第60話 修羅の道か、武魂の極みか


 僕、動転しながら佳苗ちゃんに話しかける。

「本当に店は大丈夫だから。

 いや、佳苗ちゃんがいなくてもいいってことはないけど、だからって、倒れるまで働くのは違うし、よく休んで……」

「比古様、情けのうございます。

 このようなことになってしまったのは、私めのせいでござい……」

 佳苗ちゃん、僕に最後まで言わせなかった。

 だから、僕も、その言葉を遮った。


「それは違うよ。

 佳苗ちゃんとおひささんがいたから、僕たちは路頭に迷わずに済んだ。

 常世から来て、身元引受人もいないまま所持金を使い果たして、あえなく餓死するのが僕たちの未来だったはずだ。

 それが、ここまでのことができているのは、君たちのおかげだ」

「そうはおっしゃいますが……」

 ……強情だな。

 その強情さが、倒れるまで自分自身を頑張らせちゃうんだろうな。


「あのね、反論されても困るよ。

 それに、あの女衒のことだって、気にしないで欲しいな。

 僕たち、ああいうのを相手にするのは慣れているんだよ。まぁ、最後は佳苗ちゃんのおかげで追い払えたんで、偉そうなことは言えないけどね」

 そう言って、僕は笑ってみせた。

 少しでも安心させて、落ち着いて休んで欲しい。その一心だったんだ。


「……比古様。

 お聞きくださいませ」

 改まって、なんだろう?


「常世では、このようなことはないのかもしれませぬ。ですが、ここの世の私は貧しく、借りては返し、返しては借り、借金がないという状態を知りませなんだ。

 お恥ずかしい次第ではございますが、私め、物心ついてより初めてのこと、噛み締めております。

 ほんに、お金を返すということは、気ままを得ることでございますなぁ。

 おありがとうございます」

 うん、なんかわかるよ。


 だってさ、前の所属長が、飲み会の時に思いっきり羽目を外して酔っ払ったことがあった。いつもは固い人なのに、だ。

 で、羽目を外しちゃった理由は、家のローンを払い終えたんだって。それで、「俺は自由だ!」とか叫んじゃってたんだよね。


 公務員が家を建ててローンを背負うより、佳苗ちゃんの借金の方が背負う荷物としては重かっただろう。だって、来月の給料日がないんだから。そこからの開放が、どれほど佳苗ちゃんの心身に影響したか、僕にだって想像はつく。

 ストレスが急になくなること、それ自体も大きなストレスなんだ。


「この先は、逆に貯金ってのもできるかもしれないよ」

 僕、どう言っていいかわからなくて、そんなことを口の中でもごもごと言う。

 だって、僕たちが未来から来たってことを内緒にしたまま、共感の言葉を紡ぐのはとても難しかったからだ。


「比古様は、常世の神とも言うべき方です。

 お帰りになりたいのはわかっておりますが、ずっと一緒にいていただきたいのです……」

 そう言われて僕、凍りついた。


 情けないことだけど、個人としての誰かから必要とされた経験なんて、僕にはない。だから、どういう顔をしていいのか、どういう返事をしていいのかもわからない。

 笑えばいいのかもしれないけれど、それもちょっと違う気がした。


 そしてなにより……。

「目太様と比古様」、これがいつもセットだった。でも、今回は「比古様」だったんだよ。

 ひょっとして……。


 頭の中で、いろいろなことがぐるぐる回る。

 佳苗ちゃんが僕の許嫁とされたこととか、薬研の車輪を持ったときの涙ぐむ姿とか……。

 でも、僕は未来に戻らなきゃならない人間だ。

 とはいえ、いっそ芥子係長が僕たちを迎えに来なければ……。


 きっと僕、わかりやすくキョドっていたに違いない。

 頭の中でいろいろな考えが浮かんだにせよ、どんな言葉を口にしてもみんな嘘になる。

 どうやっても、口を開くことができるはずがない。

 ようやく言えたのはこんな一般論。


「佳苗ちゃんは強い。

 きっと、父上はもっと強かったんだろうなぁ。

 それなのに病で亡くなってしまい、世の中はわからないって、そんな気になるのもわかるよ。

 できるだけのことはしたいけど、僕も先はわからない人間だから……」

「いいえ。

 人は、生きるべくして生き、死ぬべくして死ぬのでございます。

 父もそうでございました」

 ここで佳苗ちゃん、一つ大きく息を吸った。


「……むしろ、父の命、私が奪ったとさえ言えるのかもしれませぬ」

「えっ!?

 どういうこと?」

 ……たしかに思い返してみれば、薬は必要でも、なんの病気かは聞いていなかったな。

 って、僕の一般論に対して、なんでこんな重い返事が来るのっ!?


「父は、毒を常飲していたのでございます。

 調合には、私めも助力させられておりました」

「自殺ってこと!?」

「いいえ、毒から逃れる手立ての探求でございます。

 犬猫での試しの後に、ついに自らの身体で、と。

 結局、あの頑健な父をしても、毒から逃れることはできなかったのでございます。

 この事実は、流派に残されていく知恵となりましょう。

 これとて、修羅の道であっても、同時に武魂の極みなのでございます。娘として、父を見送れたこと、誇りに思っております」

 戦国の遺風って奴なのだろうか。

 ただ、あまりに悲しい。

 誇りと言いながら、佳苗ちゃんの目からは、とめどなく涙が溢れている。


 佳苗ちゃん、僕なんかの想像を超える生き方をしてきたんだな。

 ああ、そうか。

 そんな生き方をしてきた佳苗ちゃんにとって、未来のヌルい生き方を根本的に変えられない僕たちは、安らぎの止り木に見えたのかもしれない。この世界で、佳苗ちゃんに危害を与える立場にもならないし。

 そうでもなければ、こんなこと話さないだろうし、「ずっと一緒にいて欲しい」なんて言わないよね……。

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