江戸で政策自主研
第1話 次長、人非人!
芥子係長の一言からそれは始まった。
「次長の提案なんだが……」
「断りましょう」
僕は、そう係長の言葉を遮ったんだ。
なんか、向かいに座っている是田が首をぶんぶん振ってたけど、僕はそう提案したんだ……。
だけど、そううまくことが運ぶはずもない。
「まぁ、そう言うな」
ぎょっとして振り返ったら、僕の肩の上に手を置いて、次長がいやらしく笑っていた。
「雄世くーん、話を聞く前から断るって、なにかオレに含むところでもあるのかな?」
「ないと言えば嘘に……」
「あるのかな?」
「……ないです」
圧に負けても仕方ないよね。
係長に勝てない僕が、その上の次長に勝てるはずがないじゃないか。
とはいえ、半年前の悪意ある馘首宣告の嘘、僕は忘れないからな。
「是田くんと雄世くんの、半年前の江戸での時間改変なんだけど……」
「それがなにか?」
そのあたりの法的な整理は全部済んでいたよね。今さら、次長にほじくり返される謂れはないはずだ。
「まあ、雄世、聞こう」
係長の仲裁に、僕はしかたなく肯く。
うう、仕方ない。
係長が次長をうながして、是田、僕の4人で打ち合わせスペースに移動した。
あらためて次長、語りだす。
「あれは、グレーであったかもしれないけけれど、数年程度、蕎麦史を早めた程度の誤差の範囲のことだった。だが、江戸町人の幸福度は大きく増したことだろう。
それを踏まえて聞いて欲しいのだが、現状の許認可申請されてきている案件は、一見人道的配慮のもとの時間改変申請が多いものの、結局は私利私欲が動機となっているものばかりだ。これでは、江戸の名もなき町人たちの幸せには直結しない」
「そうですね」
是田があやふやな口調で同意する。話の方向が見えなくて、相槌もどう打てばいいのかわからないんだよ。
これで積極的に「それ、いいですねっ」なんて言ったら、その後の責任のすべてをおっかぶせられるかもしれないし……。
「なので、時間福祉の観点からも、一般申請者に良い例を見せるという意味からも、
なので、政策自主研究という形で、時間改変をこちら側で行おうと思うのだが、どうだろう?」
「……具体的に、どんなことを考えているんですか?」
是田に続いて僕も、おそるおそる聞く。
断れるなら断りたい、その気持ちは変わらない。
いくら動機はキレイゴトでも、絶対ロクデモナイことだからだ。
「江戸の街に水道を引こう」
「今さら、何の話です?」
是田が聞き返す。
当たり前だ。
江戸の街は、かなり早い時期から水道が張り巡らされていて、人口増大に耐える有効な施設になっていた。そこに対して、今さらなんでというのが正直な感想だ。
次長、全員を見渡して話を続ける。
「知っているとは思うが、江戸の水道にはいくつかの問題がある。
佃島とか、川の中洲には水が引けない。隅田川の対岸、本所深川も、亀有上水はあっても海水混じりで飲用には適さなかった。
そこに、江戸の技術で水道を引ければ、モデルケースとして最良なのではないかと」
「……土木工事となると、お金がかかりますよね。
予算はあるんですか?」
僕の質問に、次長はあっけらかんと答えた。
「政策自主研、1班あたり4万円、おおよそ1両の予算が配布される。
文書は回っていた。読んでないのか?」
「げっ!!
い、1両で、川を水道が渡る土木工事をやれと?」
「『はずれ屋』だっけ、君たちは年間400両も稼ぐ事業を成立させてきたじゃないか。それを10倍にすれば年間4000両、十分な額だ。
大丈夫、だいじょーぶ」
ちょっ、待てやっっ!
「そ、そもそも幕府の許しを得ないと、そんな事業もできないでしょう?
そのあたりのクリアだって、ハードルは高いじゃないですか。
時間だって、どれほどかかるか想像もできません」
是田も焦っている。
「つまり、君たちは業務に対するやる気はないということなんだな?」
「そ、そ、それとこれは違うでしょうっ?」
「問題があったとして、それを解決するのは、業務に対する意識の高さだ。
君たちは普段、そんな低い意識で仕事をしているのか?
予算が足らないのは、仕事ができないことの言い訳にはならない。いつも言っているじゃないか」
違うだろっ!
僕たちの意識のもんだじゃないっ!
できないものはできないんだって言っているだけだろっ!
予算がないってのも、2割足りないとかじゃなく、ほぼまったくないじゃないかっ。話のレベルが違うだろっ!!
「ちょっ、無理なものは無理なんですっ。
そもそもコレ、業務じゃなくて政策自主研究でしょうっ?
やるもやらないも自由参加でしょっ?」
「これがうまくいくようならば、時間整備局の業務として取り入れていく。
だから、業務未満ではあるけれど、業務に等しいと考えてくれ」
次長、アンタ、それ、自分が発表する気だろっ!
鬼かよっ!?
この人非人!
「絶対うまく行きませんっ。
だって、自主研ってことは、業務は業務としてあるわけでしょう?
僕たちに、どこの時間を使ってそんな大仕事をやれと言うんですか?
残業手当も出ないのにっ」
「だから、4万は出ると言っているじゃないか。
ぜんぜん問題ないな。
あっはっはははははは」
僕の頭の中で、なにかがぶつんって切れる音がした。
堪忍袋の尾かもしれないけれど、血管かもしれない。
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