第51話 開店準備
是田、必死で佳苗ちゃんに説明を試みる。
「えっと、ともかく、ほら、常世の落語家のネタなんだけど……。
俺たち、食い物商売でしょ。
当たるってのはねぇ……」
「おおぅ、なるほどっ。
中ると当たるを掛けていらっしゃる!
目太様、これはなんとも素晴らしい!」
……おひささん、思いっきり介入してきたけど、ここ、そんなに感動するところ?
まぁ、落語ができていないくらいだから、こういうダジャレも発展途上なのかな? それとも、おひささんの耐性が低い?
「これでこの店も、絶対に流行ることでございましょう。
さすがは、常世の方の考えは違いますなぁ!」
ひょっとして、おひささん、わざとやってない?
是田の目付きが、「中ると当たるを掛けていらっしゃる!」と解説された辺りから、怯えに代わってどんどんどんよりしていく。そして。最後の「さすがは、常世の方!」で、額に縦線が入った。
やっちゃいけないことを自覚する能力、欠如していなかったらしい。
結構ダメージが大きそうで、僕としては、うん、とりあえずすっごくおもしれーな。
ざまーみろって感じだよ。
1つ溜飲が下がったのは良しとして、僕たちは疲労の極み。
とはいえ、今晩はこの小屋掛けの中で寝るしかない。宿に泊まれる金もないからね。汗まみれになったから、銭湯に行くかって話にもなったんだけど、そもそも僕たち、そのお金すらない。仕方なく、4往復目で井戸まで行き、手ぬぐいを絞って全身を拭いた。僕たち外食産業だから、あんまり汗臭いとそれだけで客が逃げるからね。
とはいえ、洗濯ができるわけじゃなし、気分の問題でしかないけれど。
水は冷たく、空気も冷たく、僕たちは震え上がった。でも、少しはマシになったと思いたい。
またまた修行用の蕎麦うどんを食べて、明日は風呂に入れることを夢見て、僕たちは小屋掛けの屋台の中で雑魚寝で横になった。
翌朝。
棒手振りの魚屋が、巡回販売に来た。
そこそこいい牡蠣が桶に入っている。で、買いたいけどお金はもう1文もない。ここに儲けのネタがあるというのに……。
僕はそう思いながら諦めたけど、佳苗ちゃんは違った。
「ねぇ、魚屋のいなせなお兄さん。
お兄さんのところは、掛売りはしないの?」
そう言って、胸の前で両手を汲んで、上目遣いに魚屋のお兄さんを見上げる。
あ、悪女だなぁ。
佳苗ちゃん、武家の娘のはずなのに、これはなかなかに悪どい。
もしかしたら、買い物のときに毅然としていられないほど、マジな貧乏だったのかな……。
魚屋のお兄さん、どぎまぎしたらしく、耳たぶまで真っ赤になった。
佳苗ちゃん、普段の
これは詐欺だ。絶対に詐欺だな。
「な、舐めるないっ。
支払いなら、大晦日まで待ってやらぁ!」
うわぁ、ちょろいっ!
江戸の女日照り、ここまで酷いものだったのか。
これは芥子係長が、男からちやほやされるのにハマるってもんだなぁ。
ともかくこれで、大ぶりの牡蠣が15個、あっさりと手に入った。
「牡蠣、剥くかい?」
ってお兄さんが聞くのに首を振って、おひささんがそのまま受け取る。食べる直前に剥いた方がいいってのが、おひささんの考えだったんだ。
まぁ、これも殻から身を外せるスキルがあるからだろうけど、僕には牡蠣は単なる岩にしか見えない。一体、どうやったら身を取り出せるのか想像もつかないよ。
そして、それから10分もしないうちに、今度は野菜を籠に満載した棒手振りがやってきた。
「ねぇ、八百屋のいなせなお兄さん。
お兄さんのところは、掛売りはしないの?」
以下同文のやり取りで、ネギも手に入った。
僕が同じことをやってもダメだろうけど、女性にとっては江戸、ちょろいなぁ。
そして、それからさらに5分もしないうちに、今度は米菓子や餅を籠に満載した棒手振りがやってきた。
「ねぇ、餅屋のいなせなお兄さん。
お兄さんのところは、掛売りはしないの?」
「うちは掛売りはしねぇ主義で……」
そこで、ひろちゃんが、じぃーーーっと餅屋のお兄さんを見つめて、「……お兄ちゃん、お餅ぃ」と。
この連携プレーで餅屋のお兄さん、陥落。
餅も手に入ってしまったぞ。
ちょろいなぁ。ちょろすぎるなぁ、江戸。
そして、やるなぁ、佳苗ちゃん、ひろちゃん。
そして、僕たちの感覚では午前10時頃、蕎麦屋台の元締のところから、若いもんが二人がかりで蕎麦うどん、出汁を60人分持ってきた。
明日からは出汁は不要で、鰹節で届けてって話をして、お昼前にもう一度来てってお願いもした。
もしも売り切れていたら、再度配達してもらいたいからだ。
さぁ、どうなることやら。
日が高くなってきた。
おひささんが大鍋に湯を沸かした。出汁も温まりつつある。
そろそろ勝負だ。
寛永寺にお参りする人で、通りがごったがえしてきたぞ。
僕と是田、いよいよ営業開始にゴーサインを出す。
僕たちの営業開始の判断を受けて、おひささんがカレー粉を炒って、カレーうどんを作り出す。
作り方としては、あえてちょっと不真面目。
つまり、このカレーうどん一杯を美味しく作ると言うより、どこまでも蠱惑的にカレーの香りを広げ、通行人に認識させるのが目的の作り方なんだ。
だから、おひささん曰く、スパイスの煎り方がちょっと深め。で、これは賄いになる予定。
ま、ひろちゃんに食べてもらおうか、と。
こうしている間にも、人の流れは増えている。
さぁ、どうなるっ!?
緊張のし過ぎで、僕、胃が痛くなってきた。
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