閑話休題 法改正の経緯
このあたりで、詳しく説明しよう。
僕と同じ公務員の人は笑ってくれるだろうし、そうじゃない人は僕たちがどんな仕事をしているか知ってもらうことができるだろう。
めんどくさければ、閑話休題は飛ばしてくれたって良い。
でも、戒名と言われるほど長い熟語と、この面倒くささと付き合うのが公務員の仕事のもう一つの本分なんだ。
「時間跳躍機」が発明され、世界の国々は一つになった。
国家レベルの、歴史に対するテロ行為の数々の果てに、だ。
世界政府ができ、人々の意識は大きく変わった。
いや、変わりすぎた。
まず、過去は固定されたものではなくなった。そうなると、現代の価値観で歴史は洗い直されることになった。
世論はスタンピードを起こしていた。
一例を挙げよう。
日本自治区において、いわゆる時代劇はまったく制作されなくなった。
なぜなら、もはやいちゃもんとしか思えないような苦情があまりに増えたからだ。
まずは、「現代に制作されるドラマにおいて、あえて女性が米を炊く描写があるのは性差別である。これは是正されるべき過去の時間だというのに、描く意図はなにか?」というような、生活風景に対するクレームが放送局に来るようになった。
一時は日本人の心の故郷とまで言われた忠臣蔵ですら、「寄ってたかって老人の首を斬るだなんて、そんな蛮行をドラマにしてまで現代人に見せる必要がどこにあるんだ?」
と言われるようになっていた。
そして、そのような価値観を持つ人々が主流派になると、ドラマなどの創作物で描かれる史実の戦争は、みな原因なき戦争ということになった。
戦争の原因とは不条理なものだ。
なのに、その不条理は、「今の進んだ時代にそぐわない。あえて描写の必要はない」とされたからだ。
そして、原因なき戦争は、一律に愚かなものとして扱われることになった。
この風潮に、口の悪い識者は言った。
「『寝た子を起こすな。どんな時も』
これが今の時代の正義なのです」
と。
そして、この識者は袋叩きにあって、テレビのコメンテーターの仕事を失った。この言葉は、「正しいことを実現するために行動している人たちに対する侮辱」なんだそうな。
時間跳躍機があるのだから、過去の人類の過ちは、今の進んだ「人道的価値観」で修正するべきだ。
そんなある意味正気ではない主張が世の主流になると、どんな意味でも反対意見は一気に終息した。
なぜならば、今の進んだ「人道的」な価値観とやらの真の中身が、個々の人々の深層では太古の昔から変わっていなかったからだ。
つまりは、「今、自分が甘んじている不利益は、すべからく過去の人類の過ちのせいにできる」という本音だ。これを裏返せば、「歴史を正しくすることで、自分は大金持ちになれる」という最悪なことになる。
つまり、この「人道的価値観」という建前は、キレイゴトで個人の持つ欲を覆い隠したし、間違った歴史は修正するべきだという口実になった。
そしてついには、これらの「人道主義者」の声は議会を動かし、結果として「世界政府時間維持局」をも動かした。「時間維持局」という組織の根拠となっていた法律が、「歴史維持法」から「時間整備改善法」という新法に置き換えられたからだ。
名は体を表すということで、組織名も当然のように「世界政府歴史維持局」から「世界政府時間整備局」に変わった。
「維持」から「整備」へ。
この違いは大きい。
歴史を変えていいとなれば、歴史という単語の概念そのものが変わる。かつて「歴史から学ぶ」という言葉があったけれど、今や「歴史こそが現在から学ぶ」と言われるようになった。
そして、時間跳躍機発明後、ひたすらに歴史改変を阻止するのが役目だった局組織は、時間改変に関わる主役に祀り上げられてしまった。
つまり、すでに可変となった「歴史」は神聖不可侵なものに非ず。
歴史を改変し、さらに改変しと繰り返すことが前提になると、「歴史」という言葉自体がそぐわない。「歴」という字は、「過ぎた事柄」という意味があるからだ。
したがって、「過去の歴史」というもの自体が、単なる「時間」の流れのパリエーションうちの一つにすぎないと扱われるようになったんだ。
僕は、入局4年目で、人事異動もないのに3枚目の辞令をもらうことになった。
組織名が変われば、所属名称も変わることになるからね。
当然のことだけど、人道的理由というのはあまりにふわっとした定義で、人によっても価値観が異なっていて、斉一的な法運用が難しい。
また、結局は個人の欲望を満たす本音が隠されていても、建前として作られた人道的理由に対して、時間改変の可否について一定の判断基準は必要だ。
それに、個人の金銭欲とかならまだ罪は軽い。テロですら、まだ納得ができる。
問題は、「歴史は変えていいんだ」という前提が生じると、過去史の改変は異世界での冒険と変わらないという側面を持つに至り、結果に責任を持たずに過去の時代で無双し放題できるだろうという、新たな娯楽需要が生じたことだ。
ただ単に、その娯楽のためだけの申請なんてものも続発した。
これがどういうことかと言うと、関ヶ原の戦いに重機関銃を持ち込もうとするヤカラを阻止するなんて、仕事としては極めて馬鹿らしい事態まで生じたんだ。「一気に1000人も撃ち殺せば、戦さが中止になって人道的」って説明には、係員みんながめまいを覚えた。
この
それでもまだ、論理があるだけいいとも言える。
勢いだけの、馬鹿としか思えない申請もあった。
あまりの申請内容に、呼び出して面接したら、こういう言いぐさだった。
「オレが世界征服したら、人道的ですべてがイイ感じの国ができるぞっ!
世界統一政府を2000年早めてやるから、兵器は持ち込み放題なっ!」
だとさ。
お前のこんな申請、許可できるわけないだろっ!
僕たちが大学を出て公務員になったのは、こんなめまいを毎日のように覚えるためじゃないんだ。言ったら絶対怒られるけど、「全体への奉仕」ってのは、バカのお守りのことじゃねーぞっ。
そして、当然のようにこの現状は、次の事態を生んだんだ。
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