第73話 エピローグ その1
「雄世、女子トイレの前で待ち伏せとは、なかなかのセクハラだな」
下からにらみあげながら係長が言う。
「他に、係長とサシで話せる機会の作りようがなかったからです」
あれから1週間後、僕はようやく芥子係長をつかまえた。
それからの佳苗ちゃんのこと、どうしても僕は知りたかったんだ。
もっとも、これは私情だ。
だから、他の係員の前では、それこそ是田の前でも話せないことだし、係長に叱られたらそれはもう、甘んじて受けるしかない。
それに僕は、とんでもない大蛇を藪からつつき出す覚悟をしていたんだ。
「ついて来い」
「はい」
係長は、飲み物の自販機のあるエリアに僕を誘った。
歩きながら係長、首から掛けた名札を外す。僕もそれに倣った。
仕事がらみの話をするのではあっても、一般市民のクレーマーからすぐ苦情が来るからだ。「仕事中、飲み物飲んで話してた」ってね。
僕たちだって、機械じゃないのに……。
それぞれにコインを入れて、紙コップのコーヒーを買う。
そして、備え付けの長椅子ベンチの端と端に座った。
話す環境は整ったけれど、僕はその確認に恐怖を感じている。だから、角度の違う話から話し始めたんだ。
「生宝氏、死刑になっちゃうんでしょうね」
「そうだな。
それが裁きだ。
だが、執行はされないだろう」
「どういうことです?」
さすがに僕、驚いたよ。
判決があっても執行されないって、しかもそれを生宝氏側からの働きかけでなく、こちら側からそう判断するなんて。これだけで、超法規的措置と言える。
「時間整備局のシステム、すべて生宝氏の息がかかっている。更新世ベース基地にすら、端末が数台は行っているだろう。
その一方で、復命書に書いた生宝氏の動機、あれがすべてだなんてとても信じられない。更新世ベース基地のデータは、綱吉暗殺以外のところでも改変されているかもしれない。むしろ、そちらの改変が本命って可能性は捨てきれない。
こんな時限爆弾は困る。
だから、死刑判決後、更新世ベース基地で隔離されてこき使われることになるだろうな」
なるほど、そういうことか。
時間を掛けて自白させるか、罠にかけるか、どちらも生宝氏が生きていないとできないからね。
無期懲役でも、生宝氏の身柄の管理が時間管理局から離れてしまうって意味じゃ、死刑と同じだ。なら、こういう手を採るしかないのもわかりはする。
更新世ベース基地のベースは、基地って意味じゃない。基地基地になっちゃうし。土台、基礎、時間の流れをすべて記録している人類の礎って意味だ。
そこのデータベースに不正アクセスされた以上、殺すに殺せないってことだ。
まあ、生宝氏が死刑となると、さすがに僕も寝覚めが悪い。一度は僕自身が助けた命だしね。
まぁ、これが妥当な線なんだろうな。
「秘書たちもですか?」
「オペレーターは、『はずれ屋』で水汲みしているよ。
主犯の生宝氏が死刑にならないのに、部下たちから死刑ってわけにも行かないからな。時間を越えて逃亡しているて扱いで、裁判にもならん。
まぁ、おひささんに飼い殺しにされるだろうけど、毎日美味いものが食えるんだから良しとしてもらわなきゃだな。
アフリカ系の秘書も、オペレーターと同じく逃亡中の扱いで、生宝氏と同じく更新世ベース基地で隔離されている。ただ生宝氏とは違う時間が選ばれているから、会うことはない」
なるほど。納得。
「カレーうどんが消えたのは、係長の指示で、原価売りの安売りをしたからですよね。
本来なら3倍の値段でも可怪しくないものを安売りさせた。
あれをメニューに乗せ続けていたら、『はずれ屋』の経営が成り立つわけがない。
かといって、あとから値戻しもできず、僕たち常世の人間がいなくなったのだからメニューから外すしかないという判断があった。
おひささんがしたんでしょうかね、その判断?」
「……そうだな」
係長、一転して言葉が少なくなった。
僕の質問の真意が、わかっているってことだ。
僕は密かに確信を抱いた。
「そもそも、そのおひささんとあの木賃宿で巡り会えたのも、偶然とばかりは言えないでしょうしね……」
その僕のつぶやきは、コーヒーの香りとともに空間に溶けた。
僕は、コーヒーを啜る。
そして、いよいよ口にする決心を固めた。
「係長。
この1週間、僕はずっと考え続けていました。
どう言い繕っても、カレー蕎麦は、やっぱりグレーなんです。
軽微変更に持って行けはするけど、時間の流れが変わったことに変わりはない。
僕たちの行動も、係長の行動もグレーです。
係長の書いた復命書は、見事にそのあたりがすっぽり抜け落ちている。次長と所属長が、そこに気が付かないはずがない」
「なにが言いたい?」
係長の言葉をあえて無視して、僕は続けた。
「係長、最初から僕たちを置き去りにして、カレーうどんが作られると本気で思っていたんですか?
そこがどうしても、最後まで僕には引っかかったんです」
「それで?」
係長、ますます言葉が少なくなる。
僕、コーヒーを一口飲んで、取り返しのつかない道へ踏み出した。
「……以上のことをつなぎ合わせると、係長、全部クリアできる大胆な仮説ができるのですが、それが正しいか聞いてもよろしいでしょうか?」
「答えない自由が私にはある」
「かまいません」
それでも僕、係長は何らかの形で答えてくれる確信があった。
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