第49話 事務分掌の決定


 水の問題の解決、つまり、こういうことだ。

 おひささん → うどん、蕎麦を作る係。

 佳苗ちゃん → 看板娘(その1)と会計係。

 ひろちゃん → 看板娘(その2)。

 言われてみれば、これはまったく動かせない。

 僕と是田がどうやっても、それぞれの係には就けないってか、就いたら崩壊する。

 そりゃあ、会計係はできるけど、「1人でできることを2人でする必要はない」って反論で敢えなく撃沈だ。


 で、その結果……。

 僕と是田 → 水を運ぶ係。

 事務分掌、これかいっ!

 一番キツイ、単純肉体労働じゃんっ!

 それも思いっきり重いっ!

 しかも、運んだ水は、ここに着くなり流されちゃうという賽の河原的なっ!

 しかもしかも、問題はこれだけじゃなかった。


 上野広小路あたりの井戸は、塩水しか出ないって。

 そか、まだまだ江戸の埋め立てはあまり進んでいない。上野も海が近い湿地帯だから、掘れば海水しか出ないんだ。

 真水の供給といえば、江戸では水道だけど……。

 業務用の利用が果たして許されるものなのか、という問題がある。ちょこちょこ使うくらいならば問題ないと思うけど、僕たちの使う量は膨大だからね。非難を受けたら思いっきりアウトだ。



 で……。

「どうしたらいいかな?」

 という僕の問いかけに、佳苗ちゃんはあっけらかんと答えた。

「すぐ近くに名水井戸があるから、汲んでくればいいのです。

 名水を使っているということで、評判も上がりましょう」

 だって。


 で、続けて言うんだけど……。

「2人で天秤棒に1斗桶を2つぶら下げて運べば、いっぺんに四斗樽が一杯にできます」って。

 1斗って18リットルだよね。

 是田と僕の2人で、いっぺんに36リットル、すなわち36kgに桶と天秤棒を足して40kg以上をぶら下げて、えんえん一日中往復を続けろ、と?


「最上級ブラック」なんて単語が頭に浮かんで、くらって目眩がしたよ。


 で……。

 僕と是田、とてもじゃないけど首を縦に振れなくて、口をもごもごさせて引き伸ばしをしていたら、おひささんからトドメの一撃。

「名水を使っている、しかも運んでいる姿が見えるということはお店の信用にも繋がりますし、結果としてより人も集まりましょうし、高く値付けできて売上も伸びましょう」

 って。


 で……。

 すがるような目付きで、井戸の位置を聞いた僕に、佳苗ちゃんはこう言い放った。

「だから、近くでございますよ、近く。

 名水弁慶鏡ヶ井戸、有名でございます。

 不忍池の対岸の北側で、池を回ればすぐでございますよ」

 って、ばかやろー。

 それだと、ここから片道800mはあるじゃねーかっ。

 まったくもー、この時代の人の「すぐ近く」は、全然当てにならないんだからっ!


 で……。

 往復1.6kmっていったら、水を汲む手間もあるから30分は余裕で掛かる。1時間に2往復、1日16往復、25.6km、運搬水量2人で1.2tと、即座に計算できてしまう自分自身が恨めしい。


 で……。

 もはや口を利く元気すら失ってしまって、「で……」ばかりになってしまった僕に代わって、是田が虚しい抵抗を試みた。

「そんな量の水をこの屋台の下の地面にぶちまけたら、ぬかるんで仕方ないよね?」

「青竹を手に入れて2つに縦に割り、節を抜いて互い違いに組み合わせれば、即席の水を通さない床となります。これで地面を濡らすことはございません。

 次はその全体の傾けた先を、側溝に繋げばよいだけでございます」

 と、続けておひささんが是田の抵抗を粉砕した。


「では、目太様、比古様、早速青竹を贖ってくださいませ。

 一斗樽4つと天秤棒2本をお忘れなく」

 佳苗ちゃん、アンタなぁ……。

 もう少し、言いようってもんがだな……。

 ホント、畳み掛けるように追い込んでくるなぁ。


 ……僕たちの、江戸での無双計画、最後の最後に来て、こんな強制労働っていう結末なのかよ。

 店が繁盛すればするほど、僕たちの労働はきつくなる。

 係長をおびき寄せる以外のもう一つのコンセプト、江戸で無双して左うちわってのは、どこに霧消したんだっ。


 時間は未だ昼前。

 残念ながら、佳苗ちゃんとおひささんが僕たちを追い込む時間、まだまだたっぷりあった。

 うだうだとできる抵抗はしたんだけれど、最終的に僕たち、首を縦に振らざるをえなかったんだ。

 


 青竹はともかく、天秤棒と一斗樽は、中古の使い古しを値切って値切って値切って買った。最後は、ひろちゃんが泣いて見せて、樽屋が舌打ちしながらも負けてくれたんだ。

 そんなもんまで売りに来る行商人が往来しているんだなぁって、僕は感心したけれど、寛永寺前だから売れるってのもあるんだろう。変わったものを売るには人の多いところでと、それは絶対正しいからね。


 青竹と天秤棒と一斗樽を買ったら、もう明日からの商売の釣り銭すらない。

 晩御飯はまた蕎麦かうどんを食べればいいし、明日からの朝ごはんもある。きっと、米が食いたくはなるだろうけれど。

 で、明日の営業のための食材は、また配達されてくる。おまけに、鰹節で出汁は取らなくていいって変更だから、それに掛かるお金もないだろう。

 でも、わかってもらえるよね、この頼りない感じの不安さ。


 財布の巾着袋はすっからかん。水ですすいで絞れるほど、財布としてのアイディンティティを失っている。

 僕たちの時間だったら、いくら財布が空でも、銀行の残高まで0円にはなっていない。でも、ここ江戸では、財布に入っていないってことは、完全にすっからかんってことなんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る