第30話 奈良茶飯は美味いっ


 ごそちうだーーっ。

 いや、ごちそうだーーっ。

 奈良茶飯ってさっき、言っていたよね。

 お茶で炊いたご飯みたいだ。ほうじ茶かな、香りがとてもいい。

 でもって、一緒に大豆と細かく切った大根が炊き込まれている。そして、ちょろっとだけど顔を出しているの、栗じゃないかな。

 それに豆腐のあんかけとしじみ汁がついている。


 一口食べたら、止まらなくなった。

 この世に、こんなに美味いものがあったのかって気がする。

 たくさんたくさん歩いたあとだし、きっと、さっきの蕎麦とのコントラストがありすぎているんだ。


 茶飯に効いた塩味がたまらない。

 動物性のものがしじみしかないのに、それでも許せる気がするほど美味い。

 思わず、おかわりを頼んでしまい、「9文になります」って言われて我に返った。

 うう、ここでおかわりしたら、30文を超えてしまう。

 超えてしまうけど……、もういいや、おかわりしてしまえ。


 せっせと貪り食って、僕も是田も天井を見上げた。

 腹が苦しいからだ。

 美味かったなあ。

 佳苗ちゃんも、おかわりこそしなかったけど、膳の上のすべての食器が空になっている。


 そうか、和食が成立しつつある時代、美味いもののレベルは高い。夕べの晩御飯だって、美味しかった。でも、蕎麦についてはまだ発展途上なんだ。

 でも、美味いもののレベルがここまで高い以上、蕎麦がこの美味さにまで引き上げられるのは時間の問題なんだろうな。


 これ……、却っていいかもしれないぞ。

「是田さん、いいこと思いついたんですけど……」

「おう、なんだ?

 あ、お女中さん、食後にお茶を一杯、所望」

 人の話はきちんと聞けよっ。

 だから、的を外すんだよっ。


「是田さん、さっきの蕎麦、お世辞にも美味しくなかったですよね。

 だから、いいかもしれませんよ?」

「だから、なにが?

 なにがいいんだよ?

 雄世、お前はいつも言葉が足らねーんだよ」

 うーん、まぁ、そうだろうな。

 いくら僕でも、今回はそうだと思うよ。でも、言いたいことがたくさんあって、なにから話していいかわからないんだ。


「つまりですね、カレーうどんを裏メニューにして、カレー蕎麦を表に据えたらどうでしょう?」

「どういうこと?

 さっきから話が見えないぞ」

 よし、じっくり説明しちゃる。


 僕は説明をする。

 些細でも、法的には大きな違いがあることを。

「最初に言いますが、カレーうどんを作るという基本方針は変わりません。

 今の計画は、元禄文化に徒花のような咲いた天竺うどんが、明治の世に生まれたカレーうどんと同一なものだと歴史上の証明はできないということに、僕たちが付け込んでいるものです。

 法的には、黒に近いグレーですね。僕たちの身の安全は、疑わしきは罰せずという刑事訴訟法336条に賭けているわけです」

 うんうん、と是田は聞いている。

 でもって、佳苗ちゃんは呆然としている。ま、理解はできないよね。常世の言葉だということで、そのまま呆然としていてもらおう。


「でも、さっきの蕎麦を食べて思ったんですけど、この時代の蕎麦は洗練の極みともいえる江戸の蕎麦切りが完成する途中のものです。つまり、これから相当の試行錯誤が繰り返されたはずです。未だ、原型が完成していないのです。

 うどんの原型はすでにできていて、その発展型の1つがカレーうどんですから、天竺うどんと聞いて『後世のカレーうどんなのかも』と僕たちは自然に連想します。江戸時代のメニューであっても、インドつながりでそう思うんです。

 ですが、蕎麦はうどんに比べて完成していませんから、天竺蕎麦と聞いても、一足飛びのその発展型のカレー蕎麦には連想が及びません。

 そもそも、カレー蕎麦は、カレーうどんに比べてあまり食べませんしね」

「うん。

 そこまではわかった」

 是田がうなずく。


 僕は、やっぱり呆然としている佳苗ちゃんを見ないようにして話を続ける。

 奈良茶飯屋は忙しく、騒がしく、逆に密談には向いているかもしれない。

「だから、天竺蕎麦と聞いても、常世では『仏教的な要素が入ったなんかの蕎麦』と連想が進むんです。

 カレーは発想されません。

 つまり、カレーうどんと比定する俎上にすら乗らなくて済むのです」

「うん、雄世、お前の言いたいことはわかる。

 うどんとカレーは発想として組み合わせられるけど、ここの蕎麦はそういう組み合わせをするには未完成過ぎるってことだな。江戸時代初期の常識じゃ、まずは蕎麦として美味しくないんだから話にならない。

 俺たちが訴えられたとして、今の時代の蕎麦の現状を調べれば調べるほど、カレーうどんの概念とは遠ざかるだろう。つまり、公判の維持どころか、そこに違反があるかどうかという話にすらならないから訴えられないんだな。

 たださ、天竺という言葉自体はどうなんだ?

 やっぱり、インドを連想させはするだろう?」

 うん、僕、是田のこの質問は予想していたよ。



「繰り返しますけど、蕎麦は未だに発展途上です。

 で、徒花のように咲いて消えていった数々の試行錯誤の蕎麦の中に、天竺蕎麦っていうのがあったというのは、ありそうなことなんです。

 日本、中国、天竺インドで、三国一です。『三国一の花嫁』と同じ発想で天竺を使ったという見方もできるでしょう。

 つまり、美味い蕎麦という表現のためだけに、天竺という言葉を持ち出したというのは極めて自然なことなんです。

 こうなれば……」


「つまり、『改正時間整備改善法』に定められている、軽微な変更けいへんに持っていけるかも、ということか?」

「はいっ!」

 おお、さすがだな、是田先輩。

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