第54話 営業7日目まで


 かわら版をこちらから頼んだ覚えはない。

 ところが、僕たちの営業3日目にして発行され、売られてしまった。

 カレー蕎麦、カレーうどんに、それだけのニュースバリューがあったってことだろう。

 ま、想定はしていたんだけどね。取り上げられ方次第で、「改正時間整備改善法」違反にもなるし、「軽微変更」判断でセーフにもなる事態なんだから。


 で、聞いた話だけど、かわら版売りの口上はこんな感じだったらしい。

「さあさあさあっ(ぱんぱん:持っている細い棒でかわら版の紙を叩く音)。

 珍奇、玄妙なる天竺蕎麦、天竺うどん。

 食せば三年も寿命が延びると言う(ぱんぱん)。

 そして、しゃっきりと喉ごしがよく、鰹と醤油の香りの蕎麦、しかも、そいつには青菜や餅が乗せられるっていうんだから新しい。

 そして、忘れちゃなんねぇのが、二人の看板娘の可愛さだよっ(ぱんぱんっ)。

 さらに、泣かせる話がこの店にはある。行方知れずの旦那に操をたてて、再び巡り会おうと尽くす侍の美人奥方の物語だ。

 屋台の屋号と場所はこの紙に書いてある。

 そして、蕎麦に乗せられる具の一覧もだ。

 もちろん、看板娘の名も書いてある(ぱんぱんっ)。

 このかわら版、たったの一文だ。さあ、買ってけ、買ってけ!(ぱんぱんっ)」

 うん、まぁ、たしかにそういう状況だよ、うちは。


 妙に内情に詳しいと思ったら、情報ソースは蕎麦屋台の元締らしい。

 まあ、商売だもんな、元締も。チャンスは逃さないよね。

 ってか、最初からこれを見込んで、上野広小路に良い店舗を貸したのはわかっているよ。ホント、やり手だなぁ。

 いつの間にか、竈も2つ増えているし。


 おかげで、上野広小路の僕たちの小屋掛け屋台の周りは、カレー蕎麦とカレーうどんを食べに集まる人々でごった返した。

 一日の売上は3両にも達し、水運びの若い衆は5人に増えて、揃いのお仕着せと赤いたすきで上野の新たな名物となった。

 佳苗ちゃんは配下の接客の女の子を増やしたし、ひろちゃんはその女の子たちに囲まれて無邪気に喜んで走り回っていた。

 蕎麦屋台の元締も人を増やしたし、上野広小路近くで場所を借りて、まあ、セントラルキッチン増設の運びということになった。


 それに合わせて、一度はおひささんが取っていた出汁も、再びやり方をおひささん流に改良した上で元締めのところで取るようになった。これにより、元締のところの屋台は、総じてみんな汁が美味しくなった。

 日本の伝統の本膳料理、恐るべし。

 料理の基本技術は、もう確立していたんだねぇ。



 僕たちの、はずれ屋の影響は大きかった。

 たぶん、江戸で蕎麦が蒸されることはもうない。

 茹でられて、そのまま自然に冷めるということもない。

 担ぎ屋台ですら、茹でた後は冷水で締めて、ぬめりを落としてから持ち歩くようになった。そもそも蕎麦屋台の元締がそれを配下の屋台の主たちに強制したのだから、当然のことだ。


 元締の系列の屋台は、僕たちの屋台に準じる旨い蕎麦だということで、「はずれ屋系」なる言葉まで生まれた。値段も一律に6文から8文に値上げしたけど、それでも売り切れ、早仕舞いの屋台が続出した。

 今も昔も、日本人の考えることは変わらないのかもしれない。ハウス系とか、太勝系とか、三郎系とか、ラーメンを分類しているのを僕は思い出したよ。


 その結果、他の蕎麦屋台の元締たちも僕たちのやり方を盗み、さらにいろいろな工夫を凝らして「系」の名を得ようとした。

 その中には、朝鮮僧に工夫をさせた小麦粉をつなぎに使う方法を採用して、「二八蕎麦」を生み出した者もいた。


 江戸の蕎麦は一気に進化したんだ。



 7日目、1つ目の朗報があった。

 おひささんの旦那が現れたんだ。

 それも、何人もの人に付き添われて。

 つまり、こういうことだ。


「はずれ屋」がかわら版に取り上げられたことで、おひささんの話も江戸で知れ渡ることになった。

 旦那も当然自分のことだから、わからないはずがない。


 そうなっても、今も仕官ができていない以上、どの面下げて会いに行くのかという男の意地を張っていたらしいんだけどさ。挙動不審な感じになって、同じ貧乏長屋の面々に気が付かれた。

 そもそも、妻と生まれる子を国元に置いてきたって身の上話は、長屋のみんなが知っていたからね。


 で、「会いにはいけない」と意地を張っていたらしいんだけど、江戸の人情恐るべし。

 三日三晩の寝ずの説得、談判をされて、ついに折れた。でもって、それでも逃げるかもしれないってんで、長屋の面々が見張りについてきた、と。

 ご丁寧だねぇ。


 涙涙の愁嘆場がここに発生して、それなのに中心にいながら生まれて初めて父に会うひろちゃんはただ呆然としているだけで、まぁ、家族を放り出しちゃいけませんってことだーね。

 で、屋台の周りでは盛大に「めでてぇ」とか「涙が出てくらぁ」とか「奥方も、これからは十分に甘えなさいなよ」とか、いろいろな声が飛んで、さらに蕎麦とうどんが売れた。

「幸せのお裾分けにあやかりてぇ」ってね。


 かわら版屋は、さらに続報としてかわら版を売ったし、それでさらにさらに客は増えた。

「はずれ屋」は、食中毒をはずし、不運と不幸せをもはずす店として、さらに江戸中で知られるようになったんだ。

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