第36話 公務員はぬるま湯の中?


「で、汁はどうしやす?

 近頃流行りだしている鰹節にしやすか?

 それとも、普通に味噌と大根で用意いたしましょうか?

 ただ、鰹節たとちょいと上乗せが必要になりやす」

「鰹節で」

 それこそ、迷う余地なんかないよ。

 僕たちにとっちゃ、鰹節こそが正義だ。


 どうせ、係長が江戸の男をとっかえひっかえ遊ぶにしても、1か月もあれば十分だろう。その間に、僕たちの小屋掛け屋台が繁盛店にならないと自分の時代に帰れないんだ。

 鰹節というウェーブには乗ってないとね。


「で、元締、元締んとこの鰹節、なんか色が黒いんだねぇ」

 鰹節って、こう白く粉吹いたみたいな顔してなかったっけ?

「そうっすかい?

 それなりに良いの仕入れていて、枕崎の荒節を削らせているんだがねぇ」

 元締、ちょっとばっかし、むっとしたかな。

 ケチを付けたように聞こえたかもしれない。って、これも僕の失言なんだろうか?

 で、荒節ってなに?


 なんとなく聞いて、相手を不快にさせて、それなのに説明された言葉がわからないんじゃ話にならないんだけどね。

「お1つ」

 そう言って元締、丁稚が削った鰹節の1片を突きつけてきた。

 僕、それを口に運んで齧ってみる。


 おおう、鰹の味だ。

「旨い」

 思わず感想が口から漏れた。

 これで出汁を取ったら、普通に美味しい蕎麦つゆができそうだ。

 あれっ、じゃあ、僕が高級スーパーで見たあれは、なんであんな感じだったんだろう?


「お前さま、よく知りもしないのに、元締にケチを付けるようなこと言っちゃいけません」

 僕が首を傾げていたら、佳苗ちゃんが助け舟を出してくれたみたいだ。


「すまねぇ、元締。

 鰹節ってのはもっと色白のもんだって思ってたんで、思わず聞いちまった。

 ケチをつける気はねぇし、別して旨かったよ」

 僕、そう佳苗ちゃんの助言に乗る。

 うん、僕はね、失言は失言として認めて、他人ひとの口を捻り上げるようなことはしない。

 是田とは違うからね。


「若旦那、荒節にする前の生利節なまりぶしだと、色白でございますよ。

 あれじゃ、ちょいとばかり生臭くて、つゆにして旨いかと聞かれるとねぇ……」

 ふーん、そういうのもあるんだ。

 佳苗ちゃんのおかげで、元締の機嫌、戻ったみたいだ。とりあえず、良かった良かった。


 僕、鰹なんて、刺し身か叩きかでしか食ったことがない。

 鰹節だって、削ってあるパックのやつしか使ったことがない。

 よくわからないけれど、でもさ、旨いんだからよしとしようよ。

 

 そこで是田が、2両を元締に渡した。

「鰹節代に加えて、酒手を乗せさせてもらいやした。

 これからなにかとお世話になりやすからねぇ」

 元締はそれを推しいただいて、言葉を継いだ。

「おありがとうございやす。

 明日の分、20人分は、無償でお届けしやす。一度こちらに顔を出しておくんなさい。小屋掛けまで案内させていただきます。

 つきましては、屋号を屋台に入れますんで、お考えのものがありましたらお教えください」

 そか、店舗名か。

 それは考えてなかったな……。


 という僕の焦りを空振りさせて、是田は自分の考えていたであろう屋号を元締に告げる。

 えっ、それは本当に、是田らしい発想だなぁ。

 いいのか、そんな店の名で……。



 元締、満面の笑みを浮かべて、それでも目は笑っていない表情で最後に語りかけてきた。

「最後に誰に対してでも言っていることなんでやすがね、これでなかなか蕎麦の屋台ってのも厳しい仕事でございます。

 お貸しする屋台には、それぞれの屋台の屋号が入ります。

 商いの基本は他と変わりやせん。どこまでお客様の信用を得られるか、でございましょう。

 屋台を担ぎながらも店を構え、老舗になっていく者もあれば、いつの間にやら食うや食わずで逃げ出す者もおります。

 若旦那が、家に戻れるよう、お祈り致しておりますよ」

 僕、元締の言葉に鷹揚に頷いてみせる。

 ほら、薬種問屋のぼんぼんに見えるように、だ。


 でも、心の中、少しビビっていた。

 僕たちは公務員で、本当の意味での商売の経験はない。

 言っておくけど、マスコミから叩かれているような、ぬるま湯の環境にいるからじゃあないからね。


 公務員は公社とか作っても、お金を儲けてはいけないんだよね。

 儲けが出てしまうと、民業圧迫とか言われてマスコミに叩かれるんだ。

 その一方で、過疎の村に交通経路を確保するとか、絶対に儲からない事業ばかりがインフラとか福祉とかの名のもとで行われる。そして、そこでの赤字幅が増えると、今度は税金の無駄遣いとまたマスコミに叩かれる。

 なにをしたって、いや、なにもしなくったって、存在しているだけで僕たちはマスコミからは叩かれるんだ。

 だから、みんな頭を絞る。儲けぬように、赤が出ないように、ぎりぎりのところに落とし込めるように。

 でもさ、そこに本当の商売の喜びがあると思うかい?


 工夫が売上につながって、ウハウハっていうのがあってこその商売だよ。

 だから今回、割りと自由に儲けてもいいってフリーハンドを与えられたような気がしちゃっているんだ。

 そこに、そのフリーハンドゆえの怖さってのを、元締から突きつけられた気がしたんだ。

 上見てもきりがないけど、下見てもきりがないんだ。


 がんばんなきゃ、な。



※ 雄世の頭の中にあるのは本枯節なのです。ですが、この時代はまだ、荒節が中心で、色黒なのです。

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