第57話 ついに抜いたな、光り物


「ほらよっ」

 その言葉とともに大工の棟梁から渡された、佳苗ちゃんの筆跡の受け取りを僕はさらに掲げた。

 うん、達筆だなぁ。


「さぁ。

 お立ち会いの皆皆の衆。

 この3つを確認し、立ち会ってくれ。

 どうだ、この『はずれ屋』の受け取りと同じ筆跡は、どっちの証文だね?」

「うん、こっちだーな」

 大工、そう言って是田の持っている本物を指差す。


「そこのお坊様、あなた様ならどう見られます?」

「うむ、拙僧にもこちらかと」

 と、やっぱり是田の方を指差す。


 どよどよと、野次馬たちが声を上げだした。

「うん、おいらにもこっちに見えるなぁ」

「そうだな、もう片方はあまり学がない奴が書いた字だ」

「こりゃあ、あの女衒のでっち上げじゃねーのか?」

 わいわい、がやがや。


 女衒のお兄さん、青くなったり赤くなったりしていたけれど、ついに再び叫びだした。

「うるせぇ、うるせぇ、うるせぇっ!!

 爪印押されている証拠がある以上、こっちが正しいんでぇ。

 あっしの言うことに文句がある奴はぁ、後悔させてやるからそう思えっ!」

「ちょいと待ちな」

 と、再びガタイの良い大工さん。

「文句があるもなにも、そもそもだ。

 片方には爪印が押されているけれど、もう片方は爪印じゃねぇぜぇ。

 どう見ても可怪しいぞ、こっちの証文は」


「ああん?」

 胡乱な目つきで、女衒のお兄さんが大工をにらみ上げる。

 でも、大工さん、全然動じない。

「ほれ、いきがっているより自分で見てみろい」

 そう促されて、女衒のお兄さん、是田の掲げた証文を見る。

「こっちは、爪印じゃなくて書判だぞ。

 だから、さっきの受け取りと同じ筆跡ってわかるんだしな」

「!」

 女衒のお兄さんのアゴが、かくんって落ちた。

 そう、そもそもだけど、爪印という爪を印鑑代わりに使うのは一般庶民の習慣。武家階層は書判というサインをするんだ。

 だから、偽造は難しい。



 大工の棟梁の声は続く。

「ねぇちゃん、アンタはさむれえの娘なのに、自らを売るたぁ苦労したんだなぁ。

 なのに、そんなこた、おくびにも出さずに笑っている。えれえもんだなぁ」

 大工さん、しみじみとそう言う。


 女衒のお兄さん、口をぱくぱくさせるだけでなにも言えない。

 さっき、証文は品川の偉い人に書いてもらったと言っていたな。ということは、そもそもこの女衒のお兄さん、読み書きの不自由な人で、爪印と書判の違いもよくわかっていない。

 ま、こういうものの重要性だけはわかっていて、爪印を押すものと思い込んでいたんだろうねぇ。で、自分では読めないし、品川の偉い人に対する遠慮もあるから、いちいち細かくチェックもしていなかったのだろう。


 一方で、腕の良い大工なら武家屋敷の普請に関わるから、書判もおなじみ。いい人がこの場で証人になってくれたもんだ。


 

 僕、そこで野次馬の面々に語る。

「恥を晒すようですが、申し上げます。

『はずれ屋』の看板娘、孝行娘で1人で稼ぎ、親の病気の薬代を贖い、最後は喪主として葬儀を行い、自らを売って借金をきれいに返したのでございます。さすがは武士の娘の覚悟。

 だというのに、なんの因果か、このような男に偽証文まで作られて絡まれております。

 この『はずれ屋』店主の目太と比古、これを放ってはおけませぬ。

 この一部始終をご覧になった方たちと共に、この娘を守っていく所存にて、どうかお力添えをお頼み申し上げますっ」

 僕の口上に、野次馬から拍手が湧いた。でもって、野次馬のアンタら、今、僕に巻き込まれたの気がついているのかな?


 そこへ、こつん、という音。

 

「て、てめぇら!」

 女衒のお兄さんが、頭を押さえて吠えた。

 一緒に来た若いもんも、喧嘩支度で片肌脱ぎになる。

 そこに、さらにこつん、こつんと立て続けに音が響く。

 野次馬の皆さんが、足元の石を拾って女衒のお兄さん御一行に投げているんだ。

 ああ、野次馬さんたち、積極的に巻き込まれてくれたんだね。


「帰れっ!」

「帰れ、畜生め!」

「二重取りを企むたぁ、女衒にしたって非道がすぎらぁ」

「お前らなんぞ、お天道様の下、歩けねぇようにしてやらぁ」

 いろんな声とともに、小石がさらにばらばらと投げつけられる。

 一緒に来た若いもんたち、我先に逃げようとしてきょろきょろ周囲を窺って、野次馬の人垣の薄いところに向かって走り出した。


 野次馬の人の輪に飛び込んで、そのまま走り抜けようとしたところに誰かが足を出した。

 若いもんたち、その足に蹴躓けつまずいて、もんどり打って地面に転がる。

 そこへ、裸足や草鞋や草履や下駄によるキックの雨が降った。

 おいおいさっきのお坊様、アンタまで蹴るんかいっ。


 それを見た女衒にお兄さん、声にならない叫び声を上げて佳苗ちゃんに向かって突進した。

 僕、たぶん是田も、女衒のお兄さんは他の若いもんと同じように逃げると思っていたから、びっくりして咄嗟になにもできない。ってか、びっくりしていなくても僕たちは無力で、なにもできはしないんだけれど。


 女衒のお兄さん、走りながら懐から匕首光りものを抜いて、佳苗ちゃんに襲いかかった。

 もしかしたら、襲うのではなく、無事に逃げるために人質に取ろうとしたのかもしれない。


「このクソアマっ!」

 ようやく聞き取れる声を女衒のお兄さんは発して、一歩、二歩と下がる佳苗ちゃんに遮二無二に匕首を振り回す。ぴゅうぴゅうという、刃物が空気を切り裂く音が響く。

 佳苗ちゃん、その刃風の隙間を縫って、とんとんって足を運んで体を捌き、女衒のお兄さんの脇に回る。まるで、小魚が水中で鈍重な人間をからかっているみたいだ。

 その姿に向かって、女衒のお兄さんの雄叫びと陽の光を反射させた刃物がさらに追った。

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