう言ったんだけど、係長の返答はにべもなかった。

「損もないが、得もないしな」

 ……そりゃ、ないよ。

 

 そこに、再び悪狸じちょーが顔を出した。

「どうだ、係長。

 おたくの係員は納得したかな?」

 くっ、てめーなんか、狸なんて可愛いもんじゃねーや。この、くそウシガエルめっ!


「2人とも、よろこんでやってくれるそうですよ」

 ちょっ、係長っ、そんなっ!!

 まだ僕たち、なにも言ってないじゃないですかっ!


「そうかそうか。

 さすがは芥子係長。

 係員への薫陶が行き届いている。

 こうなると思っていたよ」

「いえいえ、次長の案が素晴らしいからです。

 2人とも、『ぜひやらねばならないことだ』と、前向きに捉えてくれましたよ」



 是田の顔、紙に描いた子供の落書きみたいな感じになっている。

 顔色は蒼白だし、そこにぽっかり空いた目鼻が浮き出している。うん、きっと僕の顔もおんなじだろう。

 これが前向きの顔かぁ。

 いくらなんでも、こんなんないわ……。

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