第48話 カレーうどん試食


「ちょっと、よろしいでしょうか」

 おひささんにそう声を掛けられて、僕、考えごとの世界から我に返った。

 おひささんが、小皿に盛った黄色い粉を僕に差し出している。

「香りをご確認いただければ、と」

「あ、はい」

 そう言って、僕、小皿を受け取る。


 あ……。

 僕、是田と顔を見合わせて香りを嗅ぎ合う。

 これ、カレーだ。カレーだよ。

 カレーじゃないって言うヤツがいたら、長屋の隠居に化けて、とっくりとご意見して差し上げなきゃいけないほどカレーだ。

 いきなり江戸にカレー粉が出現してしまった。

 コレはすごいぞっ!


 僕と是田、その場でハイタッチして、腕組んで、その場で踊りだしてしまったよ!


 コロブチカからマイムマイムまでいったところでひろちゃんが参戦して、佳苗ちゃんとおひささんの目が生温かいものから冷たいものになって、それで僕たちは我に返って踊るのを止めた。

 ……いいじゃんか、嬉しかったんだから。

 そして、今の一瞬だけでも、自分たちの時間に戻れた気がしたんだから……。



 とりあえずお湯が湧いたので、おひささんがうどんを茹で、水で晒してダイナミックに洗ってから茹で湯で再度温め、さらにうどんの打ち粉を集めてカレー粉を混ぜ、蕎麦汁に溶かし込んで短時間加熱した。

 そして、割り箸を丼に橋に渡して僕と是田に渡してくれた。


 あまりに良い匂いがしているためか、ひろちゃんがじーーっとこちらを見る目が切実だ。絶対に食べたいと思っているな。

 気がつけば、佳苗ちゃんの目も怖い。

「さっさと食べさせてくれないと殺すぞ」って目だ。

 さっきから、目付きが怖いけど、今が一番怖いよ。

 おっかしいなぁ。こんな娘だったっけ?

 食い意地魔神だったのかもなあ。


 で、江戸に置き去りにされて、僕たち、今日で2日目? 3日目?

 まだ、そんなに時間は経っていないよね。

 でも、一筋カレーうどんを啜ったら、涙が出た。

 僕たちの時間は遠い。

 400年もの隔たりがある。でも、この一瞬だけは、確実に戻れていたんだよ。



 1杯を食べ終わる頃、ようやくいくつかの点に気がついた。

 うーん、ネギが欲しいところだな。薬味というより、一緒に煮込む具としてだ。

 それから、出汁だけだと汁のコクが足らない。やっぱり、鶏か豚肉が欲しい。

 で、肉が厳しいのはわかっているから、せめて貝だな。やっぱり牡蠣あたりが妥当だろう。もう月名を英語で言ってRが付く季節だから、問題はないはず。

 カレーうどんは抜きにしても、江戸前の牡蠣、きっと素晴らしく美味しいに違いない。


 もう3杯をお久さんに作ってもらって、その手際の良さを感動しながら眺めて、さらにそれを佳苗ちゃん、おひささん、ひろちゃんで食べるのを眺める。

 カレーうどんが生まれたのは昭和の始めと言われているから、この光景は200年の前倒しということになるな。



 とりあえず、佳苗ちゃんの反応。

 無言。

 で、丼に残ったカレーうどんのとろみの付いた汁を、箸の先で必死にかき集めている。

 つまり、美味かったんだな。

 絶対に、美味かったんだな。


 で、ひろちゃん、君の歳はいくつだったっけ。

 1杯のカレーうどんを完食するって、すごくないか?

 顔を紅潮させて、へそ天になっているのがたまらなく可愛い。

 つまり、美味かったんだな。

 それはもう、美味かったんだな。


 対して、おひささんの反応は対称的。

 深く深く悩んでいる。

「これは、本膳料理すら変えてしまう……」

 いや、だから、その本膳料理ってのを僕は知りません。

 でも、結論としては……。

 つまり、美味かったんだな。

 間違いなく、美味かったんだな。


 で、おひささん、ネギを入れることについては無条件に同意してくれた。

 それから、少し油を使いましょう、と。

 木賃宿で僕が蕎麦をごま油で焼いたのが記憶にあって、予想がつくそうだ。これで簡単にコクが出せる、と。そうは言っても、ごま油とは違って香りのない油がよいだろうってことだけど。

 うん、僕の思いつき無責任料理未満が役に立って嬉しいよ。


 その上で、おひささん、牡蠣についてはオプションにしろ、と。

 素でもまずはそこそこ満足できるものに改良して、その上での牡蠣がいい、と。

 お金を出してくれた人に入れるって考え方だ。

 僕に異存はない。

 でも……。

「鶴の肉を入れたら、殿様にも出せまするな」

 って言われても、僕は鶴の肉の味を知りませんって。僕たちの時間じゃ、食べた経験のある人なんていないよ。


 で、カレーうどんの丼の洗い物の大変さについても、おひささんに聞いてみた。したら、おひささん、僕の予想の上を行った。

 うどんを茹でた湯を柄杓で掬い、食べ終わった丼に掛ける。

 汚れは丼から剥がれて、流れていってしまった。

 あー、こんな方法があったのかーっ。



 これで……。

 カレーうどんの目処はたったし、おひささんの手際ならお客さんがたくさん入っても問題ないだろう。

 僕たちだけだったら、絶対こうはならなかった。

 大失敗している映像だけが、瞼に浮かぶよ。

 あとは盛大にカレーの香りを立てれば、30文出すのに抵抗できる人なんているもんか。

 それにまだ300文くらいあるから、牡蠣もネギも、普通の蕎麦の上に乗せる餅や玉子だって買える。

 ……もっとも、玉子は茹玉子がいいかもなぁ。器が汚れないから、洗い物が楽なはずだ。


 で、この問題、洗い物や、茹でた麺を晒す水の問題が未解決だ。

 それをみんなに諮ったら……。

 一瞬で解決した。

 僕と是田の望まない形で。


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