第40話 武士は相身互い


 僕と是田、視線だけで語り合う。

 是田も、僕とほぼ同時に、この母娘に気がついたんだ。

 佳苗ちゃんは、ものすごく複雑な表情になっている。

 佳苗ちゃんの言いたいことはわかる。

 今の僕たちには、あまりにお金が無い。

「関わり合いになるな」

 たしかに、それは正しい。


 でも、佳苗ちゃんはそう言いたいんだろうけど、「どの面下げてそれを言うんだ」というところで凍りついてしまっているんだ。

 僕たちは佳苗ちゃんと関わることで、すでに7両もの散財をしちゃっているし、それで佳苗ちゃんが救われたのは事実だ。「誰かを見捨てろ」みたいなこと、言えるはずもない。


 揚げ焼きした蕎麦のカタマリは2つある。

 是田の食べ残し分と、僕の食べ残し分だ。

 僕、今、手を付けなかった方を持った。

 これも厳密に言えば、「改正時間整備改善法」違反だろう。

 でも、それでも、そんなの知ったことか。

 軽微変更だ、軽微変更。

 担当として、そう判断するぞ。


「これ、食べなよ」

 そう声を掛けて、背を向けている幼い娘の背中をとんとんと軽く叩く。

 おそるおそるという感じで振り返った娘の頭を抱き寄せ、若い母親は首を横に振った。


「ご厚意はありがたく頂戴いたしまするが、遠慮させていただきたく存じます」

 そう言って頭を下げるのに僕、ちょっとだけ頭にきた。

 いや、僕の好意が断られたからとかじゃない。

 この母親、自分は良いとしても、幼い娘にまで我慢を強いるのかって思ったんだ。


「お聞きくださいませ」

 僕の後ろから、佳苗ちゃんの声。

「この者が食をと申しますのは、施しではありませぬ。

 この者たちは私に同行しております者でございますが、すでに私たちも最後の路銀をも使い果たす有様。

 とはいえ、『武士は相身互い』と申すではありませぬか。互いにこのような窮状ゆえ、共に喰らおうではないか、と」

 それに対して、母親、深々と頭を下げた。

 そして、僕が差し出した経木の上の物体を受け取ってくれた。


「えっ、この人、武士の奥さんなの?」

 ひそひそと僕、佳苗ちゃんに聞く。

「えっ、なぜおわかりにならないのでしょうか?」

「そう言われましても……」

「立ち振舞いが、町人のそれとは大きく違っておりましょう?」

「うん、なんとなく違うとは思っていた」

「なら、わかっていらっしゃるのでは?」

「ああ、そう」

 僕、よくわからないまま頷く。

 なんか、そういうものだとして納得するしかないみたいだ。


 ただね、「武士は食わねど高楊枝」そんな言葉が頭に浮かんだよ。

 きっと、娘が餓死するとしても、誇りの方を取る人たちなんだ。そこから生じる行動の折り目の強さが、町人とはあきらかに違う。

 その娘だって、空腹に泣き叫んだりはしていなかった。

 僕たちの常識から考えると、ちょっと怖いけどさ。


 とはいえ、一旦受け取ってくれたあとは、母親の遠慮はともかく、娘はぱくぱくと僕の作った焼いた蕎麦を食べてくれている。

「ああ良かった」と思うとともに、なんか僕、しみじみ嬉しくなってきた。

 幼い女の子が、僕の作ったものを「美味しい」と食べてくれる。

 さっきは佳苗ちゃんも、美味しいって言ってくれた。

 これって、人に幸せを与えるってのが見える仕事だよね。

 普段の許認可の仕事とは大きく異る。

 こういうのって、いいよなぁ。

 僕、初めて「転職してもいいかな」というか、「こういう仕事がしたい」って思ったよ。



 その後、僕と是田の2人は、カレーうどんの実現について、ひそひそと相談を重ねた。でも、わからないことが多すぎて、どう試作していいかすら意見がまとまらない。

 難しいけど、話さないわけにもいかなくて、最後には是田と頭を抱えての愚痴の言い合いになっちゃったよ。


 出汁にカレー粉を入れるのか?

 それとも、醤油を入れて蕎麦汁になってから入れるのか?

 いいや、そもそもカレー汁に醤油は入っているのか?

 カレー汁でうどんは煮込んでいるのか?

 そもそもカレー粉の配合比はどうやって求めればよいのか?

 牡蠣を入れるとして、浅蜊のように殻のまま汁に入れて煮れば口を開くのか?

 さっぱりわからん!!


 本当にカレーうどん作れるのかな?

 具体的に小屋掛け屋台の装備を見たせいか、あの道具類でどうやってカレーうどんを作っていけばいいのか、問題が具体的になったら、どれもさっぱりわからない。

 不安になっちゃったよ。昼間の自信はどこから湧いてきていたんだろ?


 その一方で佳苗ちゃんは、僕たちの得体のしれないカレーの話を聞くのはさっさと切り上げて、さっきの母娘と話している。

 お互いの身の上話で、かなり盛り上がっているみたいだ。

 たぶんだけど、浪人の妻と娘なんだろうな。想像はつくよ。佳苗ちゃんとかなり被る身の上だから、それはそれは話すネタが尽きないだろうなぁ。

 貧乏ネタだって、浪人に特化したネタになっちゃうと、理解し合える相手はなかなかいないだろうしね。



 夜半を過ぎて、佳苗ちゃんが僕たちのところへ戻ってきた。

「目太様、比古様。お話があります」

 って、小声で。

 周りはもう、みんな寝ているし、行灯も油の節約をするってんで消されちゃっている。

 そして、真っ暗の中だと、人はなぜか小声になるよね。

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