第4話 不運大王と失言大王、降臨


 時間跳躍機の跳躍実行スイッチは、芥子係長が押した。この操作は係長権限が必要で、僕たちの指紋ではスイッチが反応してくれない。


 江戸とは言っても、夕刻の郊外には人影はない。この先100万人都市になるとはいっても、江戸の都市計画では面積の大部分を武家屋敷が占め、町人の居住区は極めてコンパクトにまとめられる。

 見渡しても、田園風景と開墾から取り残された森林があるだけで、農家の家屋も数えるほどしかない。季節が晩秋でなければ農作業をしている人たちもいたのだろうけど、侘びた雰囲気の中、寒さだけが肌を刺す。


 是田と僕は時間跳躍機を降りた。

 ほのかに焚き火の匂いのする清澄な空気を吸い込んで、これだけでもう、江戸を満喫した気分になる。


 時間跳躍機は当然のように空間も跳躍できるから、安全を考えて静止軌道上に待機させておけば誰からも見つかることはない。

 この年代に来たことはなかったけれど、知識としてはきちんと頭に入っている。ここから20分も歩けば江戸の町に入ることができるし、1657年の明暦の大火以降、屋台の数は増えていて、天ぷらだってつまめるし手軽に蕎麦やうどんをすすって温まることもできる。この時代の江戸では、うどんもありふれている。むしろ、江戸は時代が下るごとに蕎麦が優勢になっていくんだ。

 もっとも、未だ華屋与兵衛は生まれていないので、握り寿司はない。


 芥子係長は、時間跳躍機の静止衛星軌道待機の設定をしながら、ここで再びわがままを呟いた。

「どうせなら、カレーうどんが食べたい」

 それは1904年まで待たねば食べられない。明治が来るまでは無理なメニューなんだ。だけど、それを知っていて言うのが芥子係長だ。「本気で食べたかったのなら、出発前に喰えば……」なんて正論、絶対通用しない。


 まあ、いつもの事だ。

 だから、聞いたふりで、ただただ聞き流せばよかったのに……。

 是田の溜まりに溜まっていたストレスは、この一言で決壊した。してしまった。

 いや、もしかしたら芥子係長、出発前にトッチメた是田に対して、いじめの仕上げをしようと思って言ったのかもしれない。


「この時代に来て、わざわざレーうどんを食いたいと言うだなんて、係長、いつもいつも、係員に対して酷すぎやしませんか?」

 僕、是田の袖を引く。

 出張して行った先で騒ぎを起こさないで欲しい。それ、必ず僕が巻き込まれるパターンだからだ。


 ってか、さ。

 ヤバいところで是田、食いついちまったよ。

 なぜもう一言を待たなかったんだ。絶対次には、パワハラの決定的な証拠になる言葉を吐き出してくれただろうに。これじゃ、是田がインネンつけたみたいだぞ。


「私がカレーうどんを食べたいと、ワ・タ・シが、係員に酷いことしていることになるのか?

 具体的に説明しろ」

 切れ長の目で、是田を睨みあげながら係長が聞いてくる。案外、係長は小柄なのだ。

 そして切れ長の美形とはいっても、色気よりタチの悪さを感じさせる眼をしている。地頭もいいから、世が世ならさぞや立派な悪女だろう。


 で、是田、今気がついたけど、お前、録音しているんだろ?

 だけどさ、なんで係長がもう一言押したところでキレなかった?

 まだ、言質がとれていない。いくらなんでもキレるのが早すぎたんだよっ!!


 まぁ、仕方ない。

 是田はこういう奴だ。

 常に必要なものの隣にいる。近くにはいるけど、決して目標の場所にはいない。人生、的外しと誤爆で不運に生きてるヤツなんだ。

 


 無言で肩を怒らせている是田をちろんと見やると、係長、僕の方に視線を向けた。

「雄世、お前も是田と同意見か?」

「い、いえ、是田の言葉が足らなさすぎて、誤解が生じたように見えます」

 僕だって、必死だ。

 なんとか、穏便に済ますための論理を考え出さなきゃ、巻き込まれてしまう。そして、巻き込まれたら絶対に碌なことにならない。



「是田は、係長の要望に応えなくてはと、いつも必死で気を使ってます。

 係長の、人並み外れた尻の軽さのフォローのためです。

 さすがにここのところの激務でそれが上手く行かなくて、是田は自分を責めているんです。

 係長を責めたのではありません!」

「違うっ!」

 あ、是田、お前、その否定で人のフォローの努力をみーんな無にしてくれたな。


 さらに是田が語りだすのに、係長の声が被さった。

「これでは、一緒にチームとしての仕事はできないな。

 私は新宿の時空震を確認したら、帰る。

 お前たちはお前たちなりに自力で帰れ」

 そう言い捨てると、芥子係長、僕たちを一瞥もせずに時間跳躍機のタッチパネルに触れると、一瞬で姿を消した。


 これ、なんかの悪い冗談かよ?

 僕たち、置き去りだ。

 いきなり、江戸の郊外に放り出された。「自力で帰れ」って言われたって、帰る方法なんて、400年くらいを生き抜く以外ありはしない。そう思うと、ただただ寒いぞ。



 是田は僕の真っ青な呆然とした顔を見て、ぼそぼそと呟くように聞いてきた。

「雄世、俺たち、江戸時代に置き去りってことかよ?」

「あのな、時間跳躍機の跳躍実行スイッチは係長権限なんだよ。

 僕たちだけじゃ、時間跳躍機があってすら、どうやったって帰れない。

 お前があと400年くらい生きられるんなら、生まれたばかりの係長に文句の一つも言えるだろうけど、それを帰るって言っていいのかわからねーよ。

 なのに、なんで切れたんだっ?

 お前が僕のフォローを、『違うっ!』なんて言うから……」

 職場の先輩を「お前」呼ばわりしてしまったけど、僕、止まらなかった。

 理由は単純だ。

 逆上していたからだ。


「雄世、ひとまず落ち着け。

 で、お前さあ、軽いのは『尻』じゃなくて『腰』じゃないか?」

「えっ?

 フットワークが軽いっていうのは……」

「腰だ、腰っ!!」

「だって、動かない人のことを尻が重いって言うじゃないですか?」

「重いのは尻、軽いのは腰っ!

 特に女相手には気をつけろっ!!」

 えーっ……。


「あのな、係長、お前と俺、両方に怒ったんだ。

 いや、お前のほうが酷い。

 フォローにかこつけて、図星っているからな。

 係長に、正面から『尻軽』って言い放つなんて、気でも狂ったのかと思ったぞっ!」

「えっ?

 あっ?

 ええええーっ?」

 僕、呆然と声を上げていた。

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