第44話 おひささんの料理の腕


 元締、僕たちを見て、のけぞるほど驚いていた。

 放蕩若旦那が、妻妾同行で来た。しかも妾には子供まで産ませていたって、当然のように邪推したらしい。

 で、いくらなんでも放蕩が過ぎる、と。


 ま、ひろちゃんはまだ長距離歩けないから、僕が抱き上げていたからね。誤解されても仕方なかったかもしれない。

 で、極めて不埒に見える状況なのに、その女性2人ときたら、共にがっちがちに礼儀正しい武士の妻女だからね。頭の中が「?」でいっぱいになったらしい。


 で、事情を話したら大きく頷いて、今日の修行のための蕎麦うどんそれぞれ10食の無償提供を、13食にしてくれた。

 そのくらいのことはしないと、江戸っ子の名がすたるんだってさ。

 ありがたいことだよ。


 で、そのあと、13食ずつの蕎麦うどんと鰹出汁の小樽をぶら下げた、元締配下の若いもんに案内されたのが上野寛永寺前。通りの名前としては下谷広小路。僕たちの時間で言えば、上野広小路だ。

 あまりのことに、口が開きっぱなしになった。ものすごい一等地じゃねーか。

 しかも、上野って言えば、出会い茶屋ラブホ街も近い。芥子係長の目に留まるって意味でも最高だ。


 口をひとしきりぱくぱくさせて……。

「なんで……」

 僕、思わず若いもんに聞いた。

 若いもん、腰を低めて僕の問いに説明してくれた。


「元締が仰っておりました。

『相手が単なる放蕩若旦那であれば、ここまでのことはしねぇ。

 だが、田舎から旦那に会うために、幼子連れて旅してきた母親を邪険にすることもまたできねぇ。

 おまけに言えば、その母親に自らのメシまで分けて助力するとは、若旦那も見かけによらず偉ぇもんだ。放蕩で人情を養ったのであれば、それに報いることくらい周りがしてやらねぇと、な』

 とのことでございやす」

 僕、思わず目頭が熱くなるのを感じた。

 僕たちの時間の世間に比べて、なんて人情が厚いんだろう。


「若いの、元締に伝えてもらいてえ。

 繁盛させて、絶対に恩義に報いるから、と」

 是田の言葉に、僕も頷く。

 今の僕たちにできることは、それしかないんだ。



 若いもんが帰ったあと、是田がつぶやいた。

「……おひささんの料理の腕、すっごいのかもしれないな」

「ん?

 どういうことですか?」

 と、僕、反射的に聞きはしたけれど、聞きながら自分でも答えがわかってしまった。


 あのやり手の商売人の元締が、人情って側面はあるにせよ、それだけで僕たちに一等地を渡すだろうか?

 きっと、おひささんの身の上話を聞いて、儲け話が向こうから転がってきたと、そう思ったんじゃないだろうか。

 僕たちの儲け話は、きっと心許ないものに違いなかった。けれど、一流料亭の包丁人並みの腕の人の裏打ちがされたら、たしかにそれは大儲けのニオイがぷんぷんするものになるだろうな。


 ということは、おひささんの腕を活かすも殺すも僕たち次第ということになる。余計な口を出さず、腕をふるってもらった方がいいんだろうな。

 うん、図らずも、僕たちの店での人事方針が決まってしまった。



 小屋掛け屋台には、営業に必要なもののすべてが揃っていた。

 その一つ一つを確認したあと、僕たちは葦簀よしずを広げて、外から見えないようにした。なぜなら、僕たちはいよいよカレーうどんの錬成に取り掛かるからだ。

 ひろちゃんは小屋掛けの中で、初めて見るものが多いためか、無邪気に喜んでいて可愛い。


「おひささん」

 と、まずは僕、話しかけた。

「僕たちは、常世の食事を作りたい。上手く行けば、絶対繁盛する。すっごく美味しいから。

 でも、佳苗ちゃんに聞いたと思うけど、僕たち、料理はからきしダメなんだよ。

 だから、僕たちのこれから話すことを聞いて、それを作ってもらいたいんだ」

 おひささん、なんかとても不安そうな顔になった。


「私のような者に、常世の料理を作るわざなど、務まりましょうや?」

「だいじょーぶ、大丈夫」

 僕が励まそうと思ってそう言うと、僕の袖を引っ張った。

「てめぇ、安請け合いするんじゃねぇ。

 また失言したいか?」

「いや、いくらなんでも是田さんよりは美味しいもの作るでしょ。

 実力を発揮してもらえば、絶対大丈夫」

 そう言ったら、是田の目が三角になって、佳苗ちゃんとおひささんの目はなんかどんよりした。


 それに気が付かない振りで、僕、一方的に捲し立てた。

 だって、料理ができる人からしたら、そう難しいこととは思えなかったからだ。

「蕎麦は、蒸さずに茹でます。

 茹でて、冷水にさらして、醤油入りの鰹の出汁で食べます。

 温かく食べるときは、晒したあとに茹で湯で温めます。

 その蕎麦には、玉子とか、油揚げとか、鴨肉とか、海苔なんかを乗せてもいいと思います。

 それから、もう一品、こちらの生薬をすりつぶし、とろみが付いた蕎麦汁に混ぜて、それを汁にしてうどんや蕎麦を食べます。黄色くなりますが、それが美味しい。

 味が足らなかったら、牡蠣か蛤を入れられればと、そう思っています。

 これらの蕎麦やうどん、通常の6文ではなく、30文くらいの値を付けてもいいと思っています」


 駅蕎麦で、できあがるまでが待ち遠しくて眺めていた光景だ。

 魚を捌くのに比べたら、絶対簡単だと思うんだよね。

 僕の話を聞いたら、今度は是田と佳苗ちゃんの目がどんよりして、おひささんの目が活き活きした。

 信号機かよ。

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