第39話 木賃宿
「で、今晩はどうする?」
是田の聞きたい意図はわかる。
寝る場所についてなんだ。
また宿をとってもいいけれど、結構な金額がかかってしまう。だというのに、僕たちの所持金はすでに500文を割り込んでいる。これって、たかだか5000円くらいにしか過ぎないから、これで普通の旅籠に泊まってご飯まで出してもらったら、完全な文無しということになってしまうんだ。
明後日から商売するのに、釣り銭すらないってことになる。
かといって、江戸では野宿もできない。
各木戸は閉まってしまうし、定廻りの目も怖い。
こうなると木賃宿にでも泊まるしかない。
木賃宿、つまり薪代のみで泊まれて、自炊する前提の宿ってことだ。でもって、中途半端にありがたいことに、僕たちには夕食にする食べ物の量だけはある。
そう、量だけはね。
そんなことを是田に告げると、是田より先に佳苗ちゃんが大きく頷いた。
「はい、倹約は大切でございます。
倹約しましょう、倹約でございますっ」
「わかった、わかった。
わかったから、もう勘弁してくれ」
佳苗ちゃんの圧に、是田が押され気味に同意に持ち込まれる。
「それに、食べ物を粗末にするのはいけません。
きちんと食べきらないと、おてんとうさまに申し訳がたちませんっ」
「これだから、昔の人は……」
「なんと仰られましたか?」
「いや、なんでもありません」
是田、お前、押され気味じゃなくて、寄り切られているじゃねーか。芥子係長への対応とそっくりだぞ。
まぁ、ね。
食べられるものを捨てるのはよくないよね。
ただ……。
どうしようか、コレ。
このままだと、完璧なマズメシだぞ。
是田と顔を見合わせて、脳裏に伸び切ってヒトカタマリになった蕎麦粘土を思い浮かべて……。
突然、僕の頭に類似した食べ物が浮かんだ。
このカタマリ、このまま油で焼いたらどうだろう?
揚げるまでは難しくても、表面だけでもぱりっと焼ければ、広東風焼きそばみたいにならないかな?
当然上から掛けられる、具ありのとろみを付けた餡なんかない。でも、今よりよっぽどマシなはずだ。
僕、疑いの眼差しで見てくる是田を説得して、小さな節切りの竹の容器に入ったごま油と塩を買った。
ごま油はすごーーく良い香りがして、これにはちょっとばかりいい予感がした。
適当に見繕って入った木賃宿、うん、まずは建物に入るなり汗臭い。
1日旅をしてきて、でも旅籠みたいに風呂なんかないところに集まった集団だからね。明日朝一番に銭湯に駆け込みたい。
それでも、さすがに30分ほども経つと慣れてきた。
そして、建物自体は旅籠のように個室にもなっていなくて、泊り客は雑魚寝するみたいだ。板の間に
僕は、長い夜になることを覚悟したよ。
で、そんな感じだから、ぐるりと見渡すだけで泊り客を全員把握できる。見るからに行商の人、つまりビジネス利用の人が多い。
竈だけは2つあって、その横には薪と言うにはちょっと細すぎる感じの不揃いな木材が積み上げられている。うん、コストが削減されているなぁ。
泊り客は、交代交代で竈を使って夕食の用意をしていたけど、僕たちの順番が来た。
僕、言い出しっぺだからと是田に丸投げされて、宿の主人に薪代を払って、それから内心ちょっとわくわくしながら鉄鍋を温めてごま油を流し入れた。
そして、ヒトカタマリになった蕎麦から、貼り付いてしまった経木を苦労して剥がして投入。
立ち上がる香ばしい香り。
その瞬間、僕、成功を確信したよ。
剥がす際に破けてしまった経木をなんとか再利用して、揚げ焼きした蕎麦を乗せた。塩を振って、改めて見るとなんか謎の物体だな、これ。
色合い的に、どうみても広東風焼きそばには見えない。ついでに、焼き蕎麦だけど、やきそばにすら見えない。
やっぱり焼き粘土だ。
ともかく薪の中の細い枝を箸がわりにして切り分けて、3人で口に運ぶ。
評価は……。
「……美味くはないが、マシにはなった」
「うわっ、美味しい」
是田と佳苗ちゃん、どっちがどっちの言葉かは、もう言う必要もないよね。
うん、作ったものを美味しいと言ってくれるだけで、佳苗ちゃんの可愛さが一気に5倍になった気がしたよ。
で、僕自身での評価?
これもまた、言うまでもない。
残念ながら、是田と同じだ。
成功の確信、脆かったなぁ。
ここまできて、僕、ようやく周囲の泊り客を観察する心の余裕が生まれた。
みんな、極めて雑多なものを食べている。
共同で米を出し合って、ご飯を炊いたりもしているグループもある。まあ、少量の米を炊くのは大変だからね。量が増えたほうが美味しいし。グループと言ったっても、袖振り合うも多生の縁ってやつみたいだ。同じ釜の飯を食った仲間という言葉もあるけど、10時間にも満たない仲間なんだな。
そんな感じだから、ご飯はまだいいとして、おかずに至ってはそれこそ千差万別だ。
熾火でメザシを炙って齧っている人もいれば、塩だけという人すらいる。
そして、貧しい身なりの母娘。母親はまだ若く、娘は幼く、それなのに夕食は抜くことにしているらしい。
母親は半眼になって無表情。娘はその母親に抱きついて、周囲の食事の匂いに必死で背を向けている。自分の分はないって、それだけは否応無く理解しているみたいだ。
それに気がついた瞬間、僕の心はざわざわした。
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