第3話 違法ではなくても脱法


 そうは愚痴っても……。

 芥子係長の下では、病むことはあっても殺されないだけマシだ。ただ、逆らわない方が良いってことには、なんの変わりもないのだけれど。


 係長がもう一つ昇進すれば、職員組合から抜けてその保護はなくなる。それに、管理職評価制度の対象にもなっていく。そうなれば、もう少し僕たち下っぱにも戦いようはある。

 つまり、裏を返せば、係長とは組織内での制度の隙間にあって、どれほどの無茶をしても気が付かれにくい存在なんだよ。



 だから、僕は絶対に係長には逆らわない。

 僕は無言で時間跳躍機の設定を行い、入力した数値のチェックを2回繰り返した。そして、ヘルメットと一体化しているバイザーを被る。時間移動中に、閃光が見えることがあるので、その防御のためだ。

 このときの僕は、ストレスのために感情失禁一歩手前の是田これだ 芽太めだの自滅行為に巻き込まれるなんて、これっぽっちも想像していなかったんだ。



 僕と是田は髪を総髪の銀杏髷いちょうまげに結い、清潔ではあってもそこそこくたびれた和装になっている。

 銀杏髷ってのは、この時代の一般的な髪型だけど、普通は月代さかやきを剃る。つまり、額から頭の天辺までを剃るんだ。でも、僕たちは剃らずにいるから総髪だ。

 月代を剃る方が、この時代では一般的なんだけど……。これで現代に戻ったら、ストレス発散のために居酒屋で呑んだくれると、落ち武者の飲み会になっちまう。


 まぁ、いくら化けていても、着物1枚脱がせば、江戸の人間でないのはすぐにバレる。

 さすがに六尺ふんどしはめんどくさくて、ぱんつをはいているからだ。もう少し時代が下れば、越中ふんどしになって、ちょっとは楽になるんだけどね。

 でも、まあ、この程度でも仮装しておけば、江戸の町で目立つことはない。そもそもわざわざ、人の股ぐらを覗き上げに来るヤツもいないし。


 芥子係長も、梔子くちなし色の地に朱で描かれた麻の葉文様の着物を着て、町娘の姿になっている。

 引眉お歯黒は嫌いだから、この姿なのだ。きっと僕たちになんか仕事を言いつけて、その隙に男漁りをするはずだ。

 中身はパワハラ理不尽大王でも、寿命200年時代かつキャリア組で歳も若いから、腹立たしいことに見た目はそこそこきれいな小娘なんだ。


 江戸の町の男衆は、独身女性に声を掛けるのにためらいはない。

 声を掛けられるのが嫌であれば、既婚者の証である引眉お歯黒のメイクをすればよい。つまり、この時代標準からしたら、つまり、いい歳をして嫁入り前の娘を装うというのは、つまり、なんだ。

 おわかりいただけただろうか?


 時間跳躍先で持つ、現時人との関係以上に後腐れのないもの、僕にはちょっと思いつかない。現時人側からこちらを追いかけることはどんな方法をとっても決してできないし、偶然にばったりなんてことも有り得ないんだから。

 もっとも、僕が、江戸時代基準でだとしても、「いい歳をして」なんて考えていることが芥子係長にバレたら、どのようなパワハラを受けるか想像もつかない。こちらは決して消えない後腐れのカタマリになるだろう。


 なお、当然だけど、「改正時間整備改善法」第四条第2項を受けて、「改正時間整備改善法施行令」第六条2項のロには、時間跳躍先で現時人を妊娠させることを禁じる条文がある。

 「改正時間整備改善法」第四条第1項と、それを受けての「改正時間整備改善法施行令」第六条1項には、行った先での時間の二重跳躍の禁止とか、物理的制約に等しい時間跳躍に関する基本的禁止事項だから、それぞれの2項は完全に人間の行動への制約だ。そして、第四条第2項イは「察知回避義務」だから、それに続くロがどれほど重視されているかわかろうってもんだ。


 だから、現時人を妊娠させることは、それこそしてはいけない行為の羅列の1番目ということだ。できた子が、時間の流れを想定外に変えかねないからだし、孕ませ逃げが横行すると、これこそ人道的という行為に最も反することになりかねないからね。

 ちなみに、第六条2項のハ、つまり3番目に書いてあるのは、現時人の殺害だ。

 つまり、殺人よりも子供を作ることの方が、法理念としてはダメってことなんだ。


 これは、時間改変の方法として、いよいよであれば殺人は容認されているからだ。1人を殺すことで100万人が助かるような事例であれば、それは人道的に容認されなければならない。だから、「時間整備改善法施行規則」には、第六条2項のハの規定、すなわち殺人の罪を無効化する条文がある。

 この法律ではトロッコ問題について、ドライに数字の問題として解決することにしているんだ。

 こういう法律とその理念の読み込むこと、これも僕たちの仕事の重要な柱だ。


 それに対し、第六条2項のロ、すなわち現時人の女性を妊娠させることについては、そのような例外規定はない。

 つまり、現時人の女性を妊娠させるのは、この法律の理念を超える悪事であり、明確に罰せられる行為なんだ。


 ところが……、だ。

 未来から来た側が妊娠する事例に関しては、「時間整備改善法施行令」にはそもそも規定がない。

 当然、「時間整備改善法」は、世界政府の「憲法」の下にある法律だから、その下の「時間整備改善法施行令」だって両性の平等の理念の上に作られている。

 だから、法的に性別による差はないし、条文も一見そうなっているのだけど、結果として明確に区別は生じている。

「『子供を生み、生ませ、育てることができないような』事態の禁止と可能性の自粛」という条文は、突き詰めて解釈すればそういう事になってしまう。

『育てることができないような』という文が、曲者なんだよね。『子供を生み、生ませ』の禁止だけだったら明確なんだけど、余計な一文のせいで、「育てられるならいいんだろ」という抜け道になりうるんだ。


 そのような法の抜け道を個人の楽しみに使うのだから、芥子係長の行為は褒められたものではない。法は明確に性行為自体を禁じていないので、違法行為ではないのだけど脱法行為とは言えるんだ。



 だがまぁ、そんなことはいておいて……。

 僕たちは江戸の町に着いていた。繰り返すけど、時は1686年(貞享3年)の晩秋の夕刻。

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