第18話 幼馴染と看病

「おはよう」

「ああ、おはよう」


 自分の机に荷物を下ろして、椅子に座る。隣を見たらそこには空の席があった。いつも心春は俺よりも早く来ているのに……


「おはよう、光」


 俺の席に近寄ってきたのは、爽やかイケメンボーイの上原颯心だった。


「あれ、桜河さんが来ていないなんて珍しいね。遅刻かな?」


 心春に限って遅刻ではないだろう。昨日のことが鮮明に思い出される。もしかして……


「桜河さんは、今日は風邪でお休みです」


 やっぱり……


 あんなに雨に打たれてたらそりゃそうなるよな……危惧していた通りだ。


 しかも今日は木曜日だ。心春の両親はどちらも仕事に出掛けているだろうし、うちのお母さんも家にはいない。一言くらい俺や花恋に声をかけてくれれば良かったものを……でも心春のことだ。多分俺たちに迷惑はかけたくないとでも思ったんだろう。


「はあ」


 俺は思わず息を漏らした。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ピンポーン。


 本当は呼び鈴を鳴らして病人を呼び出すなんてしたくないけど、不法侵入するわけにはいかない。


 呼び鈴を鳴らしてからしばらく経ってからガチャリととびらが開いた。中からでてきたのはパジャマ姿の心春だった。


「ごめん。呼び鈴鳴らして出てもらうのは申し訳ないと思ったけど、勝手に家にはいるわけにもいかなかったから」

「ひかる…………? どうして……?」


 心春の足元がふらついて、バランスを崩しそうになる。咄嗟に俺は心春に駆け寄って体を支えた。


「おい大丈夫か?」


 心春の髪の毛は直されておらずボサボサな状態で、その髪の毛の隙間からおでこに張られた冷えピタがこちらを覗いていた。白い頬はほんのり紅色に染まっていて、目はとろんとしていた。


「わたし汗かいてるから離れて……」


 心春は手で何とか汗で濡れていた髪の毛を直そうとする。


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

「ひかる……なんでここにいるの……?」

「それはあとで話すから。とりあえずベットに戻ろう。歩けそう?」


 心春に肩を貸す。すると心春は右腕を俺の肩に預けた。


「うん……」


 短く頷いて心春はゆっくりと一歩ずつ足を進める。


「危ない!」


 覚束ない一歩で体勢を崩した心春のお腹辺りに腕を回して支える。


「大丈夫か?」

「うん…………ありがと……」


 心春の頬の赤色が少しだけ濃くなった気がした。

 心春の足元は覚束ない。このまま階段を上るのは危険だ。もう心春を見ていると本当に心配になる。


「心春、しっかり掴まっておけよ」


 そう言って俺は心春の背中と太もも辺りに手を伸ばす。


「ひゃっ!」


 そして、そのまま心春を持ち上げた。服越しではあるものの、触れている心春の肌が熱いのがよく分かった。


「ちゃんと掴まってろよ」


 心春は俺の首もとに細長い腕を回して落ちないようにしがみつく。ちらりと心春の方を見ると、耳まで真っ赤に染めていた。そして、目が合うなり心春は真っ赤に染まっていた顔を俺の首もとに沈めた。これは熱のせいなのか?


「今から階段上るからな?」


 心春は顔をうずめたままでコクリと頷いた。


 心春をベットに下ろしてその上から布団をかける。すると、心春はぐいっと布団を引っ張って、顔まで覆って隠してしまった。


 俺はというとさすがにお姫様抱っこは体に重労働だったようで、随分とヘトヘトになってしまっていた。最初はお姫様抱っこをすることに恥じらいを感じていたけど、辛すぎて途中からそんなことは考えられなくなった。


 心春が小柄で軽かったからこそ何とか階段を越えることができたが、お姫様抱っこのおかげで全体力が消耗されてしまっていた。


 きっつい……


 俺がはあはあ息を漏らしていると、隠れていた心春が布団から顔半分だけひょこりと覗かせて尋ねた。


「それで…………どうしてひかるはここにいるの……?」

「学校早退してきた」

「ええ!?」


 心春は体調が優れているときと変わらぬトーンで驚きの声を発した。


「今日心春の両親も、うちの親たちもいないからお昼ご飯食べるの大変だろうなって思って……お昼前に学校抜けてきました」


 心春はちらりと時計の方を見る。多分今が何時ごろなのか、時間の感覚がなくて確認したんだろう。


「……なんでそんなことしたの………」

「心配だったからに決まってるだろ。あのな、俺に風邪引いたことを言わなかったのは俺に迷惑をかけたくなかったんだろうけどさ。昨日のことを思い返せば普通に察しがついたわ! もうそうやって隠すのはやめるんだ。俺のことをもっと信頼して、頼ってくれ……な?」


 そう言って心春の頭を撫でる。心春はただ黙って心地良さそうに俺に頭を撫でられ続けていた。


「…………ありがと……」


 心春はプイッと顔をそらして言った。


「ところで、お昼なんか食べれそう?」

「お粥なら……多分朝お母さんが作ってくれたのがキッチンにあると思う……」

「分かった。持ってくるからしばらくゆっくりしていて」

「うん…………ありがとう」


 弱々しい声で心春はお礼を言った。

 階段を降りてキッチンに行くと、すぐにお粥の入った鍋を見つけることができた。それを温め直してお椀によそう。そのお椀とスプーンをトレイに乗せて、心春のいる部屋まで運んで行った。


「お待たせ。体起こせそう?」

「……うん」


 心春は俺の助けも借りながら何とか上半身だけ起き上がった。


「……ん」


 心春が手をこちらに伸ばしてきた。お椀を寄越せということだ。


「いや、いい。俺が食べさせてあげるから」

「……えっ?」

「これくらいしないと今日来た意味がないだろ?」


 お粥をスプーンでよそう。

 ふぅー、ふぅー。


「はい」


 心春は小さく口を開けた。俺はゆっくりスプーンを心春の口の中に運ぶ。


「……んっ」


 心春は少し苦しそうに声を漏らしてお粥を口に入れた。俺はゆっくりと食べている心春の様子をじっと眺める。


「……味わかんない」

「まあ風邪引いてるんだし」


 続けてお椀からお粥をよそって食べさせる。


「どう具合は?」

「まだちょっと頭がくらくらする……」

「熱は?」


 額には冷えピタが張られていたので、心春の頬を手の平で触れる。心春の頬はすべすべで柔らかい。そしてその紅色に染まる頬はとても熱かった。


「まだ熱はあるか……」

「ひかるの手、冷たくて気持ち良い……」


 心春が俺の手をぎゅっと掴んでゆっくり頬ずりする。


「離してくれ」


 そんなことされたらこっちが恥ずかしい。


「あぁ~~」


 心春がオモチャを取られた子供みたいな声を上げた。なにこの可愛い子。


「しばらく休んどけ」


 そう言って心春の肩まで布団をかけた。


 それからしばらくして心春の優しい寝息が聞こえてくる。


 寝ちゃったんだな……


 俺は心春が眠るベッドにもたれ掛かった。それから持ってきていた小説をペラリと捲った。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 あれからどれくらいの時間が経っただろうか? 呼び鈴の音が耳に聞こえてきた。俺は夢中になっていた小説を床に置く。


「……んん~」


 心春がその音に目を覚ましたようで、眠そうな目を擦りながらベットから這い出ようとする。


「まだ寝てろ。俺が出るから」


 心春をベットに留めておいて俺は玄関に向かって駆け下りる。


 宅配便だろうか?


 ガチャ。


「はーい」


 俺は勢いよく玄関の扉を開いた。インターホンに出ればいいのを忘れ、何一つ考えずに……でも、それがまずかった。


「え?」

「えっ?」

「あっ……」


 体のいたるところから汗がどばっと流れ落ちる感覚がした。


 やってしまった……これは完全にやってしまった……


 扉の向こうにいたのはコンビニのビニール袋を持った学校帰りの藤島渚と七瀬ゆずの姿だった。


「ホントに同棲してた……」


 それが七瀬ゆずが最初に発した言葉だった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「さあ、どういうことか話してもらおうか」

「あのね、二人とも……」

「心春は寝てていいから」

「は、はい……」


 心春の部屋で俺は正座をさせられていた。心春がベットにいる横で、藤島と七瀬が俺のことをじっと見つめていた。


「それで、二人はどういう関係なの?」


 藤島が詰問口調で尋ねる。


「……幼馴染です」

「えっ、あっ、幼馴染?」

「は、はい」

「なんだ、ただの幼馴染かぁ」


 七瀬はあまり驚いていない様子でホッと息を吐いた。いや、もっと驚くべきところでしょ?


「てっきり二人はカラダの関係なのかと思ったよ~」

「ちょっと、ゆず!! こほっ、こほっ……」


 って思ってたら、いきなりぶっこんできやがった!!


 七瀬の言葉に上半身を勢いよく起き上がらせた心春だったが、体に負担だったのか咳き込み出した。


「安静にしとかないとダメじゃない」


 藤島が心春の背中をさすってベットにゆっくりと寝かせる。


「ありがとう……」

「そうだぞ。ちゃんと休んどけ、心春」


 その様子を見ていた七瀬がニヤニヤして言う。


「家では心春呼びなんだねー?」


 七瀬の発言に、藤島はパッと俺の方に鋭い視線を向けた。俺はその視線から目をそらした。横になってこちら側に顔を向けていた心春はくるりと反対側に頭を回転させ、俺たちの方に後頭部を向けた。


「あっ、ってことは花恋ちゃんのお兄ちゃんってことか!」


 七瀬が偉大な発見だという様子で大きく頷いた。


「そうです……」


 そういえば二人は前に花恋と会っていたんだな……


「それで、じゃあただの幼馴染が何で授業サボってここにいるの?」

「今日心春の両親がいないってこと知ってたし……心配で」

「ふーん……」


 じろじろ俺を舐めるように見る藤島。


「何で幼馴染のこと隠してたの?」

「思春期の高校生である俺たちが家も隣で、たまに一緒にご飯を食べている幼馴染だなんて知られたらからかわれると思って……入学の時に隠すことを決めてからそれっきり……」


 心春がくるりと頭を回転させて俺たちのいる方を向く。


「渚、話さなかったこと怒ってる?」

「怒ってないよ……別に秘密はあっても良いと思うし……けどなんか……」


 藤島が言葉につまる。そこにすかさず七瀬が抱きついて言った。


「自分たちが心春ちゃんの一番の友達だと思ってたから複雑な気持ちなんだよねー?」

「ちょっと言わないでよ、ゆず!」

「なぎさ……」

「よりによってなんで秋谷!?」


 俺も知らん。前世で世界を救ったか、神が俺のことを溺愛してたとしか考えられない。


「渚もゆずも同じくらい大事な友達だよ?」

「こはるぅ……」

「こはるちゃーん!」


 二人がベットに入っている心春に抱きつく。


「ちょっと二人とも! 私に近づいたら風邪移っちゃうよ?」


 そんなこと言いながら心春は二人の様子を微笑みながら抱きつき返していた。

 女子同士の美しい友情の絵。見ていて心が温まる。同時にいたたまれない思いも。


「おい、秋谷! 見てないでそこにあるリンゴ剥いて持って来い! それから私たちが良いって言うまで絶対に部屋に入ってこないでね!」


 急に怒鳴り始める藤島。


「なんで入っちゃダメなんだ?」

「あんたは心春の着替えの現場を覗くつもり?」

「あーそういうことか……」

「分かったらすぐ行く!」

「はい!」


 藤島の有無を言わさぬ口調に対して、俺はビニール袋のなかに入っていたリンゴを取って部屋をあとにした。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 渚のお願い、お願いというより命令に近かったけど、それによってひかるが部屋から出ていった。

 それを境に私に抱きついていた二人は私から離れてくれた。少し名残惜しくも思った。


「それじゃあ、着替えさせるよ。服はタンスにあるパジャマ適当に選んじゃって大丈夫?」

「うん、ありがとう」


 二人が着替えさせてくれるというので、お言葉に甘えることにした。ずっとベットにいたおかげでだいぶ汗をかいていた。ひかるがいる前では出来ればこんな姿でいたくない。


 二人が服を脱がせるのを手伝ってくれて、体の汗までタオルで拭いてくれた。そして、新しいパジャマを着せてくれる。


「それにしても驚きだねっ! 二人が幼馴染だったなんて」

「そうね。まあ色々聞きたいことがあるけど、とりあえずひとつだけ心春に確認したいことがあるんだ……」

「そうだよね、これが本題だよね……」


 二人はうんうんと頷き合った。

 いったいどんなことを聞かれるの……? 不安と緊張が喉元に詰まる。


「秋谷のこと異性として好きなの?」

「え……ええっ!!?」


 突然なんでそんな話題になるの!? 落ち着こうと心に呼び掛けてみても、顔はどんどん熱くなっていて止まる様子がない。


「前に心春に言ったよね? 好きか嫌いかどっちかだと思うって。嫌いって言ってたのは幼馴染であること隠すためなんでしょ? なら本当は好きなんじゃないの?」

「す、好きじゃないよ……渚の思い違いだよ……好きでも嫌いでもない!」


 頑張って否定するけれど、そんな否定とは裏腹に耳の体温がすごく上がっているのを感じる。これは風邪のせいだ。そうに違いない。


「秋谷が花恋ちゃんの兄ってことは心春の初恋の相手でしょ?」

「それは渚の勘違いだから! ひかるとはただの幼馴染だから!」




「それにしても心春ちゃんは秋谷くんにすごく大切にされてるよね。心春ちゃんが心配だからってわざわざ学校サボってに看病しに来たりさ? よっぽど心春ちゃんのこと大事に思ってないと出来ないよね?」


 ゆずがニヤニヤ顔で追い討ちを駆けてくる。何も言葉を返すことが出来なくなった。


「もう寝る!」


 無理やり会話を切って、私は布団のなかに潜った。頭のなかだけじゃなく顔も、パニックになっていたと思う。今すぐにその顔を隠したかった。

 ひかるが私を大事にしてくれている。そんなこと言われたら嬉しくて顔に出ちゃうのは仕方がない。


「ごめんごめん。からかいすぎた」

「ちょっと、顔を出してよ心春。場合によっては髪を整えてあげるからさ?」


 確かにひかるの前だからこのボサボサの髪を今すぐ直したい。でも、ここで出ていったらひかるが好きだって認めるようなものだ。


 どうしよう……どうしよう……


 私は恥ずかしさから、布団から全部顔を出すことが出来ずに、上半分だけ顔を出して言った。それが限界だった。


「…………おねがい、します……」


 迷った挙げ句私は髪を直してもらうことを選んだ。恥ずかしくて死にそうだ……


「分かった!」

「心春ちゃん可愛いすぎるよ!!」


 ゆずが私に飛び付いてきた。

 体温がどんどん熱くなっていくのを感じた。それこそ熱が悪化しそうなくらいに……


「それで、秋谷とはどうなの?」


 私がベットで上半身を上げる後ろで、渚がブラシで髪を梳かしてくれ、ゆずはドライヤーを構えてくれていた。


「……どうって?」

「脈がないなんてことはないんじゃないの? だってこんなに可愛い女の子が幼馴染だったら絶対意識しちゃうでしょ?」

「…………そうなのかな……」


 ホントにひかるは私のことを意識してくれてるのかな……分かりそうで分からない。


「絶対そうだよっ!」

「もっと自信持ちなよ心春」


 二人が私の背中を軽く叩いてくれた。


「告白しちゃえば?」

「む、無理だよ!!」


 そんなに軽く言わないでよ、ゆず!


「心春は秋谷の彼女になりたいと思わないの?」

「それは…………なれるならなりたいけど……」


 もう諦めて私は気持ちを全てさらけ出すことにした。言ってて本当に恥ずかしくなってくるよ……自分の顔が二人に見られていないだけ良かったと思う。


「で、でも! 今の関係が変わっちゃうのが怖い……私はひかると幼馴染で、今の時間がすごい楽しい。だって私だけがひかるの特別な姿を見れてるから、私だけが知ってるから……勝手に私だけがひかるの特別なんじゃないかって思っちゃう……」


 思いが、言葉となって溢れ出た。二人に本当の気持ちを知られたことで心のどこかで安心していたのかもしれない。


「でもね、ひかるはみんなに優しいんだよ!今は私だけが特別だって思えるのかもしれない……でも告白に失敗したら? 多分私はもうひかるにとっての特別じゃなくなる……そして、ひかるは私の前からいなくなっちゃう…………そう思うととても怖い……」

「心春……」

「心春ちゃん……」


 二人は「大丈夫だよ」って言ってそっと抱き締めてくれた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「もう来て良いよ」


 リンゴを切り終え、一階でそわそわ歩き回っていたところ、藤島が手招きする。


「心春、リンゴ切ってきたぞ」


 ベッドを見ると、心春の後頭部だけが見えた。俺が呼び掛けてもピクリとも動かなかった。


「あれ、寝ちゃった?」

「そうみたい……」

「じゃあ、仕方ない。冷蔵庫に入れとくか」


 俺が部屋から出ようとした時、二人も一緒に立ち上がった。


「私たちそろそろ帰るね」

「ん? もう帰るのか?」

「うん、心春も寝ちゃったから長居して騒がしくするのも迷惑でしょ?」


 ドアの前で、七瀬と藤島は心春の方に振り向いて言った。


「またね、心春ちゃん。学校で会おうね」

「じゃあね、心春。しっかり休むんだよ?」


 もちろん反応はなかった。


 そのまま俺は二人を玄関まで見送る。


「それじゃあ、秋谷くん。心春ちゃんのことお願いね?」

「ああ」

「秋谷!」

「ん?」


 藤島が俺のことを無言でじっと見つめた。そしてようやく重々しい口を開いた。


「これから何があっても、心春のそばにいてあげて」


 それは風邪だから? それとももっと先のことか?


 いずれにしても答えは決まっている。


「ああ、もちろん……」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「やだ……」


 小説に集中させていた意識のなかに心春の声が介入して、俺はパッと心春の方を見た。


 心春は目を閉じたままだった。だが、顔は苦しそうだった。心春はうなされていたのだ。大量の汗が心春の額から滴り落ちる。


「大丈夫か?」

「……行かないで……ひかる……」


 自分の名前を呼ばれ、ビクッとする。心春は何にうなされているんだ?


「……私を一人にしないで……」


 心春は苦しそうになりながら、天井に向かって手を伸ばした。


「大丈夫、俺はどこにも行かないよ。俺がずっと心春のそばにいるから……」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ひどい悪夢に私はハッと飛び起きた。そこはいつもの私の部屋であった。僅かに頭痛がした。汗が額を流れ落ちた。


 あれ、どんな夢見てたんだっけ……ひどい悪夢だったということだけで、肝心な夢の内容は何一つとして思い出せなかった。


 頭痛は一時的なもので、すぐに収まってくる。すると体の怠さほとんどなくなっていたことに気づいた。体の感覚がようやく正常に戻った気がする。


 そのおかげで全ての意識が右手に集まる。右手が何かを掴んでいることが分かるのだ。目を向けたら私の右手は誰かの手を握っていた。


 頭をベットに項垂らせていたのは、私の幼馴染の姿だった。彼は私の手を握ったまま眠っていた。


 私たちはどうして手を繋いでいるのだろう?


 分からない。私から繋いだのか、ひかるが繋いでくれたのか、確かなことは分からなかった。


 でも何となくから分かる。多分ひかるだ。ひかるは私が寝たあともずっとそばにいてくれたんだ。私が一人にならないようにずっと手を握っていてくれたんだ。


 人差し指で優しくひかるの頬に軽く触れた。


 君の横顔を見ているだけで、どうしてこんなにも心が苦しいんだろう……


 心が苦しくなるほどにこんなにも、君のことが愛おしい。

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