第17話 江戸で稼ぐのは難しい

 

 僕と是田、男2人でぶすくれた顔していちゃ、どんな商売したって客なんか来ねーよ。

 でも、看板娘がいたら、どうだい?

 ま、可愛いけど、愛嬌売れるような雰囲気でもないけどな、佳苗ちゃんは。

 でも、武家言葉で折り目正しく接客したら、かえって町人たちにウケたりしないかな?


「今のお話ですと、元手は心許こころもとないということになりますね」

「ああ、情けないけど」

「まずは商売というならば、棒手振ぼてふりなら元手はかかりませぬが?」

 佳苗ちゃんはそう提案する。


 棒手振りとは、棒の両端にかごをくくりつけて、それを担いで野菜とか浅蜊とかを売り歩く仕事だ。

 これなら、当日に仕入れるための元手以上のものは要らないし、大金を握ることは無理でも、その日暮らしで当座生きていくことはできる。

 なんせ設備投資が棒1本とカゴ2つだけで、ほぼ不要だからね。

 食事は売れ残りで賄えるし、是田と僕で野菜と浅蜊とかに分業すれば、日々の食事にも困らない。

 


「できなくはないだろうけど……。

 それぞれの棒手振りは、縄張りを持っているんじゃないのか?

 今や無宿人になってしまった俺たちが、客を見つける巡回ルートの確保ができるかどうか……」

 うーん、是田の言うことにも一理ある。それはたしかに難しそうだ。

 

 下手なところで商売始めて、袋叩きなんて目に遭ったらどうしようか。女衒に殴られただけでこんなに痛いのに、日々重労働をこなしている棒手振りに殴られたら、確実に死ぬ。


 まあ、そもそもこの心配が杞憂で、自由に商売できる可能性もありはする。だけど、既存の利権の中に入っていくのは大変だってのは、いつの時代だって変わらないだろう。


 それに、根本的な話だけど、僕は魚や野菜の目利きなんかできないぞ。是田だってそうだろう。

 たまーに自炊するにしたって、スーパーで売っているものをなにも考えずに買ってきているだけだ。仕入れなんてできるはずがない。


「縄張りって、どうなん?

 あるもんなん?」

 僕、佳苗ちゃんに確認する。

 とりあえず目利きの件は棚に上げて、だ。


「それにつきましては、品川では特段に感じることはございませんでした。でも、江戸の中心であればあってもおかしくないのかも知れませぬ。

 ただ、今思うに……。

 おそれながら、一日荷物を担いで歩き廻れる力が、目太様と比古様、たぶんないのではないか、と」

 ……そのとおりだ。

 まったくもって、情けないけどそのとおりだ。


 風呂で気がついたけど、この時代の男、小柄ではあってもみんな恐ろしいまでにむきむきマッチョだった。「キレてる、キレてるよっ」とか、「身体ん中に、仁王像入っているんかい!?」とか、掛け声をかけたいくらいだ。

 僕と是田、細い貧弱な脛を洗いながら、洗い場で小さくなっていた。

 日常での筋肉の使用量が違いすぎるんだろうね。ただでさえ、自分の時代で喧嘩しても勝てないくらいのひょろがりの僕たちは、相撲の支度部屋に迷い込んだ文芸部の中学生の気分だったんだ。


 そのせいかさ、この時代の男と遊びたいという、芥子係長の気持ちがちょっとだけわかったような気がしたよ。

 わかりたくもないけれど。



 ちょっとげんなりした顔で、是田、佳苗ちゃんに聞く。

「さっき、『まずは』と言ったよな。

 次の案は?」

「めたさんとひこさん、なんか人に教えられるようなことをご存じでは?

 論語を講じられるとか、筆を能くするとか……」

「ワープロソフトと表計算なら使えるけど……」

「わーぷ……、それは、どのような?」

 えっと……。

 江戸じゃ、こんなの、なんの役にも立たないな。


 口ごもってしまった是田に、なにかを察したのだろう。

 佳苗ちゃんは、話の角度を変えてきた。

「もう一つの、計算とかおっしゃったのは、算術に堪能だと?」

 佳苗ちゃんにそう言われて、僕、是田に聞く。

「高校の数学、僕はもう錆びついちゃってますけど、是田さんならどうです?

 江戸でなら……」

「だめだ、雄世。

 お前はわかってない」

「なにをですか?」

 なんで、いきなり最初はなっからそんな否定をするんだ。


「お前な、今、もろに関孝和とか渋川春海の時代なんだよ。高校数学程度じゃ、商売にならん。

 微積法なりで高等学校の数学は関孝和を上回っているけど、雄世、自分で考え出したことじゃないだろ。

 あっという間に上げ足を取られて終わるぞ」

 えっ、よりにもよって今かよっ。

 イギリスじゃニュートンの時代でもあるし、洋の東西を問わず、今は天才が出ている時代なんだな。


 それらの人に並んで数学を論じるなんて、想像するだに恐ろしい。

 くっ。

 是田が否定するわけだ。

 つくづく公務員って仕事、江戸じゃ役に立たないな。


 まぁ、もしかしたら1つや2つは僕たちでも幕府で役人としてできることはあるのかもしれないけど、家柄とかそういうので就職は決まるんだろうから、どっちにしたってお呼びじゃなかったなぁ。



「そもそも、目太様と比古様は、お国ではどんな仕事をなさっていらっしゃっいましたか?」

 佳苗ちゃんにそう聞かれて、僕たち、さらに絶句する。

 できるだけ正直に答えないと、仕事の適性の判断をしてもらえない。でも、僕たちには、「現時人」である佳苗ちゃんに対して、「察知回避義務」が課せられている。

 どう答えようか、どう話を作ろうか、どう誤魔化そうか、思考が立ち往生しちゃったんだよ。


「……佳苗ちゃん、だれにも話さないでくれるかい?」

「ご事情があるのでございますね。

 厚恩ある、目太様と比古様のことでございます。

 なにがあろうと、誰にも話しませぬ」

 ちょっ、是田、話しちゃうつもりかアンタ?

 「改正時間整備改善法」違反だぞ、違反っ!

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