第33話 腹芸対決


「元締、お願いがあって参りました。

 屋台を担ぐものなら2つ、据え置きの小屋掛けならば1つを売っていただきたいと思いましてね……」

 僕の言葉を聞いた元締、一気に腰が低くなった。

 商売人だねぇ。

 金の匂いに敏感なんだ。


「おいらの元で、蕎麦屋台を担ぎたいというお話ではないので?」

「短い期間だけど、蕎麦屋商売ってのをやってみたいと思いましてね。

 ただ、ものは試しといろいろ工夫したいものでございますから、買った方が元締に迷惑がかからないって思ったわけなんでございますよ。

 元締としても、こちらがあまりに変わったことを始めると、他の蕎麦屋台の衆に示しがつかないなどと気を使いますでしょうし、ね」

 この手の話は下手に出たら駄目だ。

 その点で、僕と是田の意見は一致していた。だから、最初から貸せとは言わなかったんだ。


「お心遣い、おありがとうございます。

 とはいえ、買うとなればお高うございますよ」

「それはわかりますよ。

 だけど、今話したとおりなんでございます。

 また、私ども、本業もありましてね。短期間だけ試しができたら、いいんでございます。なので、その期間が終わったら、再び買い戻して欲しいんでございますよ。

 そういう意味では元締は2度儲ける機会がございます。

 でも、程よい値でないと、お互い、どこかで損をするんじゃないかと思うわけなんでございます」

 なんだかんだと、婉曲表現。

 こちらが元締を丸め込めるとは思っていないけど、元締からもこちらのことを、丸め込むにはめんどくさい相手と思ってもらえればそれでいい。

 ま、まずは腹芸対決だ。


 でもさ、現時語で話していると、落語でもやっているような気になるね。

 研修で最初に叩き込まれたのは、「です」を使わないことだったなー。「です」の歴史は浅いし、江戸では下品な言葉だと思われている。

 つまり、僕の身元の設定である、ぼんぼんが使っていい言葉じゃないんだ。


「なら……。

 その期間にもよりますが、当方が余計な口出しをしないという約束のもと、屋台をお貸しいたすのではいかがでしょう?

 当方としても同業の者の評判もありやすから、『売りっぱなしであとは知らない』とは言えぬのでございます」

「そいつは願ったりではございますけどね。

 こちとらがした工夫、それをむざむざ奪われるのも癪でございますし、元締としても痛くない腹を疑われるのも嫌でございましょうかと……」

 うむうむ、いい流れだ。


「そのご心配はあたりませんよ。

 こちらとしては、貸し料をいただけて、蕎麦やうどんの仕入れの支払いをきれいにしてもらえれば、それこそ一切口を出すもんじゃございません」

 うん、嘘だな、元締。

 嘘つきはニオイでわかるんだよ。

 って、ニオイは冗談だけど、語調ではわかるな。声が若干だけど高くなった。僕たち、面接での聞き取りの経験が多いからね、わかるんだよ。


 でも、ま、構わない。

 かまぼこだの、ちくわだの、玉子だのを乗せた蕎麦は真似られても、個人的にも法的にも痛くも痒くもないし、カレーうどんは絶対真似できないだろうからだ。



 正直蕎麦だけでなく、他の屋台の蕎麦も横目で覗きながら来たけれど、種物の蕎麦は一切なかった。

 どうやら蕎麦にいろいろ乗せだすのはまだまだ後世のことっぽいらしいし、〇〇蕎麦というだけで、新しい蕎麦になってしまうってことだ。


 これは商機だともいえるし、これをやったら法律上も厳密には問題だと言うことはできる。でもまぁ、これも軽微変更と言い逃れられはする。

 油揚げだの、玉子だの、ちくわだのを乗せた例はなかったのかと逆に問えば、水掛け論になってしまうからだ。

 ちょっと気の利いた蕎麦職人ならばこのくらいの工夫はするだろうし、そういう例は皆無だったという証明は誰にもできない。

 つまり、これも悪魔の証明なんだよ。

 そして、これが後世に広まらなかった理由だって、いくらでも考えられる。

「値段が高かった」って理屈もいいし、「蕎麦の繊細な旨味を、乗せた具が殺しちまうぞ」なんての、言い訳としちゃ最高だ。江戸っ子はやせ我慢で生きているから、こういう文句に弱いんだ。


「では、元締を信頼することといたしましょう。

 まずは一ヶ月、お借りいたします」

「担ぐ屋台と店を開く形の小屋掛け屋台とありますが、どちらをお考えで?」

「それぞれ、一ヶ月お借りするのに如何程で?」

 質問に質問で返す僕。

 一応歩きながら、ぼそぼそと是田と相談はしてあった。

 だけど、どっちにせよ値段を聞かないと判断できないってことで、その時は落ち着いたんだ。


 元締、僕の逆ねじに、一つ大きくため息を吐いて見せてくれた。

 うん、雰囲気が不穏だ。

 いや、不穏に見せかけてくれるじゃねーか。



「そろそろ、腹を割ってお話しいただけませんでしょうかねぇ」

 突然、元締が話題を捻じ曲げる。

「はぁ……」

 元締、単刀直入に突っ込んできたな。

 とりあえず、僕は曖昧に頷く。


 つまりさ、腹芸対決に、元締の方が先に焦れたってことだ。

 元締は、僕たちの正体を疑っている。僕たちだって未来から来たとは言えないから、奥歯に物が挟まった言い方になる。しかも、江戸の歴史は知っていても、生活習慣とかまで知り尽くしているわけじゃない。

 僕たちの着物の下が六尺ふんどしではなくてぱんつであるように、一皮剥けば嘘ばかりってのが、元締には見え見えなんだ。

 で、江戸っ子の元締が、腹芸を延々やっていられるほど気が長くないってのはよくわかるよ。

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