第15話 絶滅危惧種の干物


 とにかく、もう、自分たちの時間に帰るのに生宝氏には頼れない。

 彼が、なにを考えているかもわからない。

 そうなると、いよいよこの時代で生き抜く未来が確定していってしまう……。


「どうしましょう?

 なんか職を見つけて、どこの長屋でもいいから潜り込まないと死にます。

 ただでさえこの時代の僕たちは無宿人だし、それも『上州無宿与兵衛』みたいに、国名すら名乗れない怪しい人間です」

 僕の言葉に、是田は首を振る。

 表情は絶望を露わにしている。


「雄世、無理だよ。

 この時代の大工の腕は、それこそとんでもないレベルだぞ。

 三味線屋だって飾り職だって、組紐屋だって鍛冶屋だって、みんなみんな、俺たちが今日から始めてどうこうなるレベルじゃない。

 子供の頃から見習いだの丁稚だの、そういう修行を積んできた連中に勝てる技なんか、俺たちゃ何一つ持っちゃいないんだ」

 そのとおりだよ。

 僕たちは、職人技の対極にいる人間だ。


「それでも……。

 それでも、非常時用にここで使える貨幣を俺たちは持たされている。

 小粒金とか、なんとか3両程度は持っていることになる。

 なにを標準にしたらいいかわからないけど、とりあえず明日以降生き抜けるだけの現金は持っているんだ。これで飯も食えれば、宿に泊まることもできる」

 まあ、江戸だって人間社会だ。金次第のところはあるだろう。


「で、それを使い切ったら、この時代で僕たちお終いです」

「その覚悟はできている。

 でも、今死ぬより、3月後の餓死の方がマシだろうが」

「……確かに」

 つまり……。


 切り詰めに切り詰めて、1日1人20文を食費として、木賃宿が50文。2人で1日に140文が消えていく。たまには風呂にも入りたいし、そうなると3両12,000文として、80日分くらいしかない。

 僕たち、極貧暮らしの果てに、あと3月足らずの命だ。


 僕たちが絶望に浸っていると、佳苗ちゃんがお風呂からあがってきた。

 彼女の前で、いかにぼかして話すにしても、あまりに突っ込んだ話をしていると僕たちの素性がバレかねない。

 もう今晩は、この話はお預け、ということだな。



 宿の人もこちらを窺っていたのだろう。

 佳苗ちゃんが風呂からあがると、すぐに膳が運ばれてきた。

 そして、出された宿の飯はまぁ、悪くはなかった。

 非公式の宿だというのに、だ。

 もしかしたら、非公式だからこそ、客寄せに良いものを出しているのかもしれない。


 暗い行灯の明かりの中、お膳の上にはご飯、なすの味噌汁、おかずが3品。一汁三菜だ。

 おかずの三菜は魚の干物、大根と豆腐の煮物、糠漬けきゅうり。

 ちょっと軽すぎる感じではあるけれど、健康的ではある。そして興奮した是田が言うには、干物の魚はアオギスといって、僕たちの時代よりはるか前に東京湾では絶滅してしまった魚なんだと。

 そう考えたら、絶滅危惧種の塩焼きだなんて、エライもん食べている気になるな。


 ご飯は飯櫃めしびつで来たので、お代わりは頑張ってしまった。だって、今日食べられる分を食べておかないと、3ヶ月後、餓死する前に「あの時もっと食べておけば……」なんて後悔するからね。

 もー、いくら太ったって構わないぞ。

 太ってから痩せこけて餓死する方が、いきなり痩せこけて餓死するより長く生きられるだろうからさ。


 佳苗ちゃんも、よほどに腹が空いていたのだろう。ご飯をお代わりし、3杯目は糠漬けきゅうりを乗せたお茶漬けにして食べている。

 文字どおり、食えていなかったんだろうなぁ。あの女衒が、佳苗ちゃんに美味しいものを食べさせている図は想像できないもんな。


 僕と是田もそれを見習って3杯飯を喰って腹が膨れ、って、お櫃にはまだご飯が残っていたから、この時代の人はやっぱりとてつもなく米を食うんだろうな。

 で、飯を食ったあとの茶碗にお茶を注いで、ようやく落ち着いて佳苗ちゃんの身の上話を聞く気になった。


 まずは……。

「佳苗ちゃん、これからどうするつもりだい?」

 是田が聞く。

 で、同時に、証文を渡してやる。


 佳苗ちゃん、ぽろぽろと涙を流しながら、証文を抱きしめた。

 ま、信じられないほどの幸運だろうさ。

 下手すればあの女衒に玩ばれたあげくに、今晩から立て続けに客を取らされていたかもしれないんだから。


 本当なら僕たちだって、ここまで踏み込むつもりはなかったし、そもそもこの時代で売られるすべての娘を救えるはずもない。そんなことは、「人道的時間改変計画書」を書くどの申請者より、僕たちは骨身に沁みて理解している。

 それでも公務員に染み付いた反社に対する反感と、係長に見捨てられた僕たちがたまたま不幸な娘に同情してしまったという、ただただタイミングとめぐり合わせにすぎなかったんだ。



「まずは、危ないところを救っていただき、まこと、かたじけなく存じ奉ります」

「あー、いいから普通に話して」

 と僕。


 浪人の娘だから、武家言葉も使えるだろうけど、どうせ育ちは貧乏長屋だろう。普通に町人の子に混じって大きくなったはずで、もっと砕けた言葉遣いだってできるだろうさ。

 ござるござると、付き合っちゃいられないよ。

 で、ありがちの、でもやたらと悲惨で健気な話が始まるんだろうなぁ。


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