第50話 さぁ、殺せぇぇぇぇーっ!


「で、この竹をどうすんのよ」

「のこぎりなんかないぞ。

 ついでに、もうお金もない」

 僕と是田、口々に窮状を訴える。

 僕たち肉体労働組配属だからね。文無し対策に悩むのは佳苗ちゃんの仕事だっ!


 ま、僕たちが無一文ってことになると、佳苗ちゃんは元から完全に文無しだし、おひささんだって幼いひろちゃんに食べさせるものを買うお金すらなかった。

 全員で清々しいほど文無し。

 なんかの悟りが開けるくらい。

 でも、こんなことなら昨日、奈良茶飯をお替りしなければよかった。

 さぁ、殺せぇぇぇぇーっ!


 たぶん、僕と是田の目、座っていたと思う。

 もう本当にこれ以上、僕たちにできることはない。

 このまま生宝いほう氏が綱吉暗殺に成功したとしても、なんの感情も沸かないほどに。

 だって、無一文なんだからどうしようもなかったじゃん、って。


 僕たちの口々の不満を訴える声に、佳苗ちゃん、右手に包丁を持ってふらりと立ち上がった。

 で、左手で寝かせてある青竹を立てる。

 次の瞬間、かんって音がして、青竹が縦に真っ二つになった。

 音は立て続けに続いて、1束の竹は、数瞬のうちにすべて割られていた。

 相変わらず、恐ろしい腕だ。しかも包丁にはなんの刃こぼれもない。

 これで僕たちの時間の標準でいえば、JCくらいの見た目だってのが信じられない。

 そして、次の瞬間、その包丁は僕たちの目の前に突きつけられていた。


「明日、少しでも楽をしたければ、座り込んで文句を言ってないで、今日の間に少しでも水を汲んでおくべきかと」

 ひぃぃぃぃぃぃぃ!

 地の底から響くような声だっ。

 

 コレ、提案じゃなくて脅しだよねっ?

 強制労働は明日からじゃなかったのかよっ!?

 なんでこんなに、僕と是田、扱いが悪くなり続けるんだ!?

 やっぱり、文無しになったから!?

 僕と是田、天秤棒と桶を担いで走り出していた。



 僕と是田、ひいひい言いながら2往復して、とりあえず屋台の中の容器はすべて水で一杯になった。

 鍋から丼の一つ一つまで水が入っているし、当然のように2回目の往復分で桶も満水だ。

 でもきっと、使うときには一瞬なんだろうなぁ。


 その間に、茹で場周りには青竹が敷かれ、水が地に漏れないようになっていた。

 往復の合間にちらっと見たけど、包丁の柄で佳苗ちゃんが叩くと、青竹の節は面白いように外れた。

 なんなんだ、このチート能力。

 で、抜いた節は、明日のお湯を沸かす燃料に加えられてた。

 うん、燃料もお金だもんね。


 で、たった2往復でも全身の節々が痛い。

 肩には天秤棒が食い込んだあざがある。

 足の親指周りは、マメが潰れて、またできたマメがさらに潰れた。

 明日は全身筋肉痛かもしれない。


 だというのに、明日はさらにたくさん往復しないといけないんだ。なんて恐ろしい。

 自分たちの時間に帰れるとしてだけど、その頃にはむきむきまっちょになっているかもしれない。もしくは、過労死しているんだろうなぁ……。


 疲労困憊して座り込んだ僕たちを、仁王立ちの佳苗ちゃんが見おろす。

「そろそろ、明日から商売だってことで、道行く人に声掛けしておきましょう。

 目太様、そろそろ店名をお教えくださいませ」

 ……一体全体、なに食ってりゃ、そんなに元気なんだよ。

 でも、そうだね。

 それはそうだね。

 その声掛けが終わったら、今度こそ休ませてくれよー。


 店名は、是田がごにょごにょと蕎麦屋台の元締に伝えていて、元締自身が揮毫してくれたらしい。で、小屋掛け屋台の一角に掲げられている。でも、今は藍染のボロ布が掛かっていて見えないようになっていた。

 僕も、カレーうどんの実現に気を取られていて、こっちにはまったく目が行ってなかったんだ。


 是田、よろよろと立ち上がり、それでも誇らしげに藍染のボロ布を取っ払いながら叫んだ。

「『はずれ屋』、明日開店!!」

 あまりのことに、僕、沈没したよ。

 是田、それはお前のことだろ!!



「目太様、『はずれ屋』とは、いかなる所存で?」

 僕が聞くまでもない。

 佳苗ちゃんの声が冷え冷えと響く。

 これ、下手なこと言ったら、是田、容赦なく折檻されるんじゃないか?

 佳苗ちゃんなら、是田の骨の1本や2本、簡単に持っていきそうだ。

 なんで僕たちの力関係、JCにしか見えない佳苗ちゃんに持っていかれているんだろ?

 僕たちは、いつから負けちゃったんだろう?


「……落語って知ってる?」

 緊張のあまりか、生唾をごくりごくりと飲みながら是田が佳苗ちゃんに聞く。

 露骨に怯えてんじゃねーよ、まったくもー。

「なんでございますか、それは?」

 詰問調の佳苗ちゃんに、是田が口調もたどたどしく説明を始める。


「えっと、独りの男が、座って面白い話をする話芸なんだけど……」

「鹿野武左衛門のことでしょうか?」

「誰、それ?」

 ああ、例によって噛み合ってないな。



 是田よぅ、この時代、もう落語は成立しているのかよ?

 していなかったら、なに話してもわかってもらえないぞ。

 僕たち、プロだからそこそこ歴史は詳しい。でも、あたりまえだけど、町風俗に至るまですべてを網羅できているわけじゃない。

 残念ながら、年表に載っているような事件を知っていても、こういう町中ではなんの意味も持たないことが多いんだ。落語の歴史とか、髷の先端の形の流行とか、そういう一見しゃーもない知識の方が重要だったりするんだけど、そんなのまでいちいち覚えていられないしね。


 で、成立してない落語のネタで店名を決めたとすれば、また外したわけだ、是田は……。

 まったく、めまいがするよ、是田のやることには。



※・・・柳家喬太郎師匠のコロッケ蕎麦からです、はずれ屋。

ありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る