第37話 薬種問屋


 午後、僕たちは大店が並ぶ日本橋界隈をうろついていた。

 江戸広しと言えども、一日で全てのものを揃えようと思ったら、大店おおだなの揃うこのあたりでしか叶わないだろう。

 ましてや、買いたい物が生薬で、しかも変わったものが多いと想像できたからだ。


 蕎麦屋台の元締は、さすがに顔が広かった。

 是田の「胡椒が欲しいけど、買える場所はないか」という問いに、いくつかをすぐに答えてくれたんだ。

 乾物などを扱うお店でも売っているそうだけど、やはり薬種問屋なら確実らしい。


 ただ、この質問で元締の顔は、おもいっきり怪訝なものになった。

 だってコレ、薬種問屋の若旦那一行が聞く質問じゃないだろ!?

 是田め、薬種問屋のぼんぼんと僕の設定を決めておいて、そのくせ薬種問屋がどこにあるかまったく知らなくて、うっかりと元締に聞いちまうんだから。

 最初は良い設定で、たまには的に当てると思ったけれど、やっぱり外しやがったな。


 なので、これは僕がフォローしたんだよ。

 若旦那たる僕の顔がばれていない薬種の大店おおだなでなければ、買いたくても買えないのだ、と。若旦那たる自分は、まだ薬種問屋の寄り合いに出ることはないにせよ、顔は売れてしまっている。だから、父の店で調達せずに他店で薬種を買うとなれば、噂話とそこから始まる騒ぎが勘当される前から始まってしまう。そうなったら、薬種問屋の仲間内で信用を失いかねない、と。

 で、若旦那たる自分が知らない薬種問屋なら、相手も自分のことを知らないから、と。

 これには、元締も納得せざるを得なかったようだ。

 まぁ、とっさに出たにしては、我ながら良い言い訳だったと思うよ。


 

 元締が挙げてくれた薬種問屋の最後の1つを、いかにも「そこは知らなかったなー」って顔して聞いて、教わった通りの道順で大きな薬種問屋にたどり着く。

 日本橋の中でも外れの方だけど、言い訳と矛盾しないってのが重要だから、まぁ仕方がない。

 店の前までが、薬草類のにおいなんだろうな、青臭いような香ばしいような香りが立ち込めている。この匂いを嗅いでいるだけで、思わず健康になっちゃいそうだ。


 これ、ゲームとかの系列の異世界なら薬草屋とか道具屋、おしゃれな悪役令嬢とかの異世界ならハーブショップなんだろうなぁ。

 なのに、僕たちには薬種問屋だ。

 渋すぎる感じだけど、まぁ、いい。

 中身に違いはない。


「ごめんよ」

 是田が声を掛けて、店に入る。

 土間に上がりがあって、番頭が座っている。

 その後ろには、壁一面を使って天井に届くほどの高さまでに、果てしなくたくさんの引き出しがあった。

 その数の圧力に、江戸の薬種というのがどれほどのものか、僕は思い知った気がする。

 是田も佳苗ちゃんも圧倒されているみたいだ。


「いらっしゃいませ」

 土間で立っていた手代が、遠慮がちに声を掛けてきた。

「薬種をいくつか買いたい。

 申し訳ねぇんだが、次いつ来れるかわからねぇので、掛売りでなく」

 僕、ぼんぼんの役割だから、蕎麦の元締の前ではほとんど喋らなかった。

 でも、ここではそういうわけにもいかない。

 なぜなら、小さい粒、大きい粒の麦のようなものを見つけないといけないからだ。


 あと、掛売りってのは、ツケで買うことだ。

 僕たちは、いきなり江戸を去るかもしれない。だから、いつもにこにこ現金払いで済ませておきたいんだ。


「行商の仕入れの方もいらっしゃいますから、掛売りでなく店前たなさき売りもお受けしておりますよ。

 なにをいかほどご用意いたしましょう?」

「胡椒とターメリック、シナモンに月桂樹の葉にコリアンダー、あと、唐辛子と、麦みたいな見た目の大きい粒と小さい粒」

 江戸でそれぞれなんて言うかなんてわからないから、僕たちの言葉でぶつけてしまう。

 さすがに、手代の顔が途方に暮れた感じになった。


「胡椒、唐辛子はわかりますが……」

「麦じゃねぇけど麦みたいな見た目の粒、出してくんな。

 こちらの若旦那が見て、匂いを嗅げば、一発でわかる」

 是田、そう言って四文銭を2枚、手代に握らせた。


「はぁ……」

 手代さん、困惑って表情で、でも嫌そうな顔ではなくなった。

 賄賂の力で難題を解決するって、異世界無双物のお話でも一番やっちゃいけないことかもしれないのに、是田にためらいはない。

 さすがだねぇ。

 きっと、前に来たときに経験があるんだ。

 そうでもなきゃ、「ハズレの是田」にこんなことができるはずがない。


「では、上がりにお座りになって……」

「おうよ」

 僕たちは、手代さんに勧められるままに座り込む。

 この時代はまだ座布団、ぎりぎりでないんだよね。尻が冷たいよ。

 ひょとして、笑点の大喜利をこの時代に持ち込んだら、大受けするかもしれないな。

 って、落語家がもう存在しているのかはわからないけれど。


「順番に参りましょう。

 麦粒のような見た目の薬種はとりあえず後回しにしましょう。

 名前がわかっているものからお探しいたします。まずは、たーめく? とおっしゃいましたか?

 あとは、こりあんどろ?

 ああ、これは『こえんどろ』でございますね。

 これはございますよ。

 あとはげっけ? しなもん? でございましたっけ?」

 手代さん、ちょっと目を白黒させながらも、いい仕事をしている。

 それとも8文の賄賂が効いているのかもしれない。だって、蕎麦が一杯食える額なんだもんね。


 まぁ、漢方薬ってなんだかんだ言って漢字表記できるんだろうから、いきなりカタカナの語感で捲したてられたら、そりゃ戸惑うよね。

 それでも、いきなりコリアンダーの目処がたったのなら、これはすごいな。

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