第47話 火、水、重量


 その後は僕、必死でカレーの説明をおひささんに始めていた。

 是田はまだ薬研と格闘しているし、佳苗ちゃんはひろちゃんと遊んでいる。

 子守という仕事を軽く見るつもりはないけど、狡いぞ、佳苗ちゃん。


「つまり……、香ばしくて、魅惑の香りで、食べるとちょっとからくて、だからこそ食べるのが止まらなくなる、それがカレーなんです。

 とろみがついているから、ご飯にかけても美味しくて、常世では毎日食べている人もいます。

 常世の軍も、7日に一度必ず食べています」

 僕、おひささんに、必死でカレーの説明をする。

 ああ、必死過ぎて、言葉に「です」が入っちゃったよ。


 ううむ、自分でも無理があると思うよ。

 自分で理解できていないことを誰かに説明するって、おそろしく難しい。

 言葉を使えば使うほど、おひささんの頭に「?」が増えて、伝わっていない感が出てきてしまうな。


「是田さん、さっさと全部粉にしてくださいよぅ。

 話が始まりませんって」

「やかましいっ。

 じゃあ、お前がやれっ!」

「嫌です。

 僕は、カレーの説明をおひささんにしているんです」

「それは俺がやるから。

 お前がコレを粉にしろっ」

「いいえ、事務分掌はもう決まりました」

 僕の返しに、是田、僕のことを「絶対に殺す」って決めた顔になった。

 ま、いいんだけどね。今、楽ができれば、それで。


 で、そこから30分、是田はスパイスの全種類を粉にし終えた。

 まぁ、各5分の1以下って量だけどね。全部を粉にすると香りが飛んじゃいそうだから、これでいいと思う。

 でもって、この時間で作業が終わったのは、ウコン以外のスパイスは簡単に粉になったからだ。

 是田、よりにもよって、いちばん大変なものから作業を始めちゃってたんだよ。


 そこでおひささん、是田が粉にしたスパイスを少しずつ摘んで混ぜ合わせた。

「混ぜる割合は、おわかりでしょうか?」

 思わず僕、聞いちゃったよ。


「わかるわけがございませぬ。

 とはいえ、唐辛子を入れすぎれば辛くて食せぬでしょうし、ウコンもあまりに入れれば苦くなるでしょう。

 そのあたりの加減はしております」

 ……なるほど。


 なんか、思いっきり「なるほど」だ。

 料理って、こういう常識からできているのかもしれないな。

 てか、僕は自分が思っていたより、遥かにおバカなのかもしれないなぁ。あ、もちろん、是田もだ。


 おひささん、その混ぜた粉を炒ったり、嗅いだり、舐めたりしはじめたので、僕、そのままの腕組みをしして考え始めていた。

 なぜなら、ここで大きな問題に気がついたからだ。


 水がないんだ。

 まあ、僕たちの時代でさえ、レストランや食堂するのに水道と蛇口というインフラの利用ができなければ、屋台ですら厳しいってのは想像がつく。さらに水の問題が難しいのは、給水だけじゃない。排水だってあるからだ。

 江戸でだって、往来の同じ場所に毎日蕎麦とうどんの茹で湯と晒した水を捨てていたら、地面がぬかるむだけでなく塩だって浮いてくるだろうし、腐敗臭だってしてくるだろう。


 考えてみたら、屋台の商売って、水の問題がすべてを制しているんじゃないだろうか。

「大量の冷水で締める」なんてことはできないから、美味いざる蕎麦は無理だ。

 夜鷹蕎麦の屋台で気がついたけど、僕たちの元の時間世界で言えば、作る行程といい、まんま駅蕎麦なんだよ。

 だから、この時代の屋台も、駅蕎麦も、「もり」ではなくて「かけ」の系列で勝負をしている。

 そういう話で言えば、小屋掛け屋台も担ぎ屋台も同じ弱点を抱えている。


 その一方で、竈はここと屋台で大きな差がある。

 担ぎ売りの屋台は小さな七輪1つがせいぜいだ。燃料の炭まで含めて担いで運ばなきゃなんだからね。打った蕎麦だけでなく、つゆ、茹で湯まで含めた重さが肩に食い込んでくるわけだ。

 でも、小屋掛け屋台形式だと、そこそこの大きさのこん炉を2つ置くこともできる。また、それを運ぶにしても複数回の往復ができる。店側の人数も複数いるからだ。

 結果的に火についての調理の装備は、雲泥の差が生じるんだ。


 それで思い出したんだけど、江戸ではいくら荷物が重くても、あまりおおっぴらに車輪の使用はしない方が良いんだった。

 大八車は普及し始めているけど、せいぜいそんなもの止まり。

 馬の去勢をする文化はなかったから、馬車の動力としてこき使うことはできなかったし、幕府も軍事的な観点から大量輸送を良しとしていなかった節がある。

 そういう意味でも、小屋掛け形式の屋台を選んだのは正解だったな。


 それに、今の季節は涼しくなってきているからいいけど、夏だったら、蕎麦の上に乗せる具もうかうか持ち歩いていたら腐るかもしれない。しかも、これも即、重さにつながるし。

 これについても、置き場所を温度変化の少ない場所に決められる、小屋掛け屋台の方が有利だ。

 なんか、いろいろ一気に見えてきたな。


 さらに、だ。

 水道がないわけだから、丼は軽くすすいで次の客に使い回すしかない。となれば、しつこく丼を汚さないものにメニューは限られる。

 これって、カレーうどんにとってはとても不利な条件だ。

 なんか、いい手はないんだろうか?


 たしかに、小屋掛け屋台なら火と重量の問題をクリアできる。

 でも、最後まで立ちふさがる問題は、水だ。水だけは、どうにもならないんじゃないだろうか。

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