第19話 芥子、モルヒネ、ヘロイン


「雄世、カレーうどんだと、今まで話したいろいろな問題が全部クリアできるんだ。

 説明しよう」

「はい」

 そう言って、僕は話を聞くために少し前屈みになった。

 是田のことだから、また的外れなことを言い出すかもしれない。でも、ちょっとは期待している。せっかくのご説明だからね。


「とりあえず1つ目だけど、たとえば屋台の蕎麦屋でカレーうどんを天竺うどんとか言って出すんだったら、野菜の棒手振りするよりは縄張りを気にしなくていいと思うんだ。

 棒手振りが長屋まで入り込んで商売するのに比べたら、真夜中に商売するなら別だけど、屋台の蕎麦屋の商売場所は広小路で人がごった返しているような場所だ。なら、そんな、縄張りなんてケチくさいことは言わないんじゃないかな?」

「なるほど。

 江戸っ子の気っ風の良さに賭けるしかないけど、棒手振りよりはいいかもしれないですね。

 ただ、そういう大通りだと……。

 みかじめ料とかショバ代とか請求されたりしませんか?

 で、1つ目ってことは、それ以降もあるんですよね?」

 僕の問いに是田はうなずいた。


「2つ目だ。

 蕎麦の屋台ならば、レンタル業者があるんだよ、江戸には。

 一式借りて、蕎麦とかも仕入れられて、そこまでおんぶにだっこだと儲けは微々たるもんになっちゃうけど日々は過ごしていける。

 無宿人になっちまった俺たちにとって、これは利用できる良いシステムじゃないだろうか?」

「なるほど、最初はあなたまかせで、商売が始められるんですね。

 そうなると、あれだな、縄張りだのショバ代だのの問題があったとしても、最初に仁義が通せるんじゃないですか?」

「江戸にみかじめ料はまだないけれど、ショバ代はあるかもしれないからな。

話が通せたら世話がない」

 なるほど。


 是田は、僕が配属される2年前から四係にいる。

 きっとそういう知識も得る機会があったんだろう。

 佳苗ちゃんが異を唱えないから、そうは的はずれな案じゃないんだろうな。

 経験したことについては、さすがにそう的を外さないんだよね。

 初めてのことについては絶対外すのに。


「3つ目だ。

 江戸の労働は厳しい。

 どこへ行くにも自分の足で歩かなきゃならないし、屋台だって担いで歩くんだ。

 でもって、お前と俺で商売するとなったら、少しでも儲かる商売にしたい。

 なぜなら、普通に蕎麦売っていたんじゃ、この時代、一杯たった6文だぞ。16文になるのはもっとずっとあとの時代だ。1両を13万円としたら、純益2文としても、65円くらいだ。20人分売っても40文、1300円にしかならない。40文じゃ、この宿にだって泊まれないからな。

 佳苗ちゃんに客引きしてもらったとしても、3人で3000円がせいぜいで、そこから家賃とか銭湯代、食費を引いたらなにも残らないどころか赤字だろう。とてもじゃないけど、これじゃ、気持ち的に病んじまう。

 そんな貧乏暮らし、続けていけないだろう?」

 僕は頷く。

 まったくもって、今回の是田の言い分は正しい。

 ってか、なんで貧乏話の時は的を射ることができるんだ、この男は……。


 江戸の四季は厳しい。

 エアコンなんかないんだから、夏は暑く冬は寒い。

 せめて冷水を買うにも、炭を熾して部屋を暖めるにも、先立つものがなければ我慢しかない。


 それでも、1年だけなら、まだ我慢もできるかもしれない。

 けど、江戸生まれではなく、エアコンになれきった僕たちが、10年を辛抱することはできないだろうな。

 暑さで汗をかくたびに、置き去りにされる理由を作った是田を責め、失言した僕が責められ、最後には口論から殺し合いにまで発展してしまうかもしれない。

 でも、いくばくかの金があるというだけで、そんな殺伐とした事態も起こさなくて済むんだ。


「蕎麦屋台で蕎麦を売って儲けるのは厳しいですけど、カレーうどんならば高く売れるって言いたいのですか?

 常世の神の食べ物ということで独占販売もできるし、真似も難しく、だから将来は安泰だ、と」

「そうだ」

 是田は大きく頷いた。

 佳苗ちゃんも目をきらきらさせて聞いている。

 カレーうどんがなにかはわからなくても、いい話だってのはわかるんだろう。


「なるほど、利点はわかりますよ。

 だけど……」

「まだ話は終わってない」

 是田の言葉が被さってきて、僕は黙った。

 わかったよ、聞こうじゃねーか。


 是田、説明を続ける。

「もう一つ、最大の利点があるんだ。

 あの芥子係長ヘロイン、まっすぐ帰ったと思うか?」

「……僕たちにムカついたから、帰ったかもしれないですけどね。

 でも、見るからに江戸で、その、ナンパしてから帰るつもりでしたよね?」

 ったく、非道い話だ。

 でもって、さすがに佳苗ちゃんの手前、「男漁り」とは言えなくて、「ナンパ」でごまかした。

 ま、それだけでなく、これからも話していて僕たちの身元がバレそうな所は、業界言語(笑)に言い換えて切り抜けることになるだろう。

 ま、大抵は、常世の言葉だと思ってもらえばいいんだけどさ。


「そうなんだ。

 俺たちもいない今、あの芥子係長ヘロインが江戸でひと月やふた月くらい羽根を伸ばしても、戻る時間の設定が出発直後であれば、まったくバレようがないからな。

 本当は、そんなことしていたら『職務専念義務違反』になるけど、そんなの気にすると思うか、あの芥子係長ヘロインが?」

 ……ないな、それは。

 絶対ない。

 でもって、芥子をヘロインにすると、ダメっぽさが最大になるな。

 まぁ、僕も、モルヒネ係長と陰で呼んではいるけれど。

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