第58話 事態終結?


 ところが、女衒のお兄さん、いくら刃物を振り回しても佳苗ちゃんに触れることすらできない。虚しい空振りを5回くらい繰り返したあと、ついになにかを決意したらしい。すっと一歩下がって、匕首の柄頭を自分の脇腹に当てた。


 あ、コレ、ヤバいやつだ。

 武道の経験がない僕だってわかる。このまま体当りする気だ。本気で佳苗ちゃんを仕留める気なんだ。

 若いもんへの暴行に参加していなかった野次馬の群れから、声にならない悲鳴が湧いた。女衒のお兄さんの構えの意味を、野次馬たちも理解したんだ。



「こっ、こ、このクソアマっあ!」

 再び女衒のお兄さん、吠えた。さっきからそれしか言っていない。なんか、いろいろ当てが外れすぎちゃて、キレすぎて、言葉もでないほど怒りに我を忘れている。

 それが、純粋な殺意へ昇華し、いや退廃なのか?

 ついに、佳苗ちゃんに向けて、刃物ごとの体当たり!



 僕も、たぶん是田も、掲げた証文を下ろすことすらできずに、それどころか顔の表情すら変えられずに立ちすくしていた。

 僕には、時間が妙に引き伸ばされて感じられ、上向きの匕首の刃がゆっくりゆっくりと佳苗ちゃんに近づいていくのが見えた。本当に、一部始終がスローで見えたんだよ。

 

 佳苗ちゃん、体当りしてくる女衒のお兄さんと匕首の切っ先から逃げなかった。

 逆に、右足を半歩踏み出す。

 その右つま先が、15cmくらい外側に逸れた。

 同時に、そのつま先を軸にして、佳苗ちゃんの身体は90度左回りに回転した。それだけで、佳苗ちゃんは女衒のお兄さんの左真横に立っていた。


 突進した身体の勢いのまま、女衒のお兄さんは左の横顔を佳苗ちゃんに見せて横を通り抜けていく。

 その顔先に、佳苗ちゃんの左手が伸び、思いっきりその鼻を摘んだ。


 女衒のお兄さんの上半身はそれで動きを止めたけど、下半身はもう一歩余計に走ってしまった。

 次の瞬間、当然の帰結として、女衒のお兄さんは足を天に突き上げて背中から地面に落ちていた。

 その手は空を掴むかのように伸ばされていて、佳苗ちゃんの右手はそのまま女衒のお兄さんの持っていた匕首を奪い取った。


 ずざんっ! ずさっ!!

 重い音が続けて響いた。

 1つ目は、倒れた女衒のお兄さんの背中がしたたかに地面と当たった音。

 そして2つ目は、その顔の左横の地面に、匕首が突き立てられた音だ。

「前回は、買われた身。

 手加減しておりましたが、それももはや無用のこと。

 水鋩流、加藤佳苗、もはや許しませぬ。

 お覚悟をっ!」


 女衒のお兄さんの顔の横の地面から抜かれた匕首が、再び持ち上がっていく。

 佳苗ちゃんのあまりの殺気に、野次馬たちが凍りつく。女衒のお兄さんの先ほどの殺気には、まだ悲鳴を上げられる余裕があった。

 でも、佳苗ちゃんのそれは違う。

 野次馬まで含めて、周囲は霜が降った朝の空気のように静まり返った。

 逃げ出そうとした若いもんを足蹴にしていた連中までも、自分たちのものとは桁違いの殺気に足を上げたまま佳苗ちゃんの方を向いた。


 僕と是田、おもわず失禁しそうになりながら、気持ちばかりが焦っていた。佳苗ちゃんの腕なら、間違いなく女衒のお兄さんの首、胴体からてころりと落ちる。

 こんな「はずれ屋」は、絶対イヤだ。

 スプラッタなんか見たくねぇよっ!


 だけど、匕首は容赦なく振り下ろされた。

 僕のこれからの生涯でも、二度と聞けないような凄まじい音と女衒のお兄さんの悲鳴が聞こえた。


 僕、最後の最後で怖くて目をつむってしまった。

 目の前に展開したであろう惨劇は見たくない。そう思っても、つむってしまった目をずーっと開かないわけにもいかない。

 ゆっくりと目を開けたら、佳苗ちゃんの小さな背中越しに、女衒のお兄さんの股間から湯気が上がっているのが見えた。

 恐怖のあまり漏らしたか、死んじゃって膀胱の括約筋が緩んだか……。

 ただ、今の音は本当に凄まじかった。

 つまり、っちまったんじゃないだろうか……。



「佳苗ちゃん……」

 そう、恐る恐る声を掛けて近づく。

 横から、是田のしゃっくりのような驚きの吸気と、滅茶苦茶大きなため息が聞こえた。

 僕も、数瞬遅れて是田と同じものを見、同じ反応になった。


 ここは屋台が並ぶ広小路。

 地面は、砂利と砂で舗装されている。砂利の中にはそこそこの大きさの石も混じっていて……。

 8割がた埋まっていた握りこぶし大の石に、匕首が突き立っていた。



 女衒のお兄さんの視線、その石から離れない。

 すべての神経がその石を見ることに使われてしまって、それで失禁までしてしまったんだ。

 すいっと、佳苗ちゃんが身を起こす。


「さて、どうなされますか?

 続けるなら、最期までお相手させていただきますよ」

 女衒のお兄さん、鹿威しの竹みたいに、間欠的に頷いていたのが、すぐにモーターでも仕掛けられているのかって速いテンポで何回も頷いた。


 是田、真正の証文を手早く巻いてしまい込み、僕の持っていた偽証文を手にとった。

「さあ、行け。

 二度とここへは顔を出すな。

 この偽証文はこうだっ」

 是田、言葉とともに偽証文を破り捨てる。

 その顔が妙にキリッとしている。きっと、見せ場だって自覚があるんだろうなー。


 女衒のお兄さんと、引き連れられてやってきた若いもん、「覚えていろ」とか、「今日はこのくらいにしておいてやる」なんて捨て台詞も忘れて、一目散に走り去っていってしまった。

 あれだけの衆人環視の中、おしっこまで漏らしちゃったらもう、そんなこと言える余裕もないよね。たぶん、若いちんぴらももう付いては来ないだろうし、あれだけ心を折り尽くされちゃうと反社活動もできないだろう。これから先は、国に帰って親の手伝いでもするんじゃないかなぁ。



 野次馬から、ぱちぱちと拍手が湧き、是田は大工の棟梁に10回分の蕎麦のごちそうを約束した。

 そして僕、なにかの予感に導かれるように視線を横にずらし、崩れ落ちるように倒れる佳苗ちゃんを咄嗟に支えていた……。

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