第17話 美少女と雨

 キーンコーンカーンコーン。

 四時間目終了の予鈴が鳴った。


「なあ、颯心、凌平。たまにはいつもと違った場所で弁当を食べたいとは思わないか?」

「別に……」

「全く。動くのめんどくせぇ……」


 興味無さそうに首を振る颯心と、気だるそうにしている凌平。だが、今日の俺は引かないぞ。


「そうかい、そうかい。そんなにいつもと違う場所に行きたいのかい。じゃあ行こう!」

「なあお前、話聞いてた?」

「そんな言うならいいさ、凌平。俺と颯心二人だけで行くから」

「待て! そこまで言うなら俺も行く! ボッチはごめんだ」

「よしじゃあ、行くぞ!」

「俺は一言も行くなんていってないんだけどなあ……」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「なるほど、外って屋上か?」

「たしかにあんまり入ったことはないよね?」

「よし行こう」


 俺はゆっくりと屋上の扉を開いた。


「あっ」

「おっ」


 その先にいたのは藤島たちいつもの三人組だった。もちろんそこに心春もいた。


「あれ藤島たちじゃん」

「おお! 奇遇だねぇ、こんなところで会うなんて……お三方もお弁当を食べに?」

「そんなところだ」


 俺は弁当箱を上にあげて見せた。ちらりと視線少し横にずらせば、心春と目が合う。心春は手に持ったおにぎりを口に入れ、かじりかけの状態で固まっていた。目を真ん丸くして俺のことをガン見している。


「せっかくなら一緒に食べる?」

「じゃあお言葉に甘えて」


 俺が屋上に足を踏み入れようとすると、颯心が肩を掴んだ。


「謀ったな?」

「んー? なんのこと?」

「白々しいよ。あんな下手くそな演技で無理矢理連れ出しといて」

「やっぱりバレるか……カラオケの時、後夜祭以降全然距離を縮められていないって言うから、こうして人目のつかない所で機会を設けてあげたわけだ。余計なお世話だったかな?」

「どうすればいいのか若干戸惑ってるけど、正直助かる」

「じゃあ、共犯の藤島にも後で感謝しとくんだな」


 いくらなんでも藤島と俺の示し合わせた演技は茶番だっただろうか?


「おい、お前ら! まさかこれ……」


 どうやら凌平にも仕組んだことがバレってしまったみたい……


「俺と桜河さんって運命の赤い糸で結ばれちゃってるのか!?」


 あーバカで良かった。


「皆さんまさか私たちのこと尾けてきた? 私たちが初めて教室外で食べようって思った日に秋谷くんたちも屋上に来るなんておかしいよね!?」

「偶然だろ?」

「ぐーぜんで済んだら警察はいらないよっ!」

「それ前も聞いた」

「だって秋谷くん心春ちゃんの席の隣だもん! 盗み聞きしててもおかしくないよ!」

「ホントにたまたま? うえは……沖村くん本当に?」

「本当だ」


 疑うような目で俺と凌平を舐めるように見る七瀬。


「私たちを尾行してきたって、私の可愛い心春ちゃんは渡さないからね?」


 七瀬に抱きつかれ、ビックリした様子の心春だったが、よしよしと七瀬の頭を撫で始めた。

 いや、心春何してんの? っていうか目的心春じゃないから、君だから。


「本当に違うから。ただ単に偶然」

「そうそう、秋谷たちが私たちを尾けてくるはずなんてないよ」

「なら良いんだけど……」


 藤島の言葉添えもあり、七瀬はまだ不満そうな顔をしながらも心春から離れた。


 その時、ヒューと優しい風が吹いた。ああ、心地よい。


「ん!? あれっ!」


 七瀬は体を乗り出し、四つん這いになってお構い無しに俺に顔を近づけてきた。


 えっ、なんだなんだ!?


 七瀬は俺の肩に手をかけて、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。


 えっ、ホントに何!?


 颯心と心春、ついでに凌平からも鋭い視線が注がれているのが分かった。凄くいたたまれない気分……


 俺に抱きつきかけていた七瀬を心春が無理矢理引き剥がした。


「そういうことすると男子は勘違いするからやめなさい!」


 そう言ってギラリと俺を睨み付けた。いや、俺はそんな勘違いしてないよ?


 心春に引き剥がされた七瀬はそのまま飛び付いて心春を押し倒した。


「ひゃ!」


 そして今度は心春の匂いをクンクンと嗅ぎ出した。


「やっぱり秋谷くんから心春ちゃんと同じ香りがする!」

「そ、そんなわけないよ!」


 分かりやすくあわてふためく心春。


「仮にそうだとしてどうして分かるんだよ!?」

「ゆず、あんたは犬か!」


 しかしその言葉を上手く遮るように凌平と藤島がツッコんだ。俺はそれに乗じ、心春が墓穴を掘ってしまう前にと理由を説明した。


「昨日は間違えて妹の使っちゃったんだよ……桜河さんと同じなのはまぐれでしょ?」

「ああ、例の可愛いと噂の妹ちゃん?」

「それはお前が勝手に言ってるだけだ」

「だとしてもシャンプー同じって、もしかして二人って同棲したカップル?」

「同棲したカップルじゃねえ!」

「同棲したカップルじゃない!」

「わぁ、息ピッタリ!」


 なんだこれデジャヴ。っていうか七瀬はどうしてこんなにテンション高いんだ? いつも以上に高くない?


「心春と秋谷が同棲してるわけないよねぇー。してたら秋谷他の男子から殺されてるよ。心春さんはモテモテですからね」


 うっ、胃が痛い。決して同棲はしてませんけどね。


「モテモテじゃないよ」

「何をおっしゃいますか! 今日の放課後に校舎裏に呼び出されたのに」

「え?」

「まじ?」


 おいおい、なんだそれ聞いてないぞ!


「マジなんだよ!」

「ちょっと渚。その話は……」


 心春がちらりと俺の方を見た。


「でも心春ちゃんは断るんでしょ? だって心春ちゃんには――」

「ちょっと、ゆず!!」


 心春が慌てて七瀬の口を手で押さえる。


「んんーー!」

「何でもないからね! 何でもない!」


 何故か心春は俺のことを凝視して言った。


「お、おう」

「聞いちゃいけない感がすごいね……」


 断るのか。ちょっと安心。


「んーーーー!」

「心春、ゆずが窒息しちゃう」


 藤島の言葉に心春は七瀬の口元を押さえていた手を離した。


「ご、ごめん!」

「ぷはあ! 心春ちゃん、私死んじゃうよぉ……」

「ごめん。でも今のはゆずが悪いよ」

「すみません!」

「はは、二人とも仲良いね」


 颯心の発言に七瀬は素っ気なく「うん」と返しただけだった。


「でも残念。今日部活あるから告白の現場見に行けないわ」

「私も、 委員会があって行けないんだよねぇー」

「二人ともどうせ来ないでしょ?」

「分からないよー? 心春だってゆずが告白されたとき盗み聞きしてたし」

「あ、あれはゆずが心配で……」

「はい、言い訳しない。その人とゆずが仲良かったらもしかしちゃうのかって思ったんだよねぇー」

「ないよ。私からしたら仲の良い友達だったからさ……気持ちは嬉しいけどね」


 颯心の顔が少しひきつったのが分かる。自分が七瀬の仲の良い友達にすぎないかもって心配してるんだろう。でもそれ以上にすごく気になることが……


「もしかして、お三方とも……」


「告白され慣れてます?」

「そ、そんなされ慣れてるって程じゃ……」

「心春はされ慣れてるでしょ? 私こそされ慣れてるって程されてない」

「一回しかありませんけど何か!?」


 いや、一回でも十分だから。心春がされすぎて七瀬の感覚はバグってるのか?


「やっぱり七瀬はモテるのか……」


 颯心が小さく呟いた。まあ他の男に取られるんじゃないかって心配な気持ちはよく分かる。


「話の次元が違う……」

「そんなこと言って君たち男性陣も……コホン、上原も何回もされてるでしょ?」

「……えっ、あっうん」


 さっきの七瀬の発言に思考が停止していたようで、颯心は時間差で無気力に言葉を返す。


「おいコラ、藤島ァ! どうして今言い直したのかなぁ?」

「えっ? 時間の無駄かと思って……」

「俺たちのことを嘗めるんじゃねェ!」


 今こいつって言ったな? まあ事実だから否定はできないけど……


「ごめんごめん……言い直すから許してよ? ……コホン、沖村も告白されたことたくさんあるんでしょ?」

「…………」

「…………」

「クソォーー!!!!」


 ポツリ。

 水滴が鼻頭に落ち、肌の曲線を沿って流れ落ちた。


 ポツリ。ポツリ。

 数滴の雨粒が連続して顔に当たり始める。


「わっ、雨だ!」

「ホントだ」

「うそ、今日傘持ってないのに……」

「中に入ろう」

「どうして誰も俺に告白しないんだよォ!! 校舎裏呼び出せよォ!」

「おい、凌平! 叫んでないで早く入れ!」


 雨の音がいっそう激しくなっていくのが校舎内からでもよく分かった。


「結局七瀬とろくに会話できなかった……」


 颯心はがっくりと肩を落としていた。


「まあ避けられてたしな」

「ああ、あからさまにな……」

「俺は悪い方じゃないと思うけどな。七瀬はもともとあんな感じだけど、妙にテンション高いと思ったんだよなぁ……多分お前のこと意識しちゃって、それでも何とか取り繕うとしてたんじゃない?」


 七瀬、あからさまに颯心の方だけには視線を向けてなかったし。絶対意識してるだろうな、あれは。


「まあ自信持てよ」


 俺は颯心の肩を叩いて励ました。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 雨が降り注ぐなか、私は校舎裏で校舎の僅かな影で雨から身を守っていた。このザァーザァー降りの中、傘なしでここまで来たから制服は大分濡れてしまっていた。時折入ってくる雨にも降られていた。


 なかなか来ないなあ……


 雨に降られ手や体が少し冷えてきた。手に息を吹き掛けていたその時り足音が聞こえてきた。私は顔を突き出す。


 えっ!?


「ひかる!?」

「あーいたいた」

「どうしてここに?」

「あーそれは……ってずぶ濡れじゃないか!」


 ひかるは大きな傘を私の頭の上にかざした。


「昇降口で待ってたんだけど、全然戻ってこないから」

「あれ、私たち一緒に帰る約束してないよね?」

「ああ。でも、お昼のとき傘持ってきてないって言ってたからさ。しかも二人は学校に残るんだろう? だったら俺が送るしかないじゃん? 家も隣なんだし」


 そんなこと気にしてくれてたんだ……っていうかさっきひかるが現れたとき、ひかるに告白されるんじゃないかと思ってドキドキしちゃったよ! もう!


 ひかるは自分のブレザーを脱いで私の肩にかけてくれた。


「ほらこれ着てろ」

「でもこれだとひかるが……」

「いいから。そんなずぶ濡れだと寒いだろ?」

「ありがと……」


 ひかるのブレザーは一回り大きくてまだ温かかった。


「悪い、本当は心春が校舎裏に行く前に傘を貸そうと思ってたんだけど間に合わなかった。告白の邪魔をするわけにもいかないと思って」


 ひかるは少しそわそわした様子で聞いてくる。


「それで告白の方はどうなったんだ?」

「まだだよ?」

「はあ!? こんな雨が降り交う中、ずっと待ってたのかよ!?」

「誰かも分からないからコンタクトもとれなかったし……でも告白なら誠意を持ってお返事をしなきゃいけないから」

「だとしてももっと自分を大切にしろよ!」


 ひかるの手のひらが私の頬に触れた。ひかるの手の温かさにさっきまでの寒さは全て溶かされてしまったような気がした。


「こんなにずぶ濡れで、冷たくなって……風邪でも引いたらどうするんだよ……」


 ひかるは私を心から心配しているように嘆いた。心配をかけてしまったひかるにはひどい話だけど、私はひかるが心配してくれることに嬉しく思っていた。


「全く、もう帰るぞ。多分呼び出した奴ももう来ないよ。雨だから心春が来ないと思ったんだろう。確認くらいしに来いよ……」

「うんそうかもね……」


 ひかるは呼び出した人に少し怒っているようにぼやいた。


「それから、これで顔を隠しておくんだ。見つかったら面倒だから」


 ひかるは私の頭にタオルを被せて、グシャグシャと頭を撫でた。タオルの目的が顔を隠すことだけじゃなくて、ひかるの優しさだということは明らかだった。


「ほら、行くぞ」

「……うん」


 私は傘のなかに躊躇いながら身を入れた。


「もっとこっちへ来い。濡れちゃうだろ?」


 そう言ってひかるは力強く私の体を抱き寄せた。


「ひゃっ!」


 思わず声を出してしまう。ひかるとの体の距離が近い。こんなのドキドキしないわけがない……


 気付けばひかるは私の冷たくなった手を握ってくれていた。ひかるの手はとても温かくて、冷えていた体も不思議とポカポカと温かくなってきていた。特に顔は熱くて仕方なかった。


 一つの傘の下で。

 私の心臓は張り裂けそうなほどに、響いていた。

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