第61話 上下関係からのドミノ倒し


 平和ボケしているような僕が、なにを言っても説得力なんかない。

 でも、黙ってはいられなかった。

「佳苗ちゃんが強いわけ、わかったよ。

 でさ、いろいろ事情はあるんだろうことはわかるんだけど、でも佳苗ちゃんはもう、そこから開放されたんだよね?

 流派うんぬんとか、もういいんだよね?」

「はい、父亡き今、もはや務めも果たしましたゆえ」

「そうか。

 じゃあ、もう、いろいろ忘れてゆっくりお休み。

 もう、佳苗ちゃんにそんな無茶を言う人はいないよ。

 佳苗ちゃんには、佳苗ちゃんの未来があるんだ」

「父上……、比古様……」

 佳苗ちゃん、寝返りを打って僕の膝に顔をうずめて、今度は声を上げて泣き出した。


 おひささんといい、ここの人たちは、親の決めた生き方になんて忠実なんだろう。

 僕は、そんな佳苗ちゃんの背中を撫でてあげることしかできなかったんだ……。


 それから10分後。

 泣き疲れて、すやすやと寝息を立て始めた佳苗ちゃんの顔を確認して、僕は気配をさせないようにゆっくり立ち上がった。

 ようやく親の死に泣けたであろう、そして泣き寝入りできた佳苗ちゃんが目を覚ましてしまわないように、だ。

 そっと襖を開け、ゆっくりと部屋から出て襖を閉める。

 そして振り返ったら、芥子係長が僕をにらみあげていた。

 ぎょっとして僕、一歩後退あとじさっちゃったよ。



 係長、僕の胸ぐらを掴んで廊下を10歩程歩き、佳苗ちゃんのいる部屋から離れた。

 そして……。

「さて、と」

「はい」

 僕、ひたすらびくびくしながら係長の顔を見る。

 挨拶もなにもなしかよっ。

 で、この気まずさったら。

 ラブホの廊下で上司とばったりって奴だからね。

 あれっ、そういえば係長、ツレはいないのかな?


「報告することがあるよね?」

「はい。

 大変です。

 生宝いほう真正しんせい、あいつ、将軍暗殺を企ててます!」

 小声でも、僕、息巻いてしまう。

 ようやく、ようやく報告ができるんだからっ。

 これほどの事態なのに、今までなに一つ手を打てなかったんだし。

 


「ふん」

 ま、まさか、鼻息だけで返事かよ、係長。

「来なさい」

 そう言われて付いて行くと、離れの部屋。

 あれ、ここって一番いい部屋だよね。

 紙一重だけど、こちらの方が眺めがいい。

 係長が占拠していたのか。


「あのー……」

 部屋に入ってから、黙り込んでしまった係長に、僕、おずおずと話しかける。

 場所が場所なだけに落ち着かないし、僕は正座しているのに係長は膝を崩していて、長煙管ながきせるを左手に持っている。

 で、それが和装なもんで変に色っぽい。そして、その色っぽさが魅惑ではなくて妙に怖い。


 蛇の前のカエルだよ、僕。

 で、すでにかなり長居しているというのに、さらに時間がかかってしまうと、この僕が佳苗ちゃんを押し倒そうとしたとか、是田によって非ぬ噂が立てられてしまう気もする。



「あの、将軍暗殺のために、生宝氏は仲間を連れてきていて、もう江戸城大奥に入り込んでい……」

「知っている」

 えっ、なんで?

 どういうこと?


 係長、深々と、それはもう深々とため息を吐いた。こういうの、珍しい。

「是田にも伝えろ。

 カレーうどん、精一杯どんどん売れ。

 ただし、儲けるな」

「えっ、どういうことですか?

 それに『儲けるな』って、原価で売れってことでしょうか?

 係長、なんの目的でそんなことを言うんですか?」

「やかましい。

 これから男が来るから、お前は店に帰れ」

 な、なんなんだよっ!

 それ、酷すぎるだろっ!


「すみません、係長。

 せめて、これだけは確認させてください。

 僕たち、連れて帰ってもらえるんでしょうか?」

「……気が向いたらな」

 そんな……。

 そんな、いくらなんでもそれは酷い……。


「連れて帰ってもらえることが保証されるまで、僕、ここを動きませんよっ!」

 そりゃあね、僕だって抵抗するよっ。

 そして、なんとか戻れたら、係長の上の次長なりに絶対言いつけてやる。是田と2人がかりでぎゃあぎゃあ騒げは、さすがに組織として無視はしないだろう。


 僕の言葉に対する係長の返事、あまりに無造作だった。

 しかも、とってもつまらなさそうに、投げやりな口調。

「ふーん。

 そうか。

 じゃ、見せてやるから、そこにいろ」


 ……見たくねぇっ!!

 冗談じゃねぇ。止めてくれよぅ。

 そこからさらに僕、抵抗を試みたけど、染みついた係員根性が最後には僕の言葉と行動を縛った。


 ……結局僕、すごすごと引き下がるしかなかったんだ。




 翌日から、「はずれ屋」は自ら価格破壊に打って出た。

 おひささんにしわ寄せが行くのはわかっていることだったから、調理補助担当の娘を雇った。

 就職斡旋業である、口入れ屋のオヤジだけがほくほく顔だった。なんせ「はずれ屋」だけで、たくさんの雇用が生まれたからね。水汲み男衆もいるから、10人以上雇っているんだ。


 普通の蕎麦類の価格は変えず。

 カレーうどんとカレー蕎麦だけ、原価販売とした。

「一度食べたら三年寿命が延びる。その天竺蕎麦と天竺うどん、今日から半額」と。この煽り文句が効かないわけがない。

 果たして、「はずれ屋」周りはごった返し、定廻りの同心までが「ほどほどにしておけよ」と言いに来た。


 うん、こちらも公務員、向こうもお役人。

 なら、わかるでしょ?

 直属の上司の言うことを聞くしかないんです、僕たち。

 凄まじきものは宮仕え、いやいや、すまじきものは宮仕え、だったね。


 芥子係長の指示に、なんの意味があるのかはわからない。

 でも、生宝いほう真正しんせい氏の将軍暗殺のたくらみを係長は知っていた。

 その上での指示なんだから、僕と是田、共に逆らえるはずがない。

 そして、「はずれ屋」の面々は、僕たちに逆らえない。

 なんて申し訳ないドミノ倒しなんだ……。

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