第62話 刃傷沙汰、2回目?


 疲労困憊の1日が過ぎ、果たして何食作ったのか、売ったのか、何往復水を汲みに男衆が井戸に通ったのか、もうなにがなにやら混乱の中、さらにとんでもない知らせが入った。

 かわら版屋が、「はずれ屋」の天竺蕎麦が半額だっていうニュースを売り出したっていうんだ。

 

 その1枚が「はずれ屋」まで流れてきて、僕と是田だけでなく、「はずれ屋」のみんなが絶望した。おひささんが旦那と巡り会えたってことと併せて、そのお祝い記念価格だ、みたいなことが書いてある。

 一体全体、コレ、どこから湧いた話なんだ?


 明日、どれほどのお客が来て、どれほどのきりきり舞いをさせられるのだろう?

 蕎麦屋台の元締の、セントラルキッチンの面々も絶望の表情になっているだろう。たぶん、今晩から徹夜で蕎麦とうどんを打つことになる。これって力仕事だから、きっと死ぬほどバテる。でもって、明後日も、明々後日も続くかもしれない地獄の労働だ。

 でもって、蕎麦打ちは特殊技能だから、ほいほいと人も増やせないだろう。

 ま、元締だけは喜んでいるだろうけれど。



 容赦なく太陽は昇り、翌朝は来た。

 そして、開店前から行列ができた。かわら版、恐るべし。


 自分たちの時間で、ラーメン屋の行列を見ると、「食えるまでに時間がかかるなぁ」とか「並ぶヤツの気が知れない」とかしか思っていなかったけど、並ばれる立場になるとプレッシャーがとんでもなく重い。

 これで「今日の調理は失敗しました」とかになったら、暴動が起きるよね。そのプレッシャーに耐え続けるラーメン屋の店主、尊敬するよ。


 僕と是田、葦簀よしずを開いて、開店間近ってことを店のみんなに知らせる。

 みんな、朝から絶望の色が濃い。今日は地獄の労働だ。なのに、価格を抑えちゃったから、ボーナスも出せないかも。みんな、そのくらいの想像はついている。

 そんな憂鬱な気持ちになってしまった中……。


 佳苗ちゃんが、のほほんとした顔で帰ってきた。

 おお、全快でしょうか?

 一気に店のみんなの顔が明るくなった。

 ウチの看板娘がいれば、この混雑を捌くのもきっとうまくいく。司令塔としても、看板娘は無茶苦茶有能なんだから。


「身体は大丈夫なん?」

 という是田の問いに、佳苗ちゃんはにこにこと笑う。

「鰻丼と天丼と親子丼を食べ放題に食べて、もうすっかり大丈夫でございます」

「それは良かった」

 僕も、思わずそう声をかける。安心のあまり、僕の声、ちょっと湿った。

 佳苗ちゃん、ふっと目を伏せ、口元で微笑んだ。


「それでは……」

 佳苗ちゃんは僕たちにそう一礼して、晴れ晴れとした声で叫んだ。

「はずれ屋、本日、ただ今より開店でございますっ!」

 その声に、行列が一気に動き出す。

 おひささんが、茹で上げた蕎麦を冷水に晒しだし、揃いのお仕着せの男たちが井戸に向けて走り出す。

 うん、忙しすぎるけど、これはこれでいいもんかもしれないねぇ。

 名実ともに店主に収まって、水を運ばなくて済むから言えることなんだけど。



 事件が起きたのは、正午を過ぎた頃。

 佳苗ちゃん、次から次へ来る客を捌き、デキる女っぷりを発揮していたんだけど……。

 やっぱり、本調子じゃなかったみたいだ。


 僕と是田は、店主といってもふんぞり返っていられるわけじゃないから、あちこちのフォローに回っていた。だからこそ、ダイレクトに目撃してしまった。

 佳苗ちゃん、急にめまいでもしたのかよろめいて、運んでいた熱い蕎麦を男性客の膝にぶちまけちゃったんだ。


 僕と是田、必死で頭を下げる佳苗ちゃんの元に駆けつけた。

 そして、蒼白な顔で口々に必死に謝った。


「火傷はございませんか?」

「お詫び申し上げます」

「大丈夫ですか?」

「クリーニン……、洗濯はこちらでさせていただきますから」

「手ぬぐいはこちらに!」

「お代は結構ですからっ」

「すぐに、新しい蕎麦をお持ちしますっ」

 とか。


 で、僕たちが必死に謝っているのに、その男、ぬうと立ち上がった。

 周囲の客の視線が、僕たちに集中する。

 ヤバい。

 トラブルを解決できないと、お店の信用が損なわれちゃうっ。数日前には刃傷沙汰まだ起しているんだしっ。


 僕たち、必死で謝り続けたけど……。

 男は、「このクソ女がっ」って吐き捨てて、僕たちに背を向けて歩き出した。

 うわ、問答無用なまでに怒っているのかって、僕は(たぶん是田も)ひやっとした。

 その背に佳苗ちゃん、小走りに駆けて追いついて、肩に手を掛けた。

 謝るにしても、力ずくで引き止めちゃダメだろう。

 で、うわうわって思う間もなく。


 男が振り向きざまに佳苗ちゃんに手を伸ばし、次の瞬間、男はその両足を天に突き出し、背中から地面に落ちていた。


 またかよっ!?

 すっげー、デジャ・ヴュだっ。

 佳苗ちゃん、一体、なにをしてくれたんだっ!

「このクソ女がっ」って言われた仕返しかよっ。

 いくらなんでもそれは酷いだろっ、佳苗ちゃん!!



 あお向けに倒れた男は、懐に手を入れる。

 きっと、ドスとか懐に呑んでいるに違いない。

 うわっ、いよいよ光り物が抜かれる! しかも2回目の。

 立て続けにこんなトラブルが続けば、こちらが悪くなくても店の信用はガタ落ちだ。

 僕と是田の顔色、心配に恐怖まで重なって真っ青になった。

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